9日目:告白(前編)
秘密が無い人間はいないとは思いますが、それを誰にも口外しない人間もいるか怪しいですよね。
「軟体生物の次はゴリラかしら」
「待ってそんなに険しい顔してた?」
夕方。先輩のバイトが終わるまでの間、特に用事の無い私は、自宅のリビングにあるソファに座ってだらだらとしていた。とてもじゃないけれど、先輩にはお見せできないような格好だ。
「険しいにも程があるわよ。モアイでも可」
「そんなに顔に影が落ちてた?」
「何をそんなに考えてるの?」
「……自分の秘密を打ち明けるのと、相手のことを質問するの、どっちが先の方がいいかな」
「なるほどね。バツイチということを伝えてから接するか、いい感じになってから打ち明けるかで話は変わってくるものね」
「ごめん、母親の口からいい感じとか聞きたくなかった」
再婚とか考えているのだろうか。また男性と一緒になろうと考えているのかどうか、私にはわからない。
お母さんはいつも飄々としているというか、どこか冗談めいていて、掴みどころがない。なんだか少し、先輩に似ている気がする。
「で、秘密の話だったかしら」
「うん。お母さんは知っている……というか、お母さんしか知らない秘密」
「なんだ、私が知っているようなことなのね。まぁ、私が娘のことで知らないことなんて無いけれど」
「え、怖いんだけど」
「冗談よ。秘密にはね、二種類あるの。自分だけのものと、自分だけでは抱えておけないものの二種類ね」
「それは、どうやって判断するの?」
「相手に背負わせる覚悟があるかどうか」
「……なるほど」
「大抵の場合は、秘密なんてものは、相手は知らなくても生きていけるのよ。本人が、呵責や葛藤に耐えられるのなら、墓場まで持っていけば良いだけのことだもの。だから、伝える時は自己満足になっていないかどうか、しっかり考えなさい」
「うん」
「あんたが大好きな先輩は、一緒に抱えてくれそう?」
「わからないけど、そう願ってる」
そう、とだけ言って、お母さんは近くにあった雑誌を手に取り、読み始めた。
お母さんのアドバイスは、いつも参考になる。しかも、ずっと私に話していなかった秘密を、最近明かしてくれたばかりだ。それは、私の為になると思って話してくれたのだろう。事実、それは今の私の一つの指標となっている。
今日、先輩に秘密を明かす。
関係が壊れるかもしれない。そんなの秘密じゃないよって笑ってくれるかもしれない。
どんな結末になるとしても、この秘密を先輩に背負ってもらうことに決めたのだ。
先輩のバイトが終わるまで2時間を切ったことを、壁にかかっている時計が教えてくれた。
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「おまたせぇ。早く会いたくて、頑張って早めに終わらせたんだよぉ」
バイト先から、先輩が走って出てきた。なんだか最近、先輩が走っているのをよく見る気がする。早く会いたくて、と言いながら走ってきてくるところに説得力があって、より愛しい。
「お疲れ様です。私も早く会いたかったです」
「あはぁ、それじゃあ早速」
キスかな、と先輩の表情を窺うと、随分と神妙な面持ちで私のことを見つめていた。大きく、吸い込まれそうな瞳だ。いつものゆるい感じの、脱力した表情とは違う。纏う空気も、心なしか違う気がする。
「……先輩?」
「大事な話があるんでしょ。真面目に聞くから話して?」
「あ、あの。先に言っておくと、そんなに大したことではないと言いますか、なんというか」
「それを決めるのはボクじゃないから。君が大事だって言うんだから、それは大事なことなんだよ」
いつもの間延びした、ふわふわした喋り方とは違う。7日目のログインボーナスの時と同じだ。
そうなると、普段は演技なのかと勘繰ってしまうが、先輩なりの気遣いなのだろう。そういうことにしておこう。
どっちの喋り方でも、声質が可愛らしいのでそんなに大差が無いのは内緒だ。
「……では。私の秘密を話します。先輩にも、背負っていただきたいのです」
「あのさ。君がボクに言ってくれたこと、覚えてる?」
「……色々と話してきた記憶はありますが」
「『何をしても嫌いにならない』って、ボクがおしっこ漏れそうになった時に言ってくれたでしょ。ボクも同じだよ」
「ありがとうございます」
微笑む先輩を見て、なんだか胸にぬくもりのようなものを感じた。干したての布団に飛び込んだ時のような、旅先から自宅に帰ってきた時のような、ギリギリでトイレに間に合った時のような、そんな安心感。
大丈夫、何度も心の中で練習した言葉を、口に出すだけだ。先輩は微笑みながら、真面目に聞いてくれるのだから。
「先輩。私は──
今まで、恋をしたことが無いんです」
次回、先輩の秘密も明らかに。