82日目:セプテンバーワン
おっ、セプテンバー。
八月は夏だと胸を張って言えるけど、九月は夏とも秋とも言えない。
別に好きでも嫌いでもないし、特別過ごしやすいというわけでもない。夏の残滓に縋りたくなるような、もう少し涼しい秋が待ち遠しいような、そんな九月。
私の隣で眠っている先輩に、九月最初の朝の挨拶をする。
「おはようございます」
「……ぃにむ」
「なんて?」
言語とも擬音とも言い難い音を発して、布団から出ようとしない先輩。
布団にずっと潜っていられるほど、まだ九月は涼しくないと思うけど。始まったばかりだし、尚更。
「布団から出たら……帰っちゃうじゃん」
「かっわい……ごほん、まだ帰りませんよ。明日学校だから早めに帰ろうと思ってるだけで、なんなら夕飯とか作りますよ」
「……ほんと?」
「本当。嘘なんかつきませんよ」
流石にお風呂に入ったりはしないで、あくまで夕飯までだけど。
急いでゲームをしたいわけでもないし、宿題があるわけでもないし、特に問題は無い。こんな状態の先輩を放って帰る方がよっぽど問題だ。
「じゃあ起きる」
「うん、起きて」
寝癖全開の状態で、のっそりと起き出す先輩。
学校とかデートとかだと、完全完璧に整った先輩の姿しか見ることはないので、寝起きを見れるのは結構嬉しかったりする。
髪も整えてないし、コンタクトも入れてないし、いつもより目が開いてないし。でも可愛い。
着飾ることも一つの美しさだとは思うけど、ありのままで振る舞うことも美しさだと思う。なんて、前提として元々綺麗じゃないと成立しない理論だけど。
「折角だし、デートでもするぅ?」
「良いですよ。何処に行きます?」
「どこがいいかなぁ。なんとなく、今日はピザが食べたい気分なんだけど」
「じゃあ、『本とイタリアン』に行こうよ。最近行ってなかったし、私もピザ食べたい」
確か、最後に行ったのは六月だった気がする。椴米は少し遠いから仕方ないけど。
「じゃあ、準備ができたら行こっかぁ」
「はい。まずはその髪を真っ直ぐにするところからですね」
「あはぁ。なるべく急ぐねぇ」
「別に大丈夫ですよ、時間はまだまだあるし」
今日という日も、九月という月も始まったばかりだ。
でも、私たちの関係はそれなりの時間を経てきたと思う。時間はまだまだある、なんて悠長なことは言ってられないかも。
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「お待たせしました。季節のピザとプロシュートです。ミニハンバーグはもう少々お時間いただきます。それと、珈琲は食後にお持ちしますね」
「ありがとうございます」
「ありがとぉ」
電車に揺られて『本とイタリアン』に到着した私たちは、お互いが食べたいピザを注文した。シェアしやすい食べ物で助かる。
季節のピザには、チーズとベーコン、それからカボチャとパプリカと、名前のわからない葉物野菜、後はキノコが乗っている。九月のピザを初日から食べられるの、贅沢かもしれない。
「おいしぃ! これで今日から九月って実感が湧くねぇ」
「そうですね。夏野菜とは若干違いますもんね」
「この葉っぱって何かわかるぅ?」
私もわからなかったやつだ。
改めて口に運んで、記憶から類似する野菜を検索する。脳内で大量の本棚が飛び交って、正解の本が出てきてくれれば良いのに。
「……あ、芥子菜?」
「すごいですね。正解です」
ミニハンバーグを持ってきてくださった店員さんが、笑顔でそう言った。まさか当たるとは思わなかった。
「カラシナって、ボクは食べたことないかも」
「私もそんなに食べたことはありませんよ。サラダとかおひたしのイメージがありますが、ピザは初めてです」
「試しに入れてみたんですけど、九月のピザとしてまとまりが出たと自負しています」
「そうですね。すごく美味しいです」
シャキシャキ感と、ほんのりと感じる辛味がチーズと抜群に合う。和風のピザとして非常に高い完成度だと思う。
ハンバーグも熱いうちに食べよう。ナイフとフォークを使って半分に切り、口に運ぶ。
うん、やっぱりジューシーで美味しい。提供に時間がかかるのは、注文を受けてから作り始めるから。らしい。
夕飯作りますよ、なんて言ったけど、ピザにハンバーグまで食べちゃったから悩むな。無難に和食とか作れば良いかな。
「あ、先輩。プロシュートもください」
「いいよぉ。季節のピザと交換ねぇ」
最初からシェアするつもりだったピザを交換して、食べる。プロシュート、つまり生ハムのピザは前回に来た時も食べた覚えがある。二回も頼むということは、かなりお気に入りなのだろう。
当然、私も好きだけど。ピザとハンバーグを食べるためだけに、少し遠いところまで来る程度には。
訂正。先輩の喜ぶ顔を見るために、少し遠いところまで来る程度には。
お互いの皿の上に何も無くなったところで、珈琲が運ばれてきた。喫茶店でバイトをしている私からしても、このお店の珈琲は美味しい。
「そういえば、今日のログボはどうしましょうか」
「いつも通り、キスが良いなぁ」
「ふふっ、じゃあ家に帰ったらしようね」
「うんっ。で、その後は晩ごはんを作ってねぇ?」
「お任せください」
八十日を超えたログボも、夏の先で迎えた九月も、別に何も影響は無いな。
夏だからって、特別に浮き足立ってドキドキしていたわけじゃない。夏のおかげでも、潜み隠れる魔物とやらの仕業でも無い。
今の季節も、過ぎた日々も唇を重ねた数も、大して重要なファクターでは無い。
そこに先輩が居るから。
先輩と一緒に、私が居るから。
ただそれだけで、私は。
「華咲音先輩。特別な秋にしてね」
「あはぁ。そっちはボクに任せてよ、莎楼」
去る夏の背を笑顔で見送って、先輩と一緒に前を向く。今日は寂しさとか全然感じない。
「……好きになりそうです」
「ボクのことを?」
「いや、九月のことを。先輩のことは前から好きです」
「ゴホッ!?」
「大丈夫ですか!?」
飲んでいた珈琲が変なところに入ったらしい先輩が、咳き込みながら俯く。
慌てて、席を立って先輩の横に座る。
「……もぉ」
「んむっ」
涙目の先輩が、私にキスをした。ほんのり珈琲味。
「飲み物を飲んでる時に、愛の告白をするのはやめてよぉ」
「すみません、まさかむせるとは思わず」
「……あれ?」
「?」
「愛の告白は否定しないのぉ?」
「それを否定すると、先輩のことが好きじゃないみたいになるじゃないですか」
「それはまぁ、そうなのかもしれないけど……?」
困惑する先輩に、これ以上の言及をされないために元の席に戻る。
じゃあ付き合ってよ、とか言われたら、なんて言えば良いのかわからないし。
「さ、そろそろ出ましょうか」
「うん。帰ったら続きをしようねぇ」
「は、はい……?」
一緒に席を立って、お会計を済ませる。今日は割り勘。
本当はそろそろ私が全額出さないといけなかった気もするけど、それを先輩が許すとは思えない。
お店を出ると、綺麗なうろこ雲が空を漂っていた。とても澄んだ青空と高い太陽に、思わず目を細める。
「それじゃあ、帰ろっか」
「はい」
手を繋いで、駅へ向かう。ほとんど誰も居ない昼下がり、まだ空気は夏の匂いだ。
やっぱり、好きになりそう。
九月編が始まりました!予定では八月編より圧倒的に短くなります。ならなかったらごめんなさい。




