7日目:ロング・キス・ミッドナイト(後編)
思っていることは、言葉にしないと案外伝わらないものです。言葉にしたからといって、必ず伝わるとは限りませんが。
煌々と輝く月に照らされ、思い詰めた表情の先輩がいつもより美しく見えた。
『I Love You』を『月が綺麗ですね』と訳したのが嘘か本当かはともかく、月が綺麗な今夜、私は先輩に『好きです』と言えずにいた。
「先輩だけではないですよ、私だって幸せです。無理やりとか、仕方がなくとか、そういった惰性で先輩に会っているわけがないじゃないですか」
「でも、ボクのことが好きなわけじゃないでしょ。君の青春を、ボクのわがままで台無しにするわけにはいかないよ」
「私が超絶イケメンの男子とお付き合いして、勉強もバイトも両立して、そして夜中にはネトゲをしていれば良いんですか」
「それが君の幸せなら、ね」
「私の幸せは、先輩と一緒にいることです。ログボ実装前よりも、ずっとずっと一緒にいられる時間が増えたことが、今の私の幸せなんです」
「……でも」
「前におっしゃっていましたよね、私が変わった時は責任を取ってくださると」
「……うん」
「ログボ実装からというもの、私は随分と変わりました。先輩とお付き合いをする方が、超絶イケメンの男子と付き合うよりも、よっぽど楽しそうだと思うようになりました」
「……」
「確かに、急な変化で自分でも戸惑っています。だから、まだ変わっている最中とも言えますね」
先輩は黙ったままだ。月は雲に隠れてしまった。
春先と言えど、まだ夜風は冷たい。スカートから覗く先輩の足が、とても冷たそうに見えた。
「……本当に、ボクと一緒でも嫌じゃない?」
「ええ、勿論ですよ」
「ボクのこと……好き?」
先輩は瞳を潤ませ、私に半歩近づく。月明かりも街灯もほとんどないこの夜道でも、はっきりと表情がわかる程度の距離だ。
私は、まだ本心に気がついていない。自分でもよくわかっていないのだ。
先輩と過ごすのはとても楽しい。キスも嫌じゃない。デートなんてドキドキが止まらなかった。お世辞でもなんでもなく可愛い先輩と、ログインボーナスを通じて触れ合える日常に幸せを感じる。
でも、きっとこれでは足りないのだろう。先輩は納得しないに決まっている。逆の立場なら、私だって上手いことを言ってはぐらかそうとしているのでは、と勘繰るに違いない。
──あんたは、好きな人と一緒になりなよ。
急に、お母さんの言葉が脳裏をよぎった。
「先輩。友だちとしてとか、恋愛対象としてとか、そういうことを考えずに言ってもいいですか」
「うん」
「好きです。大好きです。先輩と一緒にいられることが、私の幸せなんです」
「……ありがとぉ」
今度は私から、先輩に半歩近づいた。もしも私も胸が大きかったら、激突していそうな距離だ。
腰に腕を回して、優しく抱きしめた。こうするのが正解かはわからないけど、こうしたかった。
「先程も言いましたが、私は変わっている途中です」
「うん」
「責任、取ってもらいますから。逃がしませんよ」
「あはぁ。捕まっちゃったぁ」
いつもの口調に戻った先輩は、泣きながら私の胸に顔をうずめた。
貧相な胸で申し訳ない気持ちになった。こういう時は、やはり豊満な方が安心感があるのではないだろうか。
「1週間記念の日に、どうしてこんな話になるんですか」
「ごめんねぇ、なんか不安になっちゃってさぁ」
「先輩にもあるんですね、そういうこと」
「あるよぉ。ボクだって普通の人間だしねぇ」
普通の人間。そう言われてみると、私は先輩に対して、神聖視に近いことをしてきたのかもしれない。
先輩に『フラットな視点』だと言われたけれど、全くそんなことはない。
簡単に言えば、私は思わせぶりだったのだ。可愛いとか、一緒に居られて幸せだとか、先輩との新婚生活を妄想したりだとか、そういったことが好意だと受け取られるのは、少し考えればわかることだった。
「先輩。ログインボーナス関係なしに、キスしてもいいですか」
「明日は特別なログボだって言ってなかったぁ?」
「にも関わらず、今日で終わりにしようとしていましたね」
「え、えへへ」
「まぁ、ですから。関係なしに、ですよ。私個人からのキスだと思ってください。あれですよ、詫び石ならぬ詫びキスです」
「君がお詫びするようなこと、あったかなぁ」
「脳内で、そう結論が出ました」
抱きしめたまま、先輩の唇に私の唇を重ねる。あれから時間も過ぎて、真夜中と言ってもおかしくはない時間になっていた。
1日目と変わらない柔らかさに、私の胸は高鳴る。先輩にも、この鼓動が聞こえてしまっているのだろう。
1日目と違うのは、私からしたという点だ。土曜のデートの時も口にしたけど、あれも先輩からだった。
今までのキスの中で、一番長いキスをした。
「……あはぁ、ボクはやっぱり幸せ者だなぁ」
「これは先輩の意思ではありませんからね。私の意思です」
「うん。ありがとぉ」
ログインボーナスもキスも終わったけれど、月明かりに照らされたまま、もう少しだけ抱き合っていたいと思った。
多分、先輩もそうだろう。
取り敢えず、先輩が落ち着いてくれて安心しました。次回はなんだか特別なログインボーナスがあるとか。無いとか。




