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99日目:旅立つ前の日に

修学旅行前日、放課後デートです。

「本当に、行っちゃうの?」


 捨てられた子猫のような表情で、私の制服の袖を掴む先輩。

 全くと言っていいほど力はかかっていないのに、そのほんの少しの引っ張りだけで身動きが取れない。


「い、行きますよ」

「ボクのこと、置いて行っちゃうの……?」


 声も掴む手も震わせて、上目遣いで私の目を真っ直ぐに見つめる先輩。

 今すぐにでも抱きしめたい衝動を必死に抑える。


「だっ、だって……修学旅行ですから!」

「あはぁ。茶番に付き合ってくれてありがとぉ」


 放課後。修学旅行前日でもある今日は、お互いバイトが休みなので適当に戸毬(とまり)をぶらついている。


 修学旅行の準備も済んでるし、買わないといけないものも特に無い。

 持って行くものを選抜する過程では、北海道旅行の時の経験が役に立った。


「茶番って……。まぁテスト前の時とかに比べたら、会えない日数は格段に少ないですもんね」

「そうだねぇ。でも、会おうと思えば会える距離にいないのは初めてかも?」

「旅行も一緒だったし、確かにそうかもしれませんね」


 思い返せば、ずっと一緒に居た気がする。

 勿論そんなことは無くて、会わない日もログボが無い日も、言葉を交わさない日も唇を重ねない日もあった。


「さびしくなるなぁ」

「いや、そんな遠くに引っ越すみたいに言われても。あ、夜とか電話します?」

「向こうでってこと?」

「はい」

「うーん。嬉しいお誘いだけど、そこまで邪魔するほど野暮じゃないよぉ。ボクのことは気にしないで、楽しんできて?」

「では、そうします」


 寝る前とかにこっそり電話しようと思っていたけど、先輩がそう言うならやめておこう。


 ホテルの部屋割りは、まさかのココさんと一緒になった。

 クラスの皆にはかなり羨ましがられたけど、ココさんのことを尊敬したり、羨望の眼差しを向けたりしていない身からすれば、何がそんなに羨ましいのかわからない。


 いや、不服とかではなく。むしろ、クラスで気を遣わずに話せる数少ない存在なので嬉しいし。単純に素朴な疑問というか。


「明日の準備は終わってるの?」

「うん。もうバッチリですよ」

「偉いねぇ。ボクはギリギリまで準備が終わらなかったよ」

「へぇ。なんか意外です」

「そう?」

「うん。そういうのは早めに済ませてそうなイメージ」

「君との旅行の準備なら、すぐに済ませるけどねぇ」

「……修学旅行よりビッグイベントだなんて、光栄です」


 思わず顔がにやけてしまう。すっかり仕事を放棄している表情筋を責めることは止めて、よく笑うようになったねと褒めてあげよう。心の中で。


「君と一緒の時に発生するイベントだったら、なんでも全部大きいよ」

「な……なんでもですか?」

「うん。旅行とかじゃなくても、今みたいな放課後デートも特別だよぉ」

「期間限定クエストだけではなく、常設も楽しんでいただけているようで……えっと、いや回りくどくてすみません。私も、日々が眩しくて特別だと思ってます」


 ログボに引っ張られて、ついゲームで喩えてしまう。先輩もたまにそんな感じのことを言うけれど、多用するのは控えようと思う。


 幸せの青い鳥じゃないけど、幸せというものは案外近くにあるというか、何気ない日常こそが特別というか。


 ログボを渡し始めた頃なんて、特にそう思っていた。代わり映えのしない日々が輝き始めた、って。忘れないようにしよう。


「さて。適当に歩いてきたけどぉ、そろそろどっかに入る?」

「そうですね。……あ、見てください。ピアノが置いてありますよ」


 前にここを歩いた時には無かった、立派なピアノが置いてある。『ご自由にお弾きください』と書かれた立て看板もセットで。


 近くに楽器屋さんも無いし、誰がどういう意図で置いたのかはわからない。町興しの一環だったりするのだろうか。


「ピアノかぁ。ちょっと弾いてみよっかな」

「先輩、弾けるんですか?」

「うん。まぁ久しぶりだけど」


 小学生の頃に沢山習い事をしていたって前に言ってたし、ピアノもそのひとつなのかもしれない。


 中学生の頃に授業で習ったリコーダーが限界だった私にとって、ピアノを弾けるというのはそれだけで尊敬に値する。


 ゆっくりと鍵盤蓋を開けて、懐かしむように鍵盤に触れる先輩。数回音を出してから、うんうんと首を縦に振る。


 瞬間。滑らかに、液体というか別の生き物のように指が動いて、何処かで聴いたことのある音楽が鳴り響く。

 クラシックには疎いけれど、モーツァルトやショパン辺りの音楽だと思う。詳しい人に怒られかねないアバウトな情報で申し訳ない。


「先輩、これはどなたの楽曲でしたっけ」

「モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』だよぉ」

「あ、モーツァルトであってた」

「じゃあ、次はもっとわかりやすいやつにするねぇ」


 そう言って先輩が弾き始めたのは、この前聴いたばかりのものだった。なるほど、これなら確かにわかる。アンヒアの『ショートショート』だ。


 アップテンポで音数の多い曲で、しかも先輩がピアノを習っていた頃には存在していなかった歌なのに、こうも上手に弾けるなんて。本当に凄い。


 ふと周囲を見ると、ピアノの音に誘われて集まってきた人々に囲まれていた。ピアノの真横に立って、先輩だけを見つめていたから気付くのが遅れた。


 同じ制服を着ている男女や、子ども連れの母親、スマホをこちらに向けているお姉さんなんかも居る。


 制服姿の先輩がピアノを弾いている動画なんてSNSにアップされたら、あっという間にバズってしまう。ダメですよ盗撮は。


「ねーねーおねぇちゃん!」

「ん。なぁに?」


 母親の手を振りほどいた女の子が、先輩に話しかける。黄色い帽子に水色のスモックという服装から察するに、幼稚園児だろう。


「『まんなカぐらし』の映画のお歌、ひける?」

「あはぁ。君もまんなカが好きなんだね。いいよぉ、弾いてあげる」


 私はまんなカぐらしのことをよく知らないけど、子どもの笑顔の理由くらいはわかる。


「すごいおねぇちゃん!」

「ありがとぉ」

「す、すみません。うちの子が……」

「大丈夫だよ。リクエストありがとぉ」

「また今度きかせてね!」

「いいよぉ。また機会があったらねぇ」


 笑顔で元気よく手を振る子どもに、同じく笑顔で手を振り返す先輩。それを見て、自分が幼稚園に通っていた時の記憶が突然フラッシュバックした。さながら走馬灯。


「さて。なんか人も集まってきちゃったし、そろそろ行こっか」

「そうですね。十分に楽しませてもらいました」

「それは良かったぁ」

「先輩、保育士さんとか向いてるんじゃないですか?」

「どうしてぇ?」

「子どもへの接し方とか、あとピアノも上手だし。自分が幼稚園に通っていた頃を思い出しちゃいましたよ」

「へぇ。ボクみたいな先生がいたの?」

「似ているというわけではないんですけど。優しくて胸が大きくて、エプロンの匂いがとても素敵な先生が居ました」

「そっかぁ。素敵な思い出だねぇ」


 口にしてみると先輩に似ている気もしたけど、根本的には似ていなかったと思う。


 集まっていた人たちの拍手に見送られながら、駅に向かって歩き出す。動画を撮っていたお姉さんはもう居なかった。


「動画撮られていたっぽいですけど、注意した方が良かったですかね」

「大丈夫だよぉ。ボクなんかがピアノを弾いている動画が、注目されるとは思えないし」

「いや、確実にバズり散らかしますよ」

「えぇ? 過大評価しすぎだよぉ」


 私も動画を撮っておけば良かったな。

 特等席で網膜に焼き付けるだけでは物足りないと感じるなんて、強欲すぎるだろうか。


 すっかり日が傾くのが早くなった。伸びる影も、秋の長さになっている。


「暗くなってきましたね」

「そうだねぇ。……帰ったら、水曜日まで会えないね」

「火曜日に帰ってきますし、その時に会っちゃう?」

「いいのぉ!?」

「疲れていたらごめんね」

「ううん、会えそうだったら連絡して?」

「はい。そうします」


 次に会う時は、ログインボーナスが100日目を迎える。


 そこで私は、全てを伝える。

 ピアノが弾けなくても、想いの全てを伝えることはそんなに難しくないハズだから。


 旅立つ前の日に、帰ってきた時のことを考えるなんておかしいかな。


「ねぇ、先輩」

「ん?」

「いい子で待っててね」


 もうすぐ駅に着くというタイミングで、先輩の唇に軽くキスをした。きっと誰にも見られていないとは思うけど、そんなことはどうでも良かった。


「うん。待ってる」

「少し早いけど、いってきます」

「少し早いけど、いってらっしゃい」


 ギュッと手を握り直して、駅に入る。


 次に会う時が、今から楽しみで仕方がない。

 表情筋が仕事を放棄していることについては、どうか触れないでほしい。

次回、100日目。

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[一言] ついに次回が100日目!
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