107/108日目:ツーデイズ⑥
2日まとめてお送りします。
107日目:水曜日
昨日あんなことがあったにも関わらず、今日も第二理科準備室に来てしまった。
まるで秘密警察にマークされているスパイのような気持ちで、周囲を警戒しながらここまで来た。
ドアを開けて、いつも通り先に待っていた先輩に会釈をする。そういえば同じ電車に乗っているはずなのに、どうして先輩の方が先に来ているんだろう。
「おはようございます、先輩」
「おはよぉ」
「この場所が知られてしまったのに、普通に来ちゃいましたね」
「悪い子じゃなさそうだったし、大丈夫かなぁって」
「先輩の脅しを食らいましたしね」
「脅っ……いやいや、人聞きが悪いなぁ。脅しなんてしてないよ?」
「してましたよ。思いっきり」
「……怖かった? 嫌いになっちゃった……?」
「私のためでもあるんでしょうし、嫌いになんてならないよ」
声を震わせて、瞳にはうっすらと涙さえ浮かべて、上目遣いで私の手を握る先輩。
明確なルールブックは存在しないけど、これは恐らく反則技だと思う。にも関わらず、先輩の一本勝ち。
「怖かったは否定しないんだね……」
「……えっと」
「もう怖いこと言わないからぁ、見捨てないでよぉ」
「誰も見捨てるなんて一言も言ってないよ!?」
私に対して怖いことを言ったわけじゃないし、仮に言われたとしてもギャップ萌えとして処理すると思う。
普段はふわふわしてる先輩が、自分たちに危険が及ぶと判断して笹さんに釘を刺したのは正しいし、素直にギャップ萌えです。
演技ではなく本当に不安になっている様子なので、優しく抱きしめる。
「ほら、元気出してくださいよ。キスしましょ」
「うん、するぅ」
抱きしめたまま、唇を重ねる。いつもと同じ、ふんわり柔らかくていい匂い。
流石にまだ元気が足りていないのか、舌を入れてきたりすることは無かった。
いやいや、いつの間にかログボと口にキスするのがイコールになっていて、しかもそのキスとディープキスがイコールになってしまっている。おかしい、普通は軽くキスだけするものなんじゃないのかな。
キスに軽いも重いも、浅いも深いも無いのかもしれないけど。どのキスだって、いつも私をドキドキさせてくれる。
「はい、これで今日のログボは終わりです」
「ありがとぉ。今日も明日もバイトだし、放課後デートはお預けだもんねぇ」
「そうですね。あと、そろそろ来月のテストに向けて勉強しないと」
「ログボ休止……?」
「いえ、ログボはありますよ。緊急メンテでも無い限りは」
「ないことを祈っておくねぇ」
今回も高順位をキープしたい。けど、先輩に渡すログボは休みたくないし妥協もしたくない。
下手したら、テストの問題よりも難しい問題だ。
でも緊急メンテなんてしたら、詫び石じゃ済まないだろうし。というかなんだ詫び石って。流石に現実には石は無い。
「いや、指輪とかあるか……」
「なんの話ぃ?」
「あっいえ、なんでもないです」
それは飛躍しすぎだ。それに、指輪は一緒に選んだ方が良いだろう。
「それじゃあ、今日もがんばろうねぇ」
「はい、頑張りましょう」
授業もバイトもその他の色々も、キスだけで全部乗り切れる気がした。
108日目:木曜日
今日のVentiには全然お客さんが来ない。閑古鳥が鳴くと言うけれど、どんな鳴き声なんだろう。
「今日は暇ですね……。茶戸さんも珈琲、飲みませんか……?」
「良いんですか?」
「はい……。たまには……良いじゃないですか」
ほとんど仕事をしていないのに、コーヒーブレイクを提案してくださるなんて。お言葉に甘えちゃおう。
マスターが珈琲を淹れるために厨房に入ったタイミングで、お店の扉が開いた。チリン、と鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ。……あ、一昨日の」
「どうも、こんにちは」
笹さんが、おひとりで来店した。制服のままだけど、学校終わりに真っ直ぐ来たにしては遅い時間だ。
「えっと、ここに来たのは偶然ですか? 笹さん」
「名前、知ってたんですか。先日はすみません、名乗りもせず」
「知っていたわけではないんですけど。調べた……というほどでもありませんが」
「そうですか。あ、ここに来たのは偶然ではなくて。先輩とお話がしたくて」
「私と、ですか。別に学校でも良いんですよ?」
「2年生の階に行く勇気は無くて」
それもそうか。私だって、3年生の階に行った時は緊張したし。それに有名人らしいから、余計な騒ぎを起こしたくないのかもしれない。
カウンター席に座ってもらい、話をすることになった。
「ご注文は」
「甘い珈琲とかってあります?」
「カフェオレとかどうですか? 珈琲が苦手でしたら、ココアとかもありますよ」
「じゃあ、ココアをお願いします」
「かしこまりました」
喫茶店の飲み物は基本的に高い。けど、Ventiは例外。珈琲も他店より安いし、ココアも安い。子どもの頃に連れて行ってもらった喫茶店のココアは600円くらいだったかな。
厨房に入り、珈琲を淹れている最中のマスターに注文を伝える。
「珈琲……折角淹れたので、良かったら……」
「お客さんの前で飲んでも良いんですか?」
「良いですよ……」
「では、いただきます」
湯気の立つ珈琲カップを持って、カウンターに戻る。
「すみません、先にいただきます」
「どうぞ。あの、話というのはですね。先輩……えっと」
「私は茶戸です」
「茶戸先輩、と3年生の先輩って……その、お付き合いしてるんですか?」
「ぶっ!」
飲んでいた珈琲が、良くないところに入り込んだ。
そんなことを訊かれるとは思っていなかったので、かなり動揺してしまった。滅多に後輩と関わることが無いから頑張ろうと思っていたのに、威厳も何もあったものじゃない。
「えっと……付き合ってませんよ」
「答えにくいのは承知です。でも、ただの先輩後輩とか、友だちとかじゃないですよね」
本当のことを言うのも嘘を吐くのも難しくはないけど、どうしたものかな。まだ笹さんを全面的に信用したわけじゃないし、先輩に迷惑はかけたくない。
返答を考えていると、笹さんは言葉を続けた。
「私、好きな子がいるんです。同じクラスのヤマダっていうんですけど」
「は、はぁ」
「でも、やっぱり女同士って無理かなって。事務所にも怒られるだろうし、諦めようと思ってたんです。そんな時に、おふたりを見かけました」
「一昨日に初めて見たわけじゃないんですか?」
「何度か見かけました。手を繋いで歩いたりもしてますよね」
それくらいは普通のこと、って先輩は言ってたのに。やはり、見る人が見ると『そういう風に』見えるものなのか。
別に秘密でも内緒でも、隠し通さないといけないとも思ってはいないけど、こう詰められても話す気は無い。たとえ箱が透明だったとしても、蓋を開ける義理は無いから。
「あ、ごめんなさい。ただ……その、すごいなって。羨ましいなって思っただけです。茶戸先輩のこと」
「私は、人にアドバイスができるような人間ではありません。けど、自分の気持ちだけはハッキリとさせておいた方が良いですよ」
「自分の、気持ち……」
「女同士だからとか、世間体とかヤマダさんの気持ちとか、事務所的にはとかそういう問題は、笹さんの気持ちとは別ですよね」
「私の気持ちとは別なんですかね……?」
「恐らく。自分自身の心に決着がついていなくて、腑に落ちていないから悩んでいるんですよ。どうせ無理だからって結論が出ているなら、私のことを羨ましいとは思わないでしょう」
最近になって恋を知った身分なので、恋愛について偉そうにアドバイスする権利は持っていない。
仮にも先輩として言えることは、これくらいだろうか。
華咲音先輩やお母さんと違って、誰かに何かを教えたり導こうとする経験が乏しいから、これで良いのかわからない。
「茶戸先輩。ありがとうございます」
「いえ、偉そうなことを言ってすみません」
「お待たせしました……ココアです……」
「ありがとうございます」
ココアと一緒に、クッキーの乗った小皿が置かれた。
前に他のお客さんにココアを出した時には、そんなサービスは無かったけど。
もしかしたらマスターも話を聞いていて、励ましの意味を込めたクッキーなのかもしれない。
「……美味しい!」
「それは良かったです。では、ごゆっくり」
自分の飲んだ珈琲カップを洗うために、少し移動する。
笹さんと話している間も、他のお客さんが来ることは無かった。今日はそれで良かったのかも。
女同士だからとか、周りの目とか世間体とか、考えたこと無かったな。いや、周りの目は多少気になるけど、それは別に女同士だからってわけじゃないし。
帰ったら、先輩に電話してみようかな。
なんだかとっても声が聞きたくなった。
私も先輩って呼ばれちゃいましたって話したら、どんな反応をするかな。
多分笹ちゃんはしばらく出てこないので、安心してください。




