95日目:セプテンバーラストワン
9月最後の日。
学校の始まりを告げる月曜日にして、9月の終わりを告げる日。
今日で9月も終わり。なんだか8月よりも早く感じる。
テスト期間とかでログボが少なかったし、夏休みと比較して体感時間が短いのは当然と言えるかもしれない。
そんな今日。というか今。
久しぶりに第二理科準備室に足を踏み入れた。
「おはよぉ、莎楼」
「おはようございます、先輩」
「今日で9月も終わりだねぇ」
「そうですね。あっという間でしたね」
「そんな今日はね、君にプレゼントがあるんだぁ」
「プレゼント?」
先輩がカバンから取り出したのは、オレンジ色の花弁が描かれた、可愛らしいパッケージのリップクリームだった。キンモクセイの香り、と書いている。
「わっ、金木犀ですね」
「うん。この前気になってるって言ってたからさぁ」
「これは、なんのプレゼントですか?」
「なんの……? 莎楼が喜ぶかなぁって思って買っただけだよ?」
「えっ嬉しすぎる……。ありがとうございます」
喜びのあまり、先輩に抱きつきたい衝動を必死に抑える。同じクラスの女子みたいに、高い声を出して全身で喜びを表現するべきだろうか。
「喜んでもらえてよかったぁ。ほら、ログボの最初の頃はリップを塗ってたりしてたでしょ?」
「そういえば、いつの間にかしなくなってました」
「これなら香りつきだし、キスの時にいいかもって」
「……では、早速使いますね」
「うんっ」
シールを剥がして、箱からリップクリームを取り出す。
白地にパッケージと同じようなオレンジの花弁が描かれていて、この筒の部分がキャップになっている。口紅みたいだ。塗ったことないけど。
白くて細いリップクリームを唇に当てて、二周ほどさせる。一瞬で潤って、しっとりとした感触がよく馴染む。
軽く息を吸うと、それだけで口内に甘い匂いが入ってきた。これが金木犀の香りか。
柑橘類に似たフルーティーさと、少しバニラっぽさを感じさせる甘さ。本当に凄く良い匂い。
「じゃあ、するね」
「はぁい」
ゆっくりと近づいて、先輩のやわらかい唇にキスをする。今の私の唇も、先輩に負けないくらいぷるんとしているハズ。
しっとりと吸い付いて、金木犀といつも通りの先輩のいい匂いが混ざり合う。ヤバい、想像していた以上に鼻腔に突き刺さる。
先輩の舌が、金木犀の味を確認するみたいに私の唇を舐める。
舌先で二回、つんつんと軽くノックされる。それに応じて、戸を開く。お客様を歓迎するみたいに、自分の舌も絡ませながら。
「んっ……ぷぁ……」
「ちゅっ……ぅん……」
狭い第二理科準備室に、荒い呼吸と唾液の音が響く。
いつもより長いと思う。塗った分のリップクリームは、全部先輩に食べられてしまった。
「ぷはっ。はぁ、これくらいで勘弁してあげるよぉ」
「どういう台詞ですかそれは……。まぁ、満足したなら良いけど」
「いい匂いだね、キンモクセイ」
「もう、途中からそれどころじゃなかったけど」
「あはぁ。今週はいっぱいキスしてもらうから、覚悟しておいてねぇ」
「はい。覚悟しておきます」
修学旅行前だし、それくらいは想定内だ。
素敵なプレゼントも貰ったし、少しでもログボで返していこう。
ドアを開けて、それぞれお互いの教室に向かう。
まるで何事も無かったかのように、何も起こっていないかのように振る舞いながら。
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「クグルちゃん、なんかいい匂いがするね」
「えっ、えっ……え?」
「そんなに混乱するー?」
今日は一時間目から修学旅行の話し合いになり、机を合体させて班ごとに分かれている。
そんな中で、ココさんにとんでもなく鋭いことを言われた。
「えっと、リップクリームなんですけど」
ポケットから取り出すと、意外にも左々木さんが反応した。
「へぇ、金木犀か。不行には咲かないし、良いね」
「というか、リップの匂いがわかるとかココ凄いね?」
「えー? 別に凄くないよ。セイナはシャンプーとか洗剤を絶対に変えないし、シオリは頻繁に変えてるけど毎回気づいてるよ?」
「いや、それは嗅覚が鋭いって認識で良いやつ?」
「ストーカーみたいに言わないでよー」
「あの、話が脱線しています。京都の自由時間、何処に行くかを早くまとめましょうよ」
真面目な委員長キャラでもなんでもないので、本当はこんなこと言いたくは無いんだけど。
ココさんではなく私を班長にしたのは、こういう役目を担わせるためでもあったのかな。
「私の行きたい伏見稲荷大社は行けるー?」
「そこを起点として考えますか。そうなると、銀閣寺の方が行きやすいですね」
「セイナは金閣寺に行きたいんだけど!」
「諦めて」
「うぅ……」
五十右さんを諌める左々木さん。本当は全員の希望に応えたかったけど、時間と距離のことを考えると中々難しい。
「杯さんは、何か希望はありますか」
「私も伏見稲荷大社に行きたいと思ってたから、それ以外はお任せするよ」
「そう、ですか」
「クグルちゃんは行きたいところ、無いのー?」
「私は……。わ、笑わないですか?」
「笑わないよ」
全員が、真顔で私の顔を覗き込む。余計な前フリをしてしまった、と内心後悔する。
「……地主神社に行ってみたくて」
「セイナも行きたい! 恋愛成就のさ、なんか……石があるところだよね?」
「そ、そうです」
「でも、伏見稲荷大社から離れてるよね」
「そうなんです。だから、今回は」
「いや、地主神社を優先しようよー。目をつぶって石に向かうところ、見てみたいし」
ココさんの目の色と声色が少し変わった、気がする。
誰のを見たいとは言及しなかったけれど、きっと彼女の世界の登場人物たち全員を見たいんだと思う。
ココさんが挑戦するところも見てみたいけど、きっとやらないんだろうな。
「では、地主神社と銀閣寺は決定で。時間があれば伏見稲荷大社に行きましょうか」
「りょうかーい。後は決めることある?」
「電車の時間の確認とかですかね」
「そこら辺はウチがするよ。なんでも茶戸さんに任せるのは申し訳ないし」
「シオリがやるなら、セイナもやるよ!」
「はいはい、それじゃ後で一緒に調べよ」
こうして、修学旅行前の計画が一応は無事に終わった。
まさか、私の意見……というかワガママが通るとは思わなかった。少し前の私なら、恋愛成就の神社に行きたいなんて思いもしなかったろうな。
先輩に訊かれても、何処に行くかとか何処に行ったかは内緒にしよう。少なくとも、告白するまでは。
次回から、10月編突入。修学旅行前なのでさらっとお送りします。




