106日目:1年生は見た
なんてことない平日。
「今月はもう、特に何もないよねぇ」
「そうですね。来月はテストがあるけど」
朝のHR前、第二理科準備室で先輩と2人。
なんだか久しぶりな気さえするけど、きっとそれほど前のことでは無いんだろう。
先輩の言う通り、今月はもう特に何も無い。
来月は後期中間テストがあるけど、胸が踊るようなイベントじゃない。
「あ、そういえばアレがあるねぇ」
「アレ?」
「ハロウィン!」
「馴染みが無さすぎて、完全に忘れてました」
両手をお化けのように下げて、舌を出す先輩。可愛いね、こんなお化けだったら真夜中に出没しても大歓迎。
何故か七夕にお菓子を貰う文化がある不行だけど、ハロウィンはほとんど定着していない。
子どもがお菓子を貰うために奔走するのも見かけないし、コスプレイベントがあるわけでもない。
「せっかくだからぁ、今年は何かしたいねぇ」
「先輩の本領発揮ですね」
「発揮できるかなぁ」
「あ、やるなら可愛いやつで頼みますよ。学祭の時みたいなやつはダメですからね」
「あはぁ。ボクも可愛いやつの方が着たいよ」
「楽しみにしてるね」
「莎楼もやってよ?」
「えっ」
自分が仮装することは想定していなかった。ネトゲーマーでどちらかといえばインドア派な私が、ユニークな怪物たちと列をなせるだろうか。
「でもまぁ、特にイベントとして開催されることはないだろうし、個人的に楽しむことになるかなぁ」
「そうですよね。自宅でする分には構いませんよ」
因みにハロウィンの日は木曜日なので、それも加味するとやはり自宅で楽しむことになりそうではある。木曜日はバイトの日だし。
先輩の可愛い仮装を見られるなら、当日だろうと日曜日だろうと、なんなら来月だろうと構わないけど。
「さて。前置きはこのくらいにしてぇ、今日のログボちょーだい?」
「はい、喜んで」
居酒屋の店員さんみたいな返事をしてしまった。
少し屈んだ先輩に、キスをする。
朝のHRが始まるまで、あと5分くらいしかない。でも、それくらいの時間さえあれば私たちは。
「んむぅ……んっ、んちゅ……」
「んっ……ぇぷ……」
軽く唇を重ねるどころか、こんなにも深いキスができてしまう。舌と舌が絡み合い、唾液が音を立てる。口の端から、元々がどちらのものかわからない唾液が垂れそうになる。
「ぷはぁ」
酸欠になって水面に顔を出す金魚のように、口を開いたまま空気を吸う。
5分よりも短い時間で、随分と乱されてしまった。呼吸とか心音とか、他にも色々と。
「そ、それでは、教室に戻りましょうか」
「はぁい」
どうして先輩は、表情も呼吸も既に整っているんだ。いや顔が整っているのは最初からだけど、そういうことではなくて。
第二理科準備室のドアを開けて、2人で一緒に廊下に出る。毎回必ず警戒しているけれど、誰かに見られたことは無い。いや、なんかこういうことを言うとフラグっぽくて嫌だな。
「わっ!?」
「えっ!?」
第二理科準備室から出た瞬間、女子生徒が近くに立っていたのを見て思わず声が出てしまった。それを聞いた彼女も大きな声を出した。驚かせるつもりは無かったんだけど、普通にビビってしまった。
改めて見ると、随分と端正な顔立ちをしている。セミロングの黒髪に、パンダの顔が印刷された髪留め。スカートは少し短めで、スラッとした長い脚がより長く見える。タイの色は黄色だから、1年生だ。
「あ、ごめんなさい。お2人の邪魔をするつもりは無くて」
「あはっ。いつからそこにいたの?」
怖い。笑顔だし声色もそんなに普段と違わないけど、いつも一緒に居るからわかる。
先輩、怒ってる。
「こ、この時間に理科室方向に行く人なんて珍しいなと思いまして、つい……」
「なるほどね。入るところから見てたってわけか」
「でも、断じて盗み聞きをしたりはしていないので……!」
「先輩、そんなに怒らないであげてください」
「怒ってないよ?」
「ごめんなさい!」
「だから、怒ってないってば。怒ってないけど、誰かに話したらどうなるかわかるよね?」
「言いません!」
「よし。それじゃあ、みーんな学年も違うわけだし、早く教室に戻ろぉ」
良かった、いつもの先輩に戻った。あの時の、2年生に対して塩対応だった先輩を思い出した。最後の台詞とか完全に脅しだったし。
先輩と別れ、何度も頭を下げる1年生も見送り、無事に教室に辿り着いた。ドアを開けて何人かに挨拶をしつつ、自分の席に座る。
しかし出るところどころか、入るところから見られていたとは。あの時間に理科室の方向に向かう生徒が目立つのは、前からわかっていたのに。
「気をつけなきゃ……」
私の独り言は、チャイムにかき消された。
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昼休み。今日は、先輩はニケさんとアラさんとご飯を食べるとのことで、私は何故かココさんと一緒にご飯を食べることになった。
教室だと落ち着かない、というココさんの意見を尊重して、いつも先輩とご飯を食べる空き教室に来た。
「どうして私を誘ったんですか。ココさんと一緒に食べたいって人、沢山居ますよ」
「でも、別に私は食べたくないしー。フリーのクグルちゃんなんて激レアだし、これを逃す手はないと思ってねー」
「別に激レアではないですよ……。あ、そうだ。ココさんに訊きたいことがあって」
「珍しいねー。何?」
そう言いながらココさんは、紙パックのレモンティーにストローを差した。
「1年生の女子なんですけど、美人でセミロングで、髪にパンダの髪留めを付けている子ってわかります?」
「別に私、情報屋じゃないんだけどねー」
「すみません、つい」
「笹黄緑。練羽高校1年3組所属。16歳、AB型。尊敬している人物は──」
「ちょ、ちょっと待ってください。ササキ……?」
情報屋と化したココさんの言葉を遮る。まさかこの程度の情報でわかるとは。検索機能のAIも真っ青ではないだろうか。
「佐々木じゃないし左々木でもないよ。笹、黄緑。芸名は佐々木翠だけどね」
「芸能人なんですか? 確かにそれも納得の顔立ちでしたが」
「クグルちゃんって面食いだよねー。読モやってるんだよ」
「めっ、面食いじゃないです! 確かに先輩の顔は大好きですけど……」
「悪いことじゃないでしょー、面食いは」
「そうですかね……」
先輩のことを顔で好きになったわけじゃないから、正確には面食いではないハズ。いや、でも勿論とっても魅力的な顔なのは事実だし、キスする時は未だに少し緊張するくらい整っているけども。
「で、どうして急に笹のことを訊いてきたのかなー?」
「えっ……とですね。朝、先輩と……2人で居るところを、見られてしまったというか」
「なるほどねー。それで弱みとか教えてほしいの?」
「名前とクラスだけで十分ですよ。ありがとうございました」
ココさんは随分と物騒な発想をする人だ。いや、恐らく冗談だろうけど。
レモンティーを飲みながら、ココさんはサンドイッチを取り出した。私もご飯を食べよう。
読者モデルで有名だから知っていただけなのか、それとも笹さんの『物語』も追っているのか、少し気になったけど訊くのはやめておこう。
「しかし、自分の通っている学校に読者モデルが居るなんて知りませんでしたよ」
「クグルちゃんは興味無さそうだもんねー。私も別に興味無いけど」
「えっ、それは意外ですね」
「今は、目の前の物語を読むのに忙しいからねー」
そう言いながら、ニヤニヤするココさん。2冊の小説を同時進行することって確かに無いし、そういう意味では普通のことなのかもしれない。
「お礼と言ってはなんですけど、三連休の話でも聞きます?」
「良いのー!?」
「そ、そんなに食いつくとは」
「誰かに話したりもしないしー、安心して話してね?」
「わかってますよ。信頼してますし、脅したりもしません」
「笹のことも脅さないであげてね?」
「そんなことしませんよ、私は」
悪意のある人には見えなかったし、まさか今日のことがきっかけで大変なことが起きたりはしないよね。
いや、楽観的すぎるだろうか。
これがまさか、あんな事件を招くことになるなんて……みたいな、不穏なナレーションが流れていないことを祈ろう。
次回、この1年生は物語に関わるのか?もう出てこないのか?
 




