89日目:肉食べ行こう!
通常の二話分くらいの長さとなっています。なのに先輩後輩成分がやや少ないです。
午後三時。
家の前で車が停まる音が聞こえたのを合図に、外に出る。
晴天で風は弱く、バーベキューをするのにピッタリな天候と言える。
運転席の窓が開き、ヒアさんがこちらに軽く手を向けて挨拶をする。
「お迎えありがとうございます、ヒアさん」
「誘ったのはこっちだから」
「こんにちは、クグルさん」
「こんにちは、キツちゃん」
助手席のキツちゃんに挨拶を返したところで、後部座席のドアを開ける。
先に座っていた先輩が、私にウィンクをした。
今日の先輩は、半透明なクラゲの柄の黒いワイシャツに、同じ柄のネクタイを締めている。下はダメージジーンズ。すごくカッコイイ。
ネクタイが胸に乗っかって曲がっている。ヤバい。ネクタイって真っ直ぐ下がっているイメージがあったけれど、今日からはこっちに更新しよう。
「先輩、めちゃくちゃカッコイイです」
「えっ、あ、ありがとぉ。莎楼は今日も可愛いね」
「ありがとうございます」
私がシートベルトを着けたの確認してから、ヒアさんは車を動かした。
「莎楼、ちゃんとお昼は軽めにしといた?」
「はい」
「叔父さん、張り切ってたから。多分たくさんお肉あるよ」
「センパイの叔父さんに会うの初めてなんだけど、どんな人なのぉ?」
先輩もお会いしたことが無いのか。まぁ、普通に考えて自分の先輩の叔父って他人にも程があるし、当然と言えば当然か。
「優しくてユニークな人、かな。両親という概念が希薄な私にとって、親みたいな存在でもある」
「なるほどねぇ。ボクにとってのおばあちゃんみたいな感じだね」
「親戚でもないわたしのことを引き取って、ヒアちゃんと暮らすまでの間、面倒を見てくれた人なんだよ」
「じゃあ、すっごくいい人だねぇ」
先輩もヒアさんも、それにキツちゃんまで複雑な家庭環境の中で育ってきたんだな。
私の家は母子家庭ではあるけれど、特に困ったことは無いし。
「そろそろ着くよ」
閑静な住宅街に入り、狭い道を進む。
高そうな家ばかりが建ち並んでいる。個人的にはこういう高級住宅街を眺めるの、好きだったりする。
ヒアさんが車を停めたのは、その中でも特に大きい家の駐車場だった。
先輩の家ほどではないけれど、一般的な一軒家が二軒合体したサイズ感。駐車場にはヒアさんが停める前から車が三台も停まっていた。
そんな大きな家の広い庭に、バーベキューコンロが二つとテーブルに人数分のアウトドア用のイスと、その近くにはクーラーボックスが二つ置いてある。
そこで、白地にハイビスカスが咲いているアロハシャツを着た男性と、黒いスーツ姿の女性が火の番をしていた。
その女性には、見覚えがあった。前に会った時と違って、フラフラはしていない。
「おっ、カサたんにクグたんも来たんか!」
「アルコさん!?」
「あーしのこと、覚えててくれはったん? でら嬉しいにゃあ」
一度しか会っていないけど、インパクトが強かったので忘れるはずもない。
「煙にこんなに友だちが居たなんてなぁ。知らなかったよ」
ヒアさんの叔父さんと思われるアロハシャツの男性が、団扇を仰いで炭を燃やしながら笑う。三十代後半くらいだろうか、正直もっとお年を召してると思っていた。
「あ、こんにちは。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。俺のことは気軽におじさんって呼んでくれ」
「名前くらい名乗ればいいのに」
「別にどうでもいいだろ、俺の名前なんて。さ、みんな揃ったし肉を焼くぞ」
二つ並べられたバーベキューコンロの上に、どんどんお肉が置かれていく。
立ち上る煙に、肉の焼ける音。炭火の香ばしい匂い。焼肉屋さんとはまた少し違う趣がある。
おじ様以外の全員がイスに座り、皿と箸を自分の手元に揃える。
「お肉はおじたんが買うてくれたから、あーしからはドリンクがあるんよ」
「今日は酒は飲まないケド」
「未成年にお酒はおえんけぇ、今回はあーしもノンアルでお送りしてはるから」
相変わらず何処の方言なのかわからないことを言いながら、アルコさんはワインのようなボトルをクーラーボックスから取り出した。
「ワインじゃん」
「ちゃうねん。これはワイン農家が作らはった、葡萄のジュースなんよ」
紙コップに注いで、全員に手渡すアルコさん。
試飲でもするみたいに、皆がほぼ同時にグッと飲んだ。
「わっ、美味しいですね」
「おいしぃねぇ。ワインで使うブドウなのぉ?」
「そうやよ。あーしが働いてる酒屋で売ってるんだけど、なまら人気なんよ」
「えっ、アルコさん定職に就いたのぉ!?」
「旅は少しお休みして、不行で働くことにしたんよ。お祭りで意気投合したおっちゃんに誘われてしもうてにゃ」
葡萄ジュースのボトルをテーブルの上に置き、クーラーボックスからビールの缶を取り出すアルコさん。結局飲むのか。
「結局飲むの」
「これはノンアルやよ。みんなも、好きな飲み物を取って良いからにゃ」
クーラーボックスの中には、多種多様なジュースが入っていた。お茶もあるのがありがたい。
「おじたん、乾杯するけぇこっちば来てほしいにゃ」
「おう」
おじ様はアルコさんからノンアルコールのビールを受け取り、ヒアさんの方を見つめる。
「……何。乾杯の音頭を取れってことかな」
「主催者は俺だが、友だちを誘ったのはお前だからな」
「……みんな来てくれてありがとう。肉はおじさん、飲み物はアルコの奢りだから、どんどん飲み食いしてね。じゃ、乾杯」
「「「「「かんぱーい!」」」」」
物理的に届かないので、缶を上に掲げて乾杯をする。
そしてお茶を三分の一ほど飲む。
「ほら、焼けたぞ」
「ありがとぉ、おじさん。ほら、莎楼も貰いなよ」
「あ、ありがとうございます。おじ様」
波打つ焼肉のタレの入った使い捨ての紙皿に、焼きたてのお肉を潜らせる。
それを口に運び、噛み切らずに一口で食べる。
「美味しいです!」
「それは良かった。おじさん、奮発してちょっと高い肉を買ってきたからよ」
「確かに、普段食べる肉より美味しい。後でお金払うよ、叔父さん」
「要らねぇよ、煙に友だちが居るってわかっただけで俺は満足だ」
「おじたん、ヒアたんにはもーっと友だちがおるんよ。今日は仕事で来られんかったんけどにゃ」
マスターのことだろうか。後は鵐雨天のムラエさんくらいしか知らない。
先輩のセンパイなのに随分と関わりを持つようになったけど、知らないことが多いのは当然だ。
ヒアさんから見ても、私なんて本当なら大した存在じゃないはずだし。
「もっとは居ないケド」
「あーしよりはいるっしょ」
「否定はしない」
仲良さそうに話すお二人を見ていると、次々と焼けたお肉、ウィンナー、野菜が紙皿に置かれていく。
おじ様の焼くペースもかなり早いけど、それを上回るほどの速度で食べる先輩。
前に一緒に焼肉に行った時もそうだったけど、肉が焼けるまでにかかる時間と、先輩の食べる速さは釣り合わない。
「ボクさ、こうやってお外でお肉食べるの初めてなんだけど、楽しいねぇ」
「あ、わたしも初めてだよ」
「そう言われてみると、私も初めてかもしれません」
「そう。なら、誘って良かった」
ヒアさんは優しく微笑んで、葡萄ジュースを口に運んだ。
それを見て、頬を赤らめるキツちゃん。……もしかして、もしかするのだろうか。
「そうそう、センパイ。金曜の夜はありがとねぇ」
「ん。少しは参考になったの」
「なったよぉ。それでね、昨日は莎楼とデートをしながら『好きなこと』を探したんだぁ」
まだ夢は決まってないけどね、と言いながらウィンナーにかじりつく先輩。
どうやら、ヒアさんに相談をしていたらしい。
まぁ、私だと先輩の将来の悩みを解決はできないからね。将来の夢が決まってないという話は前にしてくれたし、別に嫉妬したりはしていない。心がザワついたりとかしてないよ。
「そんなに怖い顔しないでよ、サドちゃん」
「えっ、ふぇっ、してませんよ。ポーカーフェイスでしたよ」
「だとしたら、ポーカー弱そう」
「でも、ババ抜きは莎楼の方が強いんだよ」
「へぇ。じゃあ、今度は皆でトランプでもしようか」
「良いですね」
先輩とだけじゃなく、複数人で遊ぶのも今は嫌いじゃない。プールに行った時から、私の価値観は変わった。
全てのお肉を焼き終えたらしいおじ様が、イスに座って葡萄ジュースを飲む。
気がつくと、すっかり陽が傾いていた。日が暮れるのがかなり早くなってきた。
「お疲れ様でした、おじ様」
「ん、ありがとう」
「叔父さん、また来年もやってよ」
「おう。絶対やるから来いよ」
来年、か。その時にはもう先輩は高校生じゃなくて、私は進路について思い悩んでいるのだろう。
それでも、今日みたいに何も変わりなく集まることができたら嬉しいな。
「さて。それじゃ、そろそろ帰るね」
「たまには顔見せに来いよ、煙」
「ん。考えとく」
「ご、ごちそうさまでした」
ヒアさんとキツちゃんが立ち上がったのを合図に、私と先輩も立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまぁ」
「また来いよ」
頭を下げて、ヒアさんの車に向かう。
アルコさんはどうやって帰るのかな。一応、お酒を飲んではいなかったけど。
「アルコ。どうやって帰るの」
「あーしは歩いて帰るよ。なんも心配せんと、すぐ近くっちゃけね」
「そう。別に心配はしてないケド」
「んじゃ、ばっははーい」
背を向けて手をヒラヒラと振るアルコさんを見送ると、珍しくヒアさんが大きい声を出した。それを聞き、アルコさんが歩を止める。
「アルコ。来年も集まるんだからね」
「……うん。絶対やよ」
ヒアさんとは逆に、小さい声で返事をしたアルコさん。何かあるのだろうけど、それは私にはわからない。
先輩風に言うなら、番外編か何かで教えてもらわないと。
何もかもを知る必要なんて、無いけど。
「さて。帰るか」
「あ、センパイ。お願いがあるんだけど」
「何」
「莎楼の家で、ボクも一緒に降りたいんだぁ」
「ん。じゃあ、サドちゃんの家に寄るだけで良いね」
「よろしくぅ」
「え、ウチに来るんですか?」
「だって、ログボ貰ってないもん。すぐ帰るから、ね?」
「……別に、すぐ帰らなくても良いよ?」
「きーちゃん、後輩たちがイチャつき始めたから置いて帰ろ」
「あっ待ってぇ!?」
慌てる先輩と一緒に、本気で置いていくつもりでは無さそうなヒアさんを追って車に乗り込む。
先輩と二人だけでは発生しないようなイベントに、これからも参加できたら嬉しいな。
まだヘッドライトを点けるほどの暗さではないけど、もう夜と言っても差し支えは無いかもしれない。秋の夕方は、あっという間に暗くなる。
「しかし、お肉を食べたのにログボまで欲しいなんて……肉食なだけありますね」
「あはぁ。折角会ったからさ、やっぱりしたくて」
「カサちゃん、クグルさんと何をするの?」
キツちゃんの無邪気な質問に、一瞬フリーズする。
というか先輩は『ちゃん』なのに、私は『さん』なの不思議だな。
「えっとねぇ」
「私がいつもきーちゃんにしてるようなこと、だと思うよ」
ヒアさんが出した助け舟は、とんだ泥舟だった。いや、私が思う通りの内容だったら大問題だけど大丈夫なのだろうか。
「そ、そっか」
「え、センパイ?」
「何。それくらいなら普通でしょ」
「ど、どれくらい……?」
「そろそろサドちゃんの家に着くよ」
「あっ誤魔化したぁ!」
ヒアさんがキツちゃんのことをどう思っているのか、そしてどういう関係なのか、わからないことは尽きないけど敢えて訊いたりはしない。
私の家の前に停まり、先輩と一緒に車を降りる。
ヒアさんが運転席の窓を開けたので、最後の挨拶をする。
「ありがとうございました、ヒアさん。とても楽しかったです」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。また何かあったら誘うね」
「はい。是非」
走り去る車を見送って、玄関のドアに鍵を差す。
ただいま、の声に返事が無いので、どうやらお母さんは不在らしい。
階段を上って、部屋に入る。
悩んだ結果、着なかった服が数着出しっぱなしになっていた。最悪。
「それでは、ログボを渡しますね」
「はぁい」
お高いお肉を食べた後でも、全く霞むことの無い唇。
あまりにも柔らかいその唇が、自分の唇と重なる。
先輩と二人だけの時にしか発生しないイベントを、これからも大事にできたら嬉しいな。
次回、90日目!




