80日目:先輩の家に泊まろう(後編)
広いお風呂。
「でっかいですね……説明不要なくらい」
「君の家のお風呂よりは広いね」
自慢でも嫌味でもなく、ただシンプルな事実。
浴室の広さも、湯船の大きさも、我が家の三倍くらいはある。一般家庭でこれだけ広いお風呂に、なんの意味があるのか疑問だけど。
「二人で浸かっても、お湯が溢れることもなければ」
「ふれあうこともないねぇ」
残念そうに言いながら、掛け湯をしてお湯に浸かる先輩。
確かに、銭湯や温泉くらいの距離感はある。私も掛け湯をして、先輩の隣に座る。
「でも、別に隣に座れば良いだけでは?」
「えっ、いいのぉ?」
「逆に何がダメなの?」
「全然ダメじゃないよぉ!」
良かった。まぁ、あまり首から下を見るとドキドキしちゃうから、なるべく目を合わせるようにしてるけど。
いや、顔も綺麗だから結局ドキドキはするけど。
「しかし、これだけ広いと掃除が大変そうですね」
「そうなんだよぉ。どうせボクしか入らないんだけど」
この家を建てた時は、家族三人で仲睦まじく暮らそうと思っていたのかな。
そんな淡い期待というか、希望のような妄想をしていると、先輩が体を洗うために湯船から出た。私も洗おう。
「背中、流しますよ」
「ありがとぉ」
こうやって背中を洗い合うのも、もう何度目だろう。初めての相手は先輩で、それ以降も先輩と。
いや、ハグとかキスも全部先輩から始まり先輩に終わっている気がする。うん。
ボディーソープをスポンジに出して泡立てて、先輩の背中を洗う。
細くて白くて、少し骨の浮き出た背中。あんなに食べているのに、どうしてこんなにスリムなんだろう。
本当に綺麗だ。
「綺麗……」
「なにがぁ?」
「えっ、声出てました?」
「うん。ボクの背中に見蕩れちゃったぁ?」
「逆にお訊ねしますけど、自分の背中をちゃんと見たことあります?」
「え、ないけど……?」
「見たらわかりますよ。感嘆の声が漏れるのも無理はない美しさですから」
「褒めすぎだよぉ」
表情は窺えないけど、照れているのが背中から伝わってくる。
どれだけの賛辞を尽くしても、先輩の可愛さも美しさも筆舌に尽くし難い。単純に私の語彙力の問題というか、なんというか。
「褒めすぎてませんよ。ただの事実ですし」
「じゃ、じゃあ、ボクだって莎楼のこと褒めるからね」
「……褒めるところ、あります?」
「いっぱいあるよぉ。可愛いところでしょ、なんだかんだでボクに甘いところとかぁ、あと可愛いところ!」
「うん。可愛いを二回も言ってますよ」
いっぱいあると言いつつ、一つの台詞の中で同じことを言っちゃう先輩の方がよっぽど可愛いと思うけど。
可愛いはともかく、なんだかんだで甘いってところは否定できない。
好きでもなんでもないのに、キスすることを許したところとか。
それは過去形で、今は好きだから問題無いけど。
「とにかく、君は魅力たっぷりなんだからね。自覚しておいて?」
「……善処します」
「それ、しない時に言うやつじゃん」
「だって、そんなこと言われても」
「言われても?」
「……反応に困るじゃん」
「かっ……可愛い……」
また可愛いって言われちゃうと反応に困るけど、そうなると無限ループに突入しそうだからこれでおしまいにしよう。
体を洗い終えて、お互い無言でシャンプーをする。
すごい先輩の匂いがする。やはりこのシャンプーが、先輩の良い匂いの一部だったわけだ。
このシャンプー買おうかな。でも買ったら絶対先輩に指摘される。やめておこう。流石にそれはもうなんか後輩としてヤバい気がするし。
「シャワー、先に使ってもいいよぉ」
「ありがとうございます」
こんなに広いのに、シャワーは一つしか無いのが少し不思議。
シャンプーを洗い流すと、先輩と同じ匂いの滝が顔の前を流れていく。先輩に包まれてるみたい。
「はい、シャワーどうぞ」
「ありがとぉ」
先輩にシャワーを手渡して、もう一度湯船に浸かる。
「先輩。お風呂上がったら何します?」
「えっ、まさか君からお誘いを受けるなんて」
「話聞いてた?」
「あはぁ。冗談だよぉ」
本当に冗談なのかな。
本気で先輩に迫られたら、多分私は断れないと思う。
髪を洗い終わった先輩が、自分の髪をぎゅっと握って水を絞り出している。
そして、私の隣に座った。湯船に浸かったら、また髪が濡れちゃいそうだけど。
「寝る前にさぁ、なんかお話しようよ」
「良いですよ。先輩とお喋りするの好きだし」
「元々、君はネトゲでチャットしたり会話するのが好きって言ってたもんね」
「言われてみるとそうですね。でも、対面でいっぱい喋れるのは先輩くらいです」
「ふーん。そうなんだぁ」
ニヤニヤする先輩。機嫌良さそう。
「よーし、それじゃあ百数えたら上がろうね」
「やっぱりやるんですね、それ」
広いお風呂に、先輩のカウントダウンが響く。
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髪も乾かし終えて、歯磨きも済ませた私たちは、先輩のベッドの上でごろごろしている。
因みに、皿洗いは済ませていない。本当に良いのかな。
「莎楼から、ボクと同じ匂いがするぅ」
「わっ。突然匂いを嗅がないでくださいよ」
「ボクが君に何かする時に、許可を取らないとダメ?」
「……ダメじゃないけど。あ、変なことは黙ってしたら怒りますからね」
「君が怒るところ、ちょっと想像できないなぁ」
「そういう先輩こそ、怒らなさそうですよね」
塩対応な先輩とか、真面目なトーンで話す先輩は見たことあるけど。
あと、ココさんに警戒心全開だった時とか。
「……喧嘩とかさ、なんかそういう感じになったらヤダもん」
「そうですね。ずっと仲良くしようね」
「今日の莎楼、同級生ごっこの時みたい」
「別にもう、敬語にこだわらなくても良いかなと思いまして」
「ボクは大歓迎だよぉ。君のタメ語ってぇ、なんだかすっごくドキドキするから」
「すぐ慣れますよ。きっと」
「そうだねぇ。だってこれからも、ずっと一緒だもんね」
そう言って、照れ隠しなのか私のことを抱きしめる先輩。程よい力加減と柔らかさがもう本当に凄い。
体の線は細いのに、一部分だけが激しく主張している。
「返事してよぉ」
「ずっと一緒ですよ、華咲音先輩」
「……うんっ!」
私も、先輩のことを抱きしめる。あったかい。
ずっと一緒に居るつもりだし、そうなったら嬉しいけども、なんとなく不安が拭えない。
いつか、ログインボーナスが無くなる日が来るはずだし、先輩が高校を卒業したら遠くに行ってしまうかもしれないし。
絶対とか永遠とか、信用するに値しない言葉だと今でも思うけど、先輩との関係はずっと続くと嬉しいな。
「先輩。そろそろ寝ましょうか」
「うん。明日は何しよっか」
「起きてから考えましょう。先輩となら、何処に行っても何を食べても楽しいから」
「ありがとぉ。ボクもね、莎楼とならどんなことでも楽しめるよ」
「ふふっ。ありがとうございます」
「おやすみ、莎楼」
「おやすみなさい、先輩」
先輩は、枕元のリモコンを操作して部屋の電気を消した。
一枚のタオルケットと、薄い夏用布団を共有して寝る。静かな部屋の中、先輩の寝息が聞こえてきた。
ログボのある今日も、どんなログボになるかわからない明日も、その先も。
こうやって一緒に眠れたら、それだけで私は幸せだな。
GW、更新頑張ります。




