91日目:私がおばあちゃんになっても(前編)
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『今日で九月も折り返し地点ですね!』
夏休みが終わって九月になったばかりだと思っていたのに、その九月が真ん中まで来ていたことを、朝の情報番組のお姉さんが教えてくれた。
『今朝、金木犀の匂いがしましたね。夏の残り香が上書きされる感覚、毎年楽しみなんです』
今日のお姉さん、随分と言葉選びが素敵だ。
金木犀か。不行には自生も栽培もされていないのか、私はその匂いを嗅いだことが無い。
木々の紅葉で、気温の低下で、陽が落ちる早さで秋を感じることはできるけど、匂いで変化を感じるというのは経験が無い。
「先輩のパジャマの変化で、季節の移り変わりを感じたことはあるけど」
少し前までの自分なら、ネトゲ内のイベントくらいでしか季節を感じなかったので、かなり成長した気がする。
今日の先輩はどんな服で来るのかな。
きっと、秋を感じさせる装いに違いない。私も流石に夏と同じ服で行くわけにはいかない。
少し前までの自分なら、同じような服を着回して冬までやり過ごしていたので、かなり成長した気がする。先輩のおかげだ。
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戸毬駅で降りた私の目に飛び込んできたのは、若い子向けの雑誌の表紙を飾るモデルと相違ない、いやなんなら上回っているレベルで秋服を着こなしている先輩の姿だった。
九月って暑い日もあるし、なんとなく服選びが難しいけど、少なくとも今日の先輩は完全完璧に秋服を着こなしている。先輩のために秋が存在していると言っても過言ではないだろう。
白のブラウスの上にベージュのカーディガンを羽織っていて、膝が隠れる長さの、チョコレートのようなブラウンのフレアスカートが揺れる。いつもの黒いバッグもワンポイントになっている。可愛い。
「あ、莎楼!」
先輩はすぐに私に気がついて、笑顔で手を振ってくれた。それに軽く手を振り返しながら、歩み寄る。
「先輩。今日はまた一段と可愛いですね。モデルかと思いました」
「あはぁ。それはちょっと褒めすぎだと思うけど、ありがとぉ」
照れ笑いをする先輩と手を繋いで、駅を出る。
先輩の提案で戸毬で待ち合わせをしたけれど、これから何処に行くのかな。
「モデルといえば、この前スカウトされたよぉ」
「……えっ!?」
「東京ならまだしも、こんな田舎でされるとはねぇ」
「先輩、モデルになるんですか?」
「ならないよぉ。名刺だけもらったけど、その場でお断りしたよ」
「そうですか」
モデルをやる先輩。見てみたいと言えば見てみたいけど、先輩が不特定多数の人々の目に触れるのはなんかモヤモヤする。
独占欲の強い女にはなりたくないな。
「なぁに、モデルやった方がよかったぁ?」
「やらなくて良かったです」
「へぇ。ふーん」
「なっ、なんですかニヤニヤして」
「別にぃ?」
もしかして、私の思考なんてお見通しなのだろうか。
でも、もし本当にお見通しだったら、この前のような一悶着は起きないわけで。
「将来の夢を探している途中の先輩は、モデルは選ばないんですね」
「うん。コスプレと思えば楽しいかもだけど、ボクは他人に見せたいわけじゃないからねぇ」
「自分が着たいものを着てるだけなのに、男ウケとか言われて腹立たしい……って、ネトゲのフレンドが言ってました」
「わかるなぁそれ。この前会った人?」
「そうです」
スノーさんが先輩の初恋の人、雪さんということは内緒にしているから少し緊張する。
別に話しても良いんだろうけど、頭か心の何処かにあるなんらかの機能がそれを拒む。もしそれに名前が無いのなら、第六感とでも名付けておこう。
「好きだから着てるだけだからねぇ」
「好きだから好き、というシンプルな事実に、意味や理由を求める人が多すぎますよね」
「ボクが君のことを好きなのと同じ、だよねぇ」
「え、理由とか無いんですか」
「あるけどさぁ、全てを言語化するのは無理だもん」
「それはまぁ、私もそうです」
ちゃんとした理由はあるし、全て説明しようと思えばできるハズ。かなりの時間を費やすことは間違いないけれど。
ネトゲでも行方行方の小説でもそうだけど、好きなものは好き。嫌いなものの方が理路整然と解説できる気もするけど、それは人間の悲しい部分と割り切ろう。
「そういえば、今日はどうして戸毬で待ち合わせだったんですか?」
「明日は敬老の日でしょ」
「はい。それで明日も休みなんですよね」
「うん。で、おばあちゃんにVentiの珈琲豆をプレゼントしよっかなぁって」
「なるほど。Ventiで珈琲豆を買えることって、過去に説明していましたっけ?」
そう、私のバイト先でもあるVentiでは珈琲豆が買える。マスターのオリジナルブレンドも買えるとあって、毎週のように買っていくお客さんも居る。
不行市で豆が買えるお店は、他には私の住んでいる肆野にある喫茶店しか知らない。そういえば、まだあの店に先輩と一緒に行ったこと無いな。
「ちゃんと説明しないとダメだよぉ、バイトしてるんだから」
「すみません。って、誰に説明しないといけなかったんですか」
「あはぁ。というわけで、早速買いに行くよぉ」
「そんな意気込まなくても、もうすぐ着きますよ。駅を出て適当に歩くと着くんですから」
「意外と好立地だよねぇ」
それにしても、敬老の日か。
一応、遠方に住んでいるおじいちゃんに毎年電話くらいはしているけど、何かを買ったりしたことは無い。
近くに住んでいたら、買ったりしていたのだろうか。
「先輩は素敵ですね。私は祖父に特に何も買わないので」
「買ってあげなよぉ。どんな人か知らないけど」
「私もあんまり知らないんですよ。お酒が好きってことくらいしか」
「お酒なら、アルコさんに訊けばいいんじゃない?」
「なるほど。でも何処の酒屋に勤めているのか、訊きませんでしたね」
そもそも未成年だから買えないんだけど。
買うものだけ決めたら、代わりにお母さんに買ってもらうという手もあるか。明日に間に合うかどうかは怪しいけど。
なんて話している間に、Ventiに到着した。
もう何度開けたかわからない扉を開けると、鈴の音を聞いたマスターが出てきた。
「あら……。仲直り、できたんですね……」
「マスターがどうしてそれを!?」
「聞くつもりは無かったんですけど……中さんと話しているのが聞こえたので……」
「そ、そうでしたか。ご心配をおかけしました」
「心配なんて……お二人なら大丈夫だと、確信していましたよ。……それで、今日もいつものですか?」
「ううん。今日はねぇ、豆を買いに来たんだぁ」
「そうだったんですね……。ご自宅用ですか、プレゼントですか……?」
「プレゼント。おばあちゃんに渡そうと思ってね」
「明日……敬老の日ですもんね」
「うん。それで、マスターのブレンドを……どのくらい買えばいいかなぁ?」
少し待っていてください、と言い残してマスターが裏に行った。カウンターに並べて売っているお店の方が多いけど、Ventiでは豆は表に出していない。
マスター曰く、「知っている人だけが買えば良いから」らしい。単純に、頻繁にお客さんの前に出たくないだけじゃないかな……とは思うんだけど。
「お待たせしました……。えっと、コーヒーカップで一杯飲むのに、約10グラムほどの豆を使います。まとめて淹れる時は豆の量は少し減らしても大丈夫です。というより、まとめて淹れる方が美味しいんですよ。お米も多く炊いた方が、味が良くなるじゃないですか」
全く三点リーダーを使わず、一息に長文を話すマスター。別の人が出てきたかと思った。
珈琲に関係することはスラスラ喋れるのだろうか。
「毎日一杯飲むと仮定して、取り敢えずこの紙袋いっぱいに買えば足りると思います。初回ですし常連さんなので、サービスで少し多めに入れてます」
「ありがとぉ。マスターって、実は営業トーク得意だったんだねぇ」
「はっ……。すみません、珈琲のことになると……つい熱くなってしまいますね…………」
照れて俯くマスターに、お金を支払う先輩。
マスターがゆっくり話すのは、てっきり海外生活が長かったからだと思っていたのに、単純に性格的なものなのだろうか。
「それじゃ、また来るねぇ」
「ありがとうございました……。デート、楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
お店を出て、珈琲豆の入った紙袋を抱える先輩と手を繋ぐのが難しいことに気づいた。片腕で抱ける程度のサイズ感ではあるけど、落としでもしたら大変だ。
「大丈夫だよぉ。バッグに入れるから」
「それなら大丈夫ですね。……え? 私、声に出してました?」
「テレパシーだよ?」
「そんな当然みたいに言われると、本当に信じちゃいそうになるんだけど……」
バッグに紙袋をしまい終えた先輩が、笑顔で私の右手を繋ぐ。あたたかくてやわらかい、いつもの左手の感触。
「言葉にしないと伝わらないこともあるけどさ、言葉にしなくても伝わることもあるんだよ」
「……はぁ、すっごいそれ良い言葉ですね。あの本当……最高です。すごい好き」
「そんなに語彙が貧困になるほどよかったぁ?」
「はい。なんか、悩みが一つ解決した気分です」
最近考えていたことに、答えが提示されたような。
テストで喩えるなら、ずっと解けずに悩んでいた問題が理解できて、次の設問に取りかかれるような気分。
「スッキリしたところでぇ、次のお店に行こっか」
「次は何処に行くんですか」
「ボクの心を読んでみて?」
「……もしかして、何も考えてない?」
「すごぉい、どうしてわかったのぉ!?」
「言葉にしなくても伝わることもあるんだよ、先輩」
ログインボーナスもサブタイトルの回収も後編でやります。




