92日目:メンテ明け、アプデ後(後編)
いっぱいキスする日。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい」
本当の家族のように、或いは喫茶店の常連さんのように、先輩とおかえりただいまをする。
もうお互いに照れも驚きも無く、本当に自然にやり取りできるようになった。
「お昼ご飯ってまだだよねぇ?」
「はい。面倒なので、カップ麺で済ませようかと思っていたのですが」
「そっか。あ、お義母さんは?」
「まだ仕事中です。先輩もカップ麺、食べます?」
「もらってもいいのぉ?」
「うん。そんな大したやつじゃないけど」
たまに切らしてしまうけど、今日はカップ麺のストックが多く残っていた。
昔は徹夜でネトゲをしている時のお供に、夜食としてよく食べてたっけ。
それでもあの頃は太らなかったのに、今はどうしてしまったというのか。幸せ太りってことにしよう。この言葉は大変に便利で危険。
二人でキッチンに移動して、戸棚からカップ麺を取り出して先輩に見せる。
「私はうどんにします。先輩は?」
「ボクはそばにしようかな」
「では、お湯を沸かしますね」
「じゃあ、フタ開けとくねぇ」
コンロの火をつけて、ヤカンを乗せる。我が家はガスだけど、IHの使い心地が気になったりする。
先輩がうどんとそばの蓋を開けて、そばの天ぷらを取り出してから粉末をサラサラと入れるのを見る。あとのせ派か。
あ、失敗したな。うどんはそばより待ち時間が二分も長い。
いや逆に考えて、二分間も先輩が食べているところをただ眺めていられるという利点があるな。
「ヤカンで沸かすんだねぇ」
「先輩は電気ケトルですか」
「うん。すぐに沸くし、そんなに量もいらないから」
「なるほど」
そういえば、確かに先輩の家のキッチンには電気ケトルが置いてあった。
「あとね、火を使わなくてもお湯が沸かせるからかな。子どもの頃から一人でカップ麺とか食べてたし」
「……なるほど」
まさか、そんなところに幼少期の地雷があるとは思いもしなかった。
先輩が風邪を引いた時に作ったうどん、すごく喜んでくれてたもんな。
「あっごめんね? 別にそんな、暗い話をしたかったわけじゃなくてぇ」
「大丈夫、わかってますよ」
いつか先輩が過去の話をする時、その内容が楽しいものばかりになれば良いと思う。
それにはヒアさんだったり、ニケさんとアラさんが登場したり、もちろん私も出てきて彩ることができたら嬉しい。
シュンシュンと音を立てて、やかんから白い蒸気が立ち上る。それを合図に、そばとうどんにお湯を注ぐ。
やかんを戻しに行く間に、先輩は蓋を固定しておいてくれた。しかも、スマホのタイマーで五分を計り始めている。
細かな気遣いとその素早さに、心の中で感嘆の声を漏らす。
「ボクね、カップ麺の中で特に完成度が高いのはうどんとそばだと思うんだぁ」
「と、言うと」
「カップ麺のラーメンって、ラーメンかなぁって疑問に思っちゃうことがあるんだけど、うどんとそばは自然に受け入れられるんだよね」
「それはわかります。スープも出汁が美味しくて完成度が高いですよね」
「うん。ピザと宅配ピザが別物であるように、ラーメンとカップ麺にはそれぞれの良さがあるよねぇ」
「ラーメンじゃなくて、あのカップ麺が食べたいってなる瞬間があるもんね」
「あるあるぅ」
そんなカップ麺談義をしている内に、タイマーの残り時間が二分になった。
「それじゃ、お先にいただきまぁす」
「どうぞ」
蓋を全部剥がして、ふーふーしてから麺をすする先輩。うん、やっぱり眼福。
そんな私の視線に気がついたのか、手を止めて麺を飲み込んでから先輩は口を開いた。
「そういえば好きなんだっけ、ボクが麺類を食べてるのを見るの」
「そっ、そうですけど……」
「それでカップ麺にしたの?」
「いえ、そこまでは考えていませんでした」
「ふーん」
本当に、それを狙ってカップ麺を提案したわけではなかった。手軽だし、早くログボを渡せるし良いかなって思っただけで。
まだ疑いの目を向けてくる先輩のスマホから、五分が経過したことを告げるタイマーが鳴り響いた。助かった。
「あ。五分経ったよぉ」
「はい、ありがとうございます」
蓋を剥がして、箸で麺をほぐす。
いざすすろうとしたタイミングで、先輩からの熱視線を感じた。
「今度は、君がすすってるところを見てやるぅ」
「めっちゃ恥ずかしいんですけど」
「ボクもずっと見られるのは恥ずかしいんだからね!」
「は、反省します……」
チラ見する程度に抑えてほしい、という先輩のメッセージを受け取った。
確かに、見られていることを意識しながら食事をするのって難しい。食べる時って、独りで静かで豊かでないといけないらしいし。
でも私は、独りなのも静かなのも好きじゃない。先輩と仲良くなる前は、独りで静かな方が救われていたハズなのに。
「反省したならさ、ボクのお願いをきいてくれる?」
「今日のログボですか」
「うん。テスト期間中、いーっぱい我慢したからぁ。いーっぱいチューしてほしいんだけど」
「い、いっぱいですか」
「うん。ログボが休みだった分さ、いっぱいしてほしいの」
「キス……だけで止まれます?」
「……?」
「え、いや、なんですかその意味わかんないみたいな表情」
「トマレルヨ?」
「もしそうなら、流暢な日本語でお願いします!」
「あはぁ。大丈夫だよぉ、君に嫌われるようなことをするわけないじゃん」
今の私は、先輩に押し倒されて組み敷かれたとしても、文句のひとつも言わないと思う。
でも、それを先輩に教えるのはまだやめておこう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまぁ。それじゃ、莎楼の部屋にれっつごー!」
「き、気が早い……」
スープの飲み干された容器もそのままに、一緒に階段を上る。
なんだろう、いつも通りキスをするだけなのに、いっぱいするって宣言されただけでドキドキが止まらない。
普段からドキドキはしてるけど。
「おじゃましまぁす」
「どうぞ」
勿論、部屋は片付いている。
今日誘うつもり満々だったから、昨日の夜の内に綺麗にしてある。
いや、仮にもテスト最終日に何をしているんだって言われるかもしれないけど、テスト前だからこそ掃除が捗ったというかなんというか。
私より先にベッドに座った先輩が、右手で軽く布団を叩く。
「おいで」
そこに座ると、先輩は私を抱き寄せてキスをした。
「んっ……」
「ちゅ……っ……ん」
口の中が出汁の味になっていないか不安だったけど、少なくとも先輩からは先輩の味がする。
「ぷはっ」
「息継ぎは済んだぁ?」
「え、ちょっ」
私の身体が、ゆっくりと布団とベッドに沈む。それを追うように、先輩が覆い被さる。
あれ。押し倒されて組み敷かれてる。
「二回目ぇ」
「んむっ」
「んぷ……ぇろ」
「せっ、先ぱ」
「舌、出して?」
「ひゃ、ひゃい」
「あむっ」
私の舌を唇で挟んでから、口内に舌を入れてくる。
ぬるりとした温かさが、絡んで混ざって溶けていく。
冷静に考える余裕も、私から何かをする余裕も無い。
体温が二度くらい上がってる気がする。
呼吸が整わない。汗で前髪が額に張り付く。
「先輩……」
「やめてって言っても、まだするからね」
「違うよ、もっとしてって言いたかったの」
「莎楼ぅ……!」
ベッドが軋む。さっきより先輩の重さを感じる。
先輩の唇が、私のおでこにも頬にも耳にも口づけをする。全身に柔らかくてしっとりとした感触が残る。
首筋を舐められたところで、ふと前の記憶がよみがえった。
「あっ、首……」
「んぅ?」
「ダメだからね、つけたら」
「……はぁい」
「つけるなら、見えないところにしてね」
「えっ、いいのぉ!?」
「前科持ちだし。良いよ」
目立たない場所なら、別に困ることも無いし。
……嫌ではないし。
「怒んない?」
「怒らないよ」
「な、流されて仕方なく言ってない?」
「言ってないよ。もう、自信持ってよ先輩」
「自信……かぁ。ボクにはちょっと遠い言葉かな」
「そんなことで嫌いになったりなんかしないから。先輩のこと……好きだから。だから、自信持って?」
久しぶりのログボだからだろうか。つい、いつもより想いを伝えてしまっている。
先輩は自分のことがあまり好きじゃないとか、自信が無いとかたまに言うけれど、ログボを渡している時くらいは遠慮なんてしないでほしい。
「ありがとぉ……ボクも大好き」
「うん」
先輩の指が、私の服の首元に軽くかかる。
少し下げられて露出した鎖骨辺りに、先輩はキスをした。
「ん……」
本当に久しぶりだ、この感覚。
ゆっくりじっくりと、先輩の痕跡がつけられていく。
「……いっぱいしちゃいましたね、キス」
「しばらくログボがなかった分、これでボクは回収完了かなぁ」
「満足したなら、良かったです」
「あ!」
「どうしました?」
「修学旅行があるじゃん」
「ありますね」
「ま、また我慢しないといけないじゃん……」
「今回よりは短いですし、頑張ってください」
「がんばるぅ」
それに、修学旅行が終わったらログボが100日目を迎える頃のハズだ。
我慢をしているのは、先輩だけじゃない。
学祭の時にも花火の時にも言えなかった言葉が、今か今かと心の奥で我慢している。
「さて。夜まで何をしましょうか」
お互い体を起こして、ベッドの上に座る。
自分の形に沈んだ布団とベッドが、少しずつ元に戻っていく。
「夜は夜でやりたいことがあるんだけどぉ」
「けど?」
「もっかい、チューしてもいい?」
「どうぞ、満足するまで何度でも」
三回目の唇が重なるキスは、今日したキスの中で、一番軽くて優しいキスだった。
次回、そのまま夜のお話。




