76日目:休み明けれど夏終わらず
夏休み明け。
※いつもより長いので、お飲み物でもご用意してお読みください。
久しぶりに仕事を与えられた目覚まし時計が、張り切って私を起こす。
既に生活リズムは戻しておいたから、それほど不快感は無い。
先輩はちゃんと起きれたかな。
充電器からスマホを回収して、一階に下りる。
お母さんが準備しておいてくれた朝食を食べて、身だしなみを整える。
クリーニングから戻ってきた夏服に、久しぶりに袖を通す。不思議と、少し気が引き締まる。
「準備よし。忘れ物も……無いかな」
今日は、始業式と先生の話くらいで終わりの日。
でも月曜日だから、私も先輩もバイトがある。そこは残念。
軽いカバンを持って、家を出る。
八月の終わりも近いというのに、まだまだ元気な太陽に目を細めた。
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『皆さん、おはようございます。充実した夏休みを過ごした人も、過ごせなかった人も。休み明けれど、夏はまだ終わりません』
『過ぎた休みより、先の日々を考えて生きましょう』
今日の校長先生の話は、この一言で終わった。
いつも通り、いやいつもより短い話に生徒たちは万雷の拍手を送った。簡潔でありながら、なんとも記憶に残る言葉だ。
楽しかった夏休みのことは忘れず、でも気持ちは切り替えていこう。というメッセージだと私は思う。
教室に戻ると、糧近先生の話が始まった。珍しいな、プリント配って終わりじゃないのか。
「明後日、水曜日からは夏休み明けテストが始まる。まぁ、別にお前らの点数が低くても俺の給料は下がらない」
「先生の担任としての評価は下がるのではー?」
「うるさいぞ、中。とにかく、俺としてはどうでもいいが……そろそろ本格的に進路を考え始めている奴もいるだろ。点数は稼いでおけよ」
「はーい」
進路。三年生になってから考えようと思ってたけど、やっぱりそろそろ考えておかないとダメなのだろうか。
進学するにしても就職するにしても、私には夢とか目標というものが無い。
先輩の進路ばかり気にしていたけど、自分はどうしよう。どうしたいんだろう。
取り敢えず先生の言う通り、テストの点は稼いでおこう。
先生が今後のスケジュールを簡単に説明したところで、今日のホームルームは終わった。
部活動は今日から本格的に再開するけど、私には関係無い。
「クグルちゃん、ちょっと相談があるんだけど。時間あるかなー?」
「ココさん。まぁ、少しなら」
「大丈夫。今日はバイトの日だってことは知ってるし、先輩のことを待たせるつもりもないよー」
「その程度の読みでは、驚かなくなってきている自分がいます」
「本題に入るけど、クグルちゃんのバイトしている喫茶店ってさー、まだバイト募集してたりする?」
「マスターに訊いてみないことにはなんとも。え、ココさんが働くんですか?」
「うん。一緒のお店は嫌かなー?」
「いえ、そんなことは。今日、話してみますね」
「ありがとー。それじゃ、また明日ねー」
「は、はい。また明日」
笑顔で手を振って、五十右さんと左々木さんの元に歩いていくココさん。
突然のことで少し驚いたけど、店も最近盛況だし働く人が増えることは良いことだと思う。
先輩もココさんとは和解……と表現するのも変だけど、一応警戒は解いてくれたみたいだし、私も友だちと働けるのは嬉しい。
カバンを持って教室を出ると、廊下で先輩が待っていてくれた。
「あ、先輩。わざわざありがとうございます」
「二年生の階は、玄関に行く途中で通るし平気だよぉ。物珍しそうな目で見られるけどねぇ」
「それは先輩が美人だからですよ」
「あはぁ。そういえば今日はバイトだけど、学校は早く終わったしさぁ……ちょっと遊ばない?」
バイトに行くまで、まだ四時間くらいは余裕がある。昼休み無しだったからご飯もまだだし、何か食べに行くのも良いかもしれない。
「遊びます。あと、何か食べにも行こっか」
「前に話してた、中華料理屋さんはどう?」
階段を下りながら、その話題がいつのものだったか考える。
そうだ、確か動物園デートの後に行った中華料理屋さんでチャーハンを食べて、不行にも美味しいお店があるよって話したんだ。
「オススメは、やっぱりチャーハンですか」
「ラーメンもおいしぃし、餃子もおっきくて食べ応えがあるんだよぉ」
「では、そこにします」
「わぁい。君と一緒に行くお店が増えるの、嬉しいなぁ」
「どうしてですか?」
「あとで一人で行った時に、必ず君のことを思い出せるじゃん」
「……先輩って、本当にそういうところがズルいですよね」
「ど、どういうところぉ?」
慌てる先輩に微笑みかけつつ、階段を下り終えたので玄関に向かう。
靴を履き替えて、数回つま先で床を蹴って靴を馴染ませる。
すぐに先輩と合流して、手を繋いで玄関を出る。
「そのお店って、何処にあるんですか?」
「伍船にある、両面亭ってお店なんだけど。知ってるぅ?」
伍船。
私の住んでいる町、肆野から歩いて行ける町。
と言うより、漆黒と同じく最寄り駅が肆野だったりする。
基本的に行くことは無いので、中華料理屋さんがあるなんて知らなかった。
「いえ。初耳です」
「そっかぁ。まぁ、あんまり行かない町だもんね」
「そうですね。近所といえば近所ですが」
駅に向かう途中で、手を繋いで歩く女子中学生とすれ違った。
女の子同士で手を繋いで歩くのは普通、という先輩の言葉が頭をよぎる。
やっぱりそうなんだ。自分が中学生の頃だと考えられなかったけど。
「今すれ違った子たちさぁ、可愛かったねぇ」
「初々しい感じがしましたよね」
「ボクたちは、もう手を繋ぐのも慣れたもんだよね」
「緊張はしなくなりましたね」
未だに、ドキドキはするけど。
駅に到着すると、夏休みが終わって憂いた表情の生徒や、久々に友だちに会えて喜んでいる生徒など、様々な人で賑わっていた。
去年の私なら、夏休み明けは少し憂鬱だったに違いない。先輩が隣に居るから、学校に来ることにも楽しみが見いだせる。なんて、学生としては不真面目だろうか。
「電車、来たよぉ」
「あ、はい」
一旦手を離して、電車に乗り込む。
他の高校も夏休み明けらしく、車内は混雑していた。
「これじゃ座れないねぇ」
「ドアの近くで立ってますか」
先輩は、電車の中で立つのがトラウマだったりしないのかな。
不埒な輩が近くに居ないか、私が目を光らせておかないと。
「どうしたの、怖い顔してぇ」
「警戒するに越したことはありませんから」
「……もぉ。君は本当に、そういうところがズルいよねぇ」
「ど、どういうところですか」
『次は肆野です。停車時間は僅かです』
「このアナウンスを聞くとさ、なんか君の家に行くみたい」
「ふふっ。確かにそうですね」
電車が停まったのを合図に、先輩と一緒に降りる。
肆野で降りる人は結構多い。伍船や漆黒に住んでいる人はここで降りないといけないから。
駅を出て、手を繋ぎ直して歩く。
伍船は駅から徒歩十分くらいのところにある、小さな町だ。まぁ、不行市内の町は何処も小さいけど。
自宅付近を通過し、更に歩く。感覚的に言うと、上に登っていく感じ。
少し急な坂を登り終えると、多くの民家が見えてくる。肆野よりも古めの家が目立つ。
「ほら、赤い看板が見えるでしょ?」
「あ、見えました。暖簾も見えます」
それを見て、歩くスピードを上げる先輩に手を引かれる。よっぽどお腹が減っているのだろう。
お店に到着すると、外観をゆっくり見る間も無く入店した。年季の入った暖簾をくぐって、カウンター席に座った。
「いらっしゃい。今日は一人じゃないのね。アンタはいつもので良い?」
「うん。莎楼は何にする?」
「えっ、えっと……。チャーハンにします」
「ラーメンチャーハンセットと餃子六個、チャーハン単品ね」
「うん、よろしくぅ」
「はいよ」
先輩のいつものやつ、凄いな。
チャイナドレスを纏った店員さんが、厨房に入っていく。他の店員さんが見当たらないけど、彼女が調理も担当しているのだろうか。
「仲が良さそうな感じですか」
「常連だからねぇ。彼の作るチャーハンを食べたら、近所の店だと満足できなくなってさぁ」
「……彼?」
「うん。藍屋宙華って名前の男性だよ」
「てっきり女性かと」
「そう言ったら喜ぶと思うよぉ」
「そうなんですか」
見た目もそうだけど、声もすごく女性っぽかった。
ソラカさんは、とてつもない速さでチャーハンを作っている。
鍋を振る前に、しっかりご飯を炒めるタイプだ。炒める飯と書くくらいだから、焼くのはそれだけ大事だと言える。
チャーハンを二人前、同時に炒め終えたところで、お玉で丸く盛り付けている。
それとほぼ同時にタイマーが鳴り、麺の湯切りを始めた。凄い、麺を茹でている間にチャーハンを完成させるなんて。
濃いめの醤油スープに麺を投入し、具材をトッピング。
ラーメンとチャーハンをお盆に乗せて、ソラカさんが運んできてくださった。
「はい、ラーメンチャーハンセットとチャーハンね。餃子は今から焼くから待ってて」
「ありがとぉ」
「そっちの……クグルちゃんだっけ。ずっと私の調理を見てたでしょ」
「は、はい。鮮やかな手際だと思いまして」
「餃子、無料にしちゃお」
満面の笑みを浮かべて、ソラカさんはお盆を持って厨房に戻った。
厨房が見えるタイプのお店だと、つい見てしまう。私だけだろうか。
「よかったねぇ、餃子タダだって」
「そうですね。ちょっとビックリですが」
「それじゃ、いただきまぁす」
「いただきます」
レンゲで一口、チャーハンをすくって口に運ぶ。
レンゲの上でほろりと崩れるほどパラパラで、一粒一粒がしっかり卵でコーティングされている。
ネギのシャキシャキ感と、マー油とネギ油の香ばしさ、胡椒の香りと決して多すぎない油が見事に絡んでいる。
そして、チャーシューではなくカマボコ。これが先輩のお気に入り足る所以ではないだろうか。すごく美味しい。
「これは常連にもなりますね」
「でしょぉ?」
「はい、餃子」
「あ、ありがとうございます」
「チャーハン、すごくおいしいって褒めてたよぉ」
「流石、カサ子が連れてきただけはあるわね」
先輩、カサ子って呼ばれてるのか。かさこじぞうみたいだな。
餃子も食べてみると、とてもジューシーで美味しかった。生姜の香りがするけど、ニンニクは使っていないっぽい。
そして次に、ラーメンを啜る先輩を眺める。うん、やっぱり麺類を食べる先輩は最高だ。
麺を啜る先輩の一時間耐久動画とか作ってほしい。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまぁ。ソラカ、会計してぇ」
「はいはい」
「私も払いますよ」
「今日はボクがオススメしたからさぁ、おごっちゃうよ」
「もう。じゃあ、今度は絶対に私が払いますからね」
「あはぁ。忘れなかったらねぇ」
「私が覚えてますから」
先輩は私の分も支払いを済ませて、店を出た。
まだまだ陽は高く、バイトの時間まで余裕がある。
「まだ時間もあるしさ、君の家に行ってもいい?」
「良いですよ」
「やったぁ。言ってみるもんだねぇ」
もしかして、スムーズに私の家に行くために、肆野に近いこのお店を選んだのだろうか。
なんて、深読みが過ぎるか。
どんな理由であれ、美味しいチャーハンが食べれたのは事実だし。
それに、もし先輩が家に行きたいって言わなかったら、私の方から誘っていたと思うし。
でも、それは黙っておこう。
ニンニク不使用の餃子に、内心喜んだこともね。
チャーハン食べたい。
 




