75日目:打上花火(前編)
夏休み最後の思い出を。
夏休み最終日、の前日。つまり土曜日。
二日間にかけて行われる、不行納涼祭の一日目だ。
そんな今日は、先輩と約束をした最後の夏休みイベント。
因みに、明日はニケさんとアラさんと行くらしい。
私は先輩以外の人とお祭りに行く気はないし、明日は行かないけど。
「どんな服で行こうかな……」
「浴衣一択でしょ」
「おっ、お母さん!?」
「何よ。そんなに驚いて」
「独り言に返事があったら、誰だって驚くよ」
暑いからって、部屋のドアを開けておいたのが良くなかった。
部屋の前を通りがかったお母さんに気づかない、私も私だけど。
「話を戻すけど、浴衣しかないでしょ」
「最後に着たの、何年も前だし。サイズなんて合わないよ」
「私のを貸してあげる。今の流行りじゃないと思うけど」
そう言って、お母さんは自室に向かった。
確かに、お母さんと私の背格好はそこそこ近い。胸の大きさが遺伝しなかった点を除けば。
五分くらい待っていたら、お母さんが浴衣を手にして戻ってきた。
「こんなのだけど、着てみる?」
お母さんの浴衣は、黒地で赤い金魚が泳いでいるデザイン。
全く古臭い感じはしない。というか可愛い。
部屋着の上から、袖を通してみる。
「どう、かな」
「可愛いじゃない。流石は私の娘」
「え、そんなの初めて言われたんだけど」
「あら、そうだった?」
お母さんに可愛いと評されたのは、生まれて初めてのことだ。
いや、別に貶されたり馬鹿にされたりしたことも無いんだけど。
それとも、やはり先輩のおかげだろうか。
自然に笑えるようになったのも、少し人に踏み込めるようになったのも、可愛いと言われるようになったのも。
全部、先輩のおかげに違いない。
「とにかく、ありがとうお母さん。これを着ていくね」
「楽しんでおいで。お小遣いはいる?」
「大丈夫。ありがとう」
北海道旅行でかなりお金は使ったけど、まだ貯金はある。正直、ほとんど無いようなものだけど。
お母さんが部屋を出たのを合図に、きちんと出かける準備を始める。
まだ待ち合わせの時間まで余裕がある。
先輩がどんなリアクションをしてくれるか、妄想しながら支度をしよう。
―――――――――――――――――――――
「かっ、可愛い……!」
時刻は夕方の五時。待ち合わせ場所の不行駅に現れた先輩の第一声は「可愛い」だった。
「ありがとうございます。いや、先輩もめっちゃ可愛いですね……。髪も浴衣仕様になってますし」
「えへへ。君に一番に見せたかったんだぁ」
その場でくるっとターンをする先輩。
白地にパステルカラーの花火が咲き誇っている浴衣。
三つ編みを捻って回して束ねたアップの髪。
ほんのりと赤い頬。
私に一番に見せるために、明日ではなく今日お祭りに行くことにしたのか。
この可愛さを、あまりに完成し尽くした美しさを讃える語彙を、あいにく私は持ち合わせていない。
「……あの、本当にめっちゃ可愛いです」
「そんなに言われると、照れるなぁ」
照れ笑う先輩の手を握って、祭りの会場に向かう。
駅から徒歩五分ほどで、すぐに到着した。
普段は車が通る場所だけど、不行納涼祭の時は封鎖して屋台が並ぶ。
歩道にも車道にも、所狭しと並んだ出店から美味しそうな香りが漂ってくる。
「先輩って、お祭りですごくお金を使いそう」
「あはぁ。よくわかったねぇ」
「まずは何から食べます?」
「やっぱり焼きそばは外せないよねぇ」
「学祭の時もそうでしたよね」
それとたこ焼きだったかな。
今日の先輩がどれだけ食べるのかは謎だけど。
まず、先輩と一緒に焼きそばの屋台に向かう。焼きそばの出店だけでも四軒ある。
私は値段以外の違いなんてわからないけど、先輩が真っ直ぐに向かったのは一番奥の焼きそば屋だった。
「おじさん、焼きそばを」
「二つ、お願いします」
「あいよ。……あれ、確か去年も来てくれたよな」
「うん。ここの焼きそばが一番おいしぃからねぇ」
「そうかそうか。違いのわかるお嬢ちゃんには大盛りサービスだ」
「ありがとぉ」
一年に一回しか会わなくても、忘れないレベルの美人なんだよね。
相変わらず、大人にすぐにサービスしてもらえる先輩は凄い。
おじさんは焼きそばを鉄板の上で作り始めた。
「ちなみに、他のお店と何が違うかと言うとね」
「はい」
「豚肉とモヤシが、ちょーっとだけ高いやつなんだぁ。あとソースが二種類まぜてあって、その分他より二十円高いんだけど」
「そこまで詳細に出店を研究してる人、初めて見ました」
「あはぁ。おいしいものを食べるための努力は惜しまないよ」
「ふふ。流石ですね」
「君への努力も、ね」
鉄板の上で音を立てて焼けるソースから視線を外し、私の顔を見つめる先輩。
少し前なら、私は食べ物じゃありませんよとか雑にツッコミを入れていたと思う。
でも、今はただドキッとするだけだった。
「あ、あれぇ。誰が食べ物ですかぁとか言わないの……?」
「……自分の発言には責任を持ってくださいね」
「う、うん?」
「はい、焼きそば二つお待ち」
「ありがとぉ。はい、お金」
「毎度あり」
「先輩、焼きそばのお金くらい出しますよ」
「まだまだ食べるんだから、これくらいはボクに出させてよぉ」
「ご、ごちそうさまです」
まだまだ食べるのは先輩だけだと思うけど、お言葉に甘えよう。
次に先輩が選んだのは、りんご飴の店だった。
正確には、りんご以外にも色々な種類のフルーツがある。
「ボクはりんごにしよっかなぁ。莎楼は?」
「私はぶどうにします」
「よし、それも先輩が買ってあげよぉ」
私の所持金が少ないことなんてお見通しなのだろう、先輩は意気揚々と飴を注文した。
まるで、一日目のログインボーナスの時みたいだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「手がふさがってきたし、どっかで座って食べよっか」
「そうですね。確か飲食スペースがあったはず」
飲食をしたり休憩をしたり、おじいちゃんおばあちゃん達がステージの上で歌っているのを眺めたりできるスペースが、会場の真ん中辺りにある。
喧騒の中に、たまに歌謡曲が混じって聴こえてくる。
はぐれないように、手を繋いで人混みの中を進む。少し傾いてきた太陽が、鈍く光る。
周囲の音がうるさいことも手伝って、飲食スペースに辿り着くまでお互い無言だった。
でも、嫌な沈黙ではない。手のぬくもりをじっくりと堪能できたから。
椅子に座って、テーブルの上に焼きそばを置く。
「席、空いてて良かったねぇ」
「そうですね。私、飲み物とか買ってきますよ」
「待って」
「はっ、はい」
「ボクを一人にしないで?」
「……食べ終わったら、一緒に買いに行きましょうか」
「うん!」
こんな美人を、座っているとはいえこんな大勢の中に取り残すなんて間違いにも程がある。
いや、違う。そんな回りくどい言い訳や前提なんて要らない。
先輩を独りにしたくない。しちゃいけない。
焼きそばを啜りながら、そして啜る先輩の顔を見ながら、私は悩んでいたことの一つに決着をつけることにした。
今日のログインボーナスは決まった。




