100日目:百に合う日
3泊4日の修学旅行も無事に終わった。
先輩風に言うなら、『ダイジェストでお送りする』べきだったのかもしれないけれど、ログボと関係が無い話を長々とするのは良くないだろう。
空港から各自の自宅付近に向かう貸切バスに乗り込み、当たり前のように隣に座ったココさんと話をすることになった。
「あっという間だったねー。楽しかった?」
「おかげさまで。ココさんと部屋が同じだったのも良かったです。気を遣わないで済むので」
「クグルちゃんは、私に気を遣ってないんだねー。やっぱり、素敵な主人公だね」
「よくわかりませんが、私からすれば貴重な存在なんですよ」
「私からしても、クグルちゃんは貴重な存在だよー。セイナとシオリですら、私のことを何か特別な……人間の枠の外に居る生き物、みたいに見ている節があるもん」
それは正直に言うとわかるというか、心の中や未来さえ見通されているような気がして、そういうところを特別視されるのは納得できる。
でも、接していく内にココさんも普通の女の子なんだって思えてきた。仮に、本当に未来を見透かす能力を持っていたとしても。
「確かにココさんは超人じみている節がありますが、普通ですよ普通」
「ありがとうー。そういえば、今日って先輩に会うの?」
「会おうと思ってます」
「結果報告、楽しみにしてるねー」
「えっ、なんでそこまでお見通しなんですか?」
「瞳の奥に、覚悟の炎が燃えているから。……なんてねー」
前言を撤回しないといけないだろうか。ココさんは、普通の女の子じゃないのかもしれない。
「でもクグルちゃんなら大丈夫じゃない? ほら、恋占いの石も無事にクリアしてたし」
「ココさんはやりませんでしたね。まぁ、予想はしていましたが」
「うん。だって私は、恋をしないからねー」
「……したことがない、ではなく、しないと断言するんですね」
「まー、死ぬまで絶対に恋をしないとは限らないけどさ。私は見るだけで十分」
刑事ドラマを観ても警察に憧れるとは限らない、って前に言っていたのを思い出した。
ココさんは恋の物語を観測する読者だけど、自分自身がその物語の舞台に立つことは無いんだ。でも、それを悲しいとか寂しいと思っているようには見えない。
私も、先輩に恋をするまではそうだった。
ココさんの気持ちはよくわかるし、一切否定するつもりも無い。きっとココさんのコップの中の水は、一人でも満たせるのだろう。
「ハッピーエンドになるように、祈っておいてください」
「両想いなんだから、大丈夫だと思うけどねー」
「……そうだと、良いんですけど」
車窓の向こうでは、日が暮れ始めている。
告白をする場所を何処にするか、実はかなり悩んだ。
第二理科準備室は雰囲気的に良くないし、どちらかの家というのも変だし、初めてキスをしたファミレスでは落ち着かない。
そこで、個人的に因縁のある場所に先輩を呼んである。とは言っても、流石にまだ待ってはいないだろうけど。暗くなる前に着けば良いけど、私が焦っても仕方がない。
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午後6時。夏ならまだ明るかっただろうけど、流石に10月にもなると薄暗い。ギリギリ夕方を名乗れる程度には明るさを認められる。
着替えやお土産の入った大きな鞄は家に置いてきた。あるのは、先輩に渡すお土産の入った紙袋だけ。
「あ、莎楼!」
「お待たせしました、先輩」
石で出来た階段を登りきり、ほんのりと光る灯篭に照らされる先輩を見つけた。綺麗だ。
あの時、一度口にしたけれどまた自分の中に戻ってきてしまった言葉を。
花火にかき消された言葉を伝えるには、やっぱりここしかない。
「まさか、神社で待っててくださいって言われるとは思わなかったよぉ」
「100日目のログインボーナスを渡すのに、一番相応しい場所だと思ったので」
「京都から帰ってきたから神社、とか?」
「いえ、えっと……その、もう渡しても良いですか?」
「うん。ずぅっと楽しみにしてたから、いつでもいいよぉ!」
サンタさんが来るのを待つ子どものような、飼い主の帰宅を待ち焦がれる忠犬のような、そんなウキウキとしたテンションと輝いた瞳に、ほんの少し躊躇する。
本当に先輩が欲しい言葉が『これ』とは限らない。でも、期待を裏切ることになったとしても、これ以上自分を騙し続けることは不可能だ。
「……今日は」
学園祭の時みたいな。
「そんな顔もしませんし」
夏祭りの時と違って。
「花火も上がりません」
手足の先が冷えていく。呼吸が上手くできない。
心臓が嘘みたいに暴れる。境内の木々の葉が擦れる音さえかき消す程の、冗談みたいな音量。
真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに先輩を見つめる。
さっきまでの無邪気な笑顔ではなく、私の言葉を聞き逃さないとでも言うような、真面目な表情の先輩を。
ずっと胸の奥につかえて、頭の片隅を支配して、喉の手前で生まれるその日を待っていた言葉を。今、ここで伝えるんだ。
「華咲音先輩、大好きです。私と…………私の、恋人になってください」
言った。言えた。
やっと言葉にできた。
はっきりと、私の初恋を先輩に届けることができたんだ。
「……ごめん」
「え……?」
「今は、付き合えない」
血の気が一気に引いていく。止まってしまったのかと思うほど、心臓が静かになった。
絶対に断られることがないとか。
両想いだから大丈夫だとか。
ずっと先輩は待っていてくれるとか。
勝手に思い込んでいた自分が恥ずかしい。
「……そう、ですか。遅かった、よね」
「ちっ、違うの。あのね」
告白なんてしなければ、ずっとログボを渡す関係で居られたのに。
最初から、先輩の私に対する好意は恋ではなかったのだろうか。
それとも『今は』ってことは、もっと早くに伝えていたら違ったのかな。学祭の時に言っていたら。夏祭りの時に言い直していたら。何か違っていただろうか。
人生にifは無い。何度も思い知ったその事実に、頭を殴られる。
「……今まで、ありがとうございました」
「莎楼! ま、まって!」
先輩の声が聞こえる。
未練がましく、振り返ってしまいたい。
足を滑らせたら死に至るくらい長い石段を、慌てて駆け下りる。
先輩はまだ叫んでいるのだろうか。
それとも、必死に追いかけてきているのだろうか。
一度も振り返らず、がむしゃらに走る。渡せなかったお土産の入った紙袋が、音を立てて暴れる。
久しぶりの全力疾走に、肺が悲鳴を上げる。口の中に血の味が広がる。
「はぁっ、はぁっ、はっ……」
整わない呼吸、まとまらない思考。実感すら湧いていなくて、悲しいとさえ思えない。汗は流れ落ちていくのに、涙は一滴も出てこない。
「……先輩は、もう私のこと、好きじゃ、なかったんだね」
頭と心から溢れる言葉が、自然と口から出ていく。
人生で初めての、もしかすると最後かもしれない告白は。口にしてしまえば一瞬で、100日の積み重ねは水泡に帰した。
「でも、これは……恋だった。初めての、恋だったんだよ」
もう、キスすることも。
優しく抱きしめられることも。
面白い話も、他愛ない会話をすることも無い。
あの笑顔も、もう見れないと思うと。
「寂しいよ、先輩」
遅れてやってきた感情が、途方もない喪失感を埋めるように溢れる。
先輩の声は、聞こえない。




