68日目:Hokkaido Rendez-Vous(前編)
遂に始まる、北海道旅行編!
いつもより早くセットした目覚ましが、まだ薄暗い部屋で眠る私たちに起床を促した。
「ん……あぁ。先輩、起きてください」
「んぅ……あふふふふ……」
「壊れた!?」
「起きてるよぉ。よいしょ」
今まで一度も見たことがない勢いで、ガバッと体を起こす先輩。表情こそ眠そうだけど。
「凄いじゃないですか」
「絶対に遅刻してはいけないという想いが……ボクを起こしたってわけだよ」
「そんなに怖いんですか、ヒアさん」
「それもあるっちゃある……ふぁ」
大きな欠伸をして、先輩はベッドから下りた。それに続いて、私もスマホを持って下りる。
流石に朝の五時ということもあって、そこまでお腹は減っていない。洗顔と歯磨きをする程度に留めておこうかな。
シャワーを浴びるか悩む。時間に余裕はあるっちゃあるし、先輩と一緒にサッと入ろうかな。
「先輩、シャワー浴びます?」
「眠気覚ましにもいいかもねぇ。汗だけ流そっか」
「朝ごはんはどうしましょうか」
「センパイにコンビニとかに寄ってもらお」
「そうしましょうか」
階段を下り終えて、真っ直ぐ浴室に向かう。
持っていくものとか、今日着る服も決めてあるし、慌てずヒアさんを待とう。
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六時の十分前。玄関のドアを開くと、既にヒアさんの車が停まっていた。
気を遣って、インターホンを鳴らさずに待っていてくださったのかな。
八月といえど、早朝は肌寒い。立ち込めた朝靄の中、草の匂いがする。夏だ。
出てきた私たちに気がついて、ヒアさんが車から降りてきた。
白い無地のパーカーに、血まみれの兎のぬいぐるみがプリントされた黒いティーシャツ。下はいつもの黒いジャージだ。
「おはよぉ」
「おはようございます、ヒアさん。今日はよろしくお願いします」
「ん。サドちゃんは助手席、カサは後ろね」
「どうしてぇ?」
「カサは寝るでしょ。きーちゃんも後ろで寝てるから」
遠回しに、私に寝ないようにと言われた気分。謎のプレッシャー。
綺麗なトランクルームに、荷物を乗せる。前から思っていたけど、ヒアさんは車に余計なものを乗せないタイプらしい。
先輩は、キツちゃんを起こさないように静かにドアを開けて後部座席に座った。
私は助手席に座り、改めてヒアさんの方を向く。
「今日は、本当にありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくても良いケド」
「ヒアさんは、本当に優しいですよね」
「別に。そんなことはない」
「キツちゃんにも、先輩にも優しいじゃないですか」
「気のせいだよ」
全員がシートベルトを着けたのを確認して、車は動き出した。時刻は、丁度六時になった。
ほとんど車のいない道路を、法定速度でスイスイ進んでいく。
今日は月曜日だけど、昨日が山の日だったから振替で祝日になっている。もしかしたら混んでいるかと思っていたけど、流石に早朝は空いている。
「ヒアさん、途中でコンビニに寄っていただきたいのですが」
「サービスエリアでなんか食べよ」
「高速乗るんですか?」
「うん。早く着いた方が良いでしょ」
「早いのはありがたいですけども」
「別に二人のためじゃないよ」
「キツちゃんのため、ですもんね」
「何を言っても私をいい人にするつもりだな、サドちゃん」
ヒアさんは静かに微笑んで、ウィンカーを立てて高速道路の入口に向かって走る。
ふと後ろを見てみると、先輩もキツちゃんも可愛い寝顔で眠っていた。可愛い。
ETCカードが入っているらしく、専用レーンに入ってそのまま進む。なるほど、お金を払ったりする必要が無いのか。
高速道路なんて、最後に乗ったのがいつか思い出せないくらい久しぶりだ。すぐに通り過ぎていく窓の外の景色は、ほとんどが木。たまに民家や下道を走る車が見える。
先輩が寝ているのをもう一度確認してから、ヒアさんに話しかけるために口を開いた。
「サドちゃんは、カサと付き合うつもりはあるの」
けど、先制攻撃をされた。しかも強めの。
「えっと、その……。近いうちに、答えを出そうとは思っています」
「付き合わない可能性もあるってことか」
「うぇぇ、あっの……大好きなんですよ、先輩のことは」
「うん」
「でも、付き合うっていうのがどうしても特別なことに感じられてしまって」
「恋人になるっていうことは、約束をするってことだと私は思う」
「約束……」
「家族とか友だちとは違うから。サドちゃんの言う通り特別なんだよ」
まぁ私はすぐに別れちゃうんだケド、とヒアさんは笑わずに付け加えた。
約束、か。相手を特別な存在だと認めて、自分のことを特別だと思ってもらうための約束。
当たり前のことのようだけど、それが私にとってどれほど難しいことなのかを改めて痛感した。
恋をしたことがないとか、他人に踏み込めないとか。そういった過去の全てが、今でも鎖のように絡みついている。
左車線を走る私たちを、とんでもない速さで追い抜かしていく車の後ろをぼんやり見ながら、ヒアさんの言葉を反芻する。
音楽も流れていないので、車の走行音だけが車内に響く。
「もしも私が告白したら、先輩は付き合ってくれるでしょうか」
「カサが世界で一番好きなのはサドちゃんだと思うよ」
「わ、私も先輩のことが──」
「それから先は、カサに言いなよ」
「は、はい」
「それと」
言葉の途中で左にウィンカーを立てて、サービスエリアに入る。
広い駐車場に、お店とトイレとガソリンスタンドがある。大きなトラックが数台停まっている。
停車して、エンジンを止めたヒアさんが言葉を続けた。
「私の可愛い後輩を泣かせたら、サドちゃんでも許さないから」
「……肝に銘じます」
「ん。きーちゃん、カサ。起きて」
「ん……ヒアちゃん、ここは……?」
「サービスエリア。適当になんか食べよ」
「あれぇ、高速に乗ったのぉ……?」
「早く降りて」
「はぁい」
全員シートベルトを外して、車外に降り立つ。
まだ肌寒い。澄んだ朝の空気を、肺いっぱいに吸い込む。なんかいいな、夏の朝って。
お店の自動ドアが開いた瞬間に、パンの匂いが鼻腔をくすぐった。自然とお腹が空く。
半分はパン屋さん、もう半分はコンビニのような感じらしい。レジは一緒だけど。
ヒアさんが持つカゴに、食べたいものや飲み物を入れていく。勿論、後でお金を払うつもりではあるけれど、受け取ってもらえるだろうか。
「こんなもんでいいの」
「はい。私は大丈夫です」
「ボクはレジの横にあるホットスナックの、辛うまチキンも食べたいなぁ」
「私も食べよ」
お会計をヒアさんに任せて、三人で外に出た。
少ししてから、両手に袋を持ったヒアさんが戻ってきた。それを見て、すぐに動いたのは先輩だった。
袋を一つ受け取った先輩の横に並ぶ。
「先輩、ちゃんと寝てましたか?」
「完全に寝てたよぉ。どうして?」
「いえ、寝ていたなら良いんです」
「なぁに、センパイとボクの悪口でも言ってたのぉ?」
「ふふ。そんなわけないじゃないですか」
むしろ、その逆ですよとは流石に言えない。
いや、別にそんなこともないか。私が先輩のことを好きだってことは、周知の事実だし。
車に乗り込み、袋の中からそれぞれの朝食と飲み物を取り出す。私はメロンパンとチョココロネ、飲み物は珈琲。
「食べ終わったら、真っ直ぐ空港に向かうよ」
「わかりました」
「カサはここから寝たらダメだよ」
「多分寝ないけど、どうしてぇ?」
「私と話さないといけないサドちゃんの気持ちを考えて」
「ごめんねぇ莎楼、気まずかったぁ?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
本当にそんなことはないんだけど、これもヒアさんなりの気遣いだろうか。
それとも、いい人と言い続ける私へのささやかな意趣返しだろうか。
まぁなんでもいいか。早くパンを食べよう。
前編で空港にすら辿り着けない……だと!?




