103日目:あなたにふれて(前編)
告白後、初のお泊まり。
昨日も何度も働いてくれたハンディクリーナーを再びコロコロと転がしていると、インターホンの音が私を呼んだ。
今までに無いくらい綺麗にした部屋を出て、急いで階段を下りる。モニターは確認していないけど、先輩だと確信してドアを開ける。
「おかえりなさい」
「ただいまぁ。久しぶりだねぇ、このやりとり」
「泊まるのも久しぶりだと思っていたんですけど、先々週に泊まってましたね」
お泊まりをして、ライブに行って、修学旅行があって100日目があって、色々あって先輩の三者面談も終わって今日だ。
約2週間の間に、色々なことが起きすぎた。イベント過多で、ネトゲだったら逆に叩かれているレベル。
「そういえばそっかぁ。あ、お義母さんは?」
「今日は仕事で居ません」
「じゃあ、2人っきりだねぇ」
「そ、そうですね」
そんなに珍しいことではないのに、改めて言われると変に意識してしまう。
まだ付き合ってはいないけど、告白してからのお泊まりは初めてだし。先輩も付き合いたいって意味で好きって言ってくれたし、両想いではあるわけだし。
ずっと心の中で育ち続けていた言葉が外に出ただけで、どうしてこんなにも違うのだろう。今までだって胸が高鳴っていたけれど、今日のそれは桁違いだ。
「……なぁに。なんか緊張してない?」
「えっと。これが恋だと認めてから初めてのお泊まりなので、ぶっちゃけ緊張しています」
「あはぁ。別に何も変わらないと思うけどなぁ」
「いや、結構違いますよ。そ、それに……先輩の口から付き合いたいってちゃんと聞いたの、初めてだったし」
「そうだったっけ」
「そうですよ。多分」
学祭の時に関係性にこだわりは無いって言っていたし、結婚したいとかはいつも言っていたけど冗談の一種にしか聞こえなかったし、付き合える可能性に喜んでいたりもしていたけど、明確に付き合いたいと言われたことは無かったハズ。
玄関でいつまでも立ち話をしているのも変なので、一緒に階段を上る。
部屋のドアを開けると、薔薇の香りが私と先輩を歓迎した。
「あっ、薔薇飾ってくれてるぅ!」
「はい。流石に本数が多かったから、全部は飾れなかったけど」
「うれしぃなぁ。実はあの花束はね、ママが置いていくお金で買ったんだぁ」
「そうだったんですね」
絶対に手をつけないと言っていた、あのお金のことだろう。トータルでどれだけあるのかは不明だけど、かなりの金額のハズだ。
「役に立たないプライドを捨ててさ、ちょっとはボクも成長したってことだよ。いつか、自分で稼いだお金で花束を贈りたいけどね」
「ふふっ、楽しみにしています。でも、今度はもう365本の薔薇とかじゃなくても良いからね」
「はぁい」
2人でベッドに腰かける。何度もハンディクリーナーをかけたから綺麗だと信じている。自分の髪の毛ひとつさえ残っていない。
右隣に座った先輩が、私のふとももに左手を乗せる。細い指が、むにむにと優しく揉んでくる。ちょっと気持ち良い。
「……莎楼。ちゅーして」
「は、はい。……ん」
「んちゅ……んむ」
「ぇろ……んぷ、んっ……」
先輩の舌が、飴でも味わうみたいに口内を蹂躙する。舌と絡んで、歯の裏を舐められて、また舌と繋がる。
先輩の手がふとももから離れたと思った次の瞬間、ベッドに優しく押し倒された。一瞬離れた唇が、またすぐに私の口をふさぐ。
「んっ、せ、せんぱ」
「んちゅ、んぷっ」
私に乗っかかる形で、先輩の体重や匂いがダイレクトに伝わってくる。別に逃げる気も押しのける気も無いけど、気がつけば先輩の両手は私の両手を押さえつけていた。
「先輩……んむっ」
「ねぇ莎楼」
唇が離れたと思ったら、今度は口に指を入れられた。親指と人差し指で、舌をつままれる。心臓の落ち着く暇が無い。
「ふぁ、ふぁい」
「ごめんね」
「……?」
「100日目のこと。ちゃんと謝ってなかったから」
「ふぇっ、ふぉんな……んにっ」
最後に舌を軽く引っ張って、先輩の指は私の口内から撤退した。先輩は、私のよだれで濡れた指を舐めた。なんで舐めたんだろう、意図は読めないけどドキッとした。
「君は優しいから許してくれたけどさ、やっぱりボクはまだ……」
「こんなに激しいキスをしておいて、何を言ってるんだか」
「え、えっとね」
「良いんだよ。もう終わったことだし、どんな先輩でも好きだから」
一生付き合えなかったとしても。私じゃない誰かと幸せになる未来を選んだとしても、きっと私は先輩のことが好き。
「莎楼ぅ」
「わっ、ちょっと先輩」
私の上に覆いかぶさったままの先輩に、強く抱きしめられた。先輩の心臓の音が聞こえる。
「……ねぇ莎楼」
「なに、先輩」
「好き」
「私も好きだよ」
甘い匂い、顔に触れる髪の毛のくすぐったさ、大きな胸が私の胸の上でつぶれる感触。先輩の背中に手を回して、ぎゅっとしてみる。包み込まれていることに、幸せを感じる。
あなたにふれている時が、きっと一番満たされている。
「先輩、そろそろどけて?」
「やだ」
「重た……くはないんだけど、同じ体勢はちょっとキツくて」
「じゃあ、横向きになろ。ごろんして?」
抱き合った状態で、横向きになるように転がる。先輩の部屋のベッドだったら何回転もできるだろうけど、私のベッドの大きさでそれは厳しい。
「顔、近いねぇ」
「ドキドキするんだけど」
「もっかい、ちゅーしよ」
「キスだけで止まってね?」
「……止まれなかったら、きらいになっちゃう?」
「なるわけないって返事するのを、わかってて訊いてるよね。華咲音先輩って本当にズルい」
「ズルい?」
「可愛いって意味だよ、もう」
抱いていた両手を離して、右手を先輩の後頭部に当てる。少し汗ばんでいる、10月にそぐわない熱が手の中にある。
目を閉じずに、唇を重ねる。そこに神経が集中している間に、先輩の手が隙だらけの部分に伸びても怒るつもりは無い。
けれど、言葉とは裏腹に先輩はただキスにだけ集中していた。先輩のおばあちゃんの家に泊まった時もそうだったけど、許可が出ていても我慢できるようになっている。
「ふぅ。これで満足ですか、先輩」
「とりあえず、今は満足かなぁ」
「じゃあ、お昼ご飯にでもしましょうか」
「なんか作ってくれるのぉ?」
「Ventiで食事でも良い? 夜は作るので」
「いいよぉ。まずは、外に出ても平気な顔に戻すところから始めよっか」
「私が? それとも先輩?」
「君から見て、ボクの顔もふにゃふにゃになってる?」
「ふにゃふにゃでも美人ですよ」
喜怒哀楽の何処をどう切り取っても美しい。
録画していた番組を観ている時に、早送りすると女優さんでも変な顔になってしまったりするというのに、先輩ときたら常に隙無しで完璧に整っている。好きしかない。
「莎楼がそう言ってくれるなら、そうなんだろうねぇ」
「美人が不満なら、私好みの顔ですって言い換えておきます」
「それは嬉しいなぁ」
「なら良かった」
外に出ても問題無い部屋着の上から、パーカーを羽織る。財布だけ持って行けば良いかな。
「それじゃ、行こっか」
「はい」
少し気が早い気がするけど、手を繋いで部屋を出る。
外に出てからも繋ぐだろうし、それはきっとこれから先もずっとそうなんだろうな。
こうやって先輩にふれて、熱を感じて、ぬくもりを覚えて。
もっと踏み込んで、強弱も善悪も正誤も抱きしめて、この手みたいに握りしめていこう。
先輩と私のログインボーナスは、まだまだ始まったばかりなんだから。
次回、夜はどうしようか。




