65日目の夜:嫌よ嫌よはイヤの内
前回の補足的な続き的な話になります。
買った水着のタグを切って洗濯カゴに入れて、夕飯もお風呂も済ませた。
あとはログインして適当にクエスト消化をしたら寝るだけ。そんな夜。
8月ということもあって、窓を開けておかないと夜でも暑い。パソコンが熱を持つから尚更。
扇風機を隣に置いて、中を選択して首振りボタンを押す。やっぱりエアコンが欲しいけれど、値段も高いし工事費は別だし、そう簡単に手を出せる代物ではない。
「今日のログボは……復活アイテムか。課金アイテムなのに珍しい」
戦闘不能時に、このアイテムを消費する代わりに自動で復活できるレアアイテム。基本的にはパーティーメンバーに蘇生してもらえるので、ソロで高難度に挑戦する時なんかに重宝する。
間違って使用しないようにアイテムボックスに入れたところで、スマホが振動した。慌てて画面を確認すると、先輩からの着信だった。
クエスト受注前で良かった、と思いつつ通話に出る。
「もしもし」
『えっと、今電話しても大丈夫?』
「はい、大丈夫ですよ」
左手でカーソルを動かし、ゲームの音をミュートにする。アイテムボックスの前で棒立ちするマイキャラの背中を見ながら、先輩の言葉を待つ。
『えっとね……その、買い物の時のことなんだけどね』
「はい」
『その……イヤな思いをさせちゃって、本当にごめんね』
「いや、本当に気にしていませんから。もう謝らないでください、ね?」
『ありがとぉ……。あのね、ボクはなるべく君にイヤな思いをしてほしくないんだけどね』
「先輩相手に嫌な思いをしたことなんて、一度もありませんよ」
本当に一度も無いかは確信が持てないけれど、だからといって嫌な思い出も特に思い浮かばない。
しかし先輩の声色はまだ暗く、電話越しでも落ち込んでいることが伝わってくる。
『そう言ってもらえると嬉しいなぁ』
「……先輩にとって、嫌という言葉は何か特別な意味があるんですね」
『そうだねぇ。母親の口癖だったから、つい過剰に気にしちゃうのかも』
「……なるほど」
幼い先輩が、まだ母親と言葉を交わしていた頃を勝手に想像する。嫌という言葉を何度も言われる先輩は、どんな気持ちだったんだろう。
そんなことを思い出させたくないし、私もなるべく言わないように気をつけよう。
『君まで暗くしちゃってごめんねぇ。あ、ゲームの邪魔だろうしそろそろ切るね』
「何故ゲームをしているのがわかったんですか」
『なんとなくだけど、当たってたぁ? それじゃ、おやすみぃ』
「ま、待ってください」
『んぅ?』
「あの……土日は何か用事がありますか?」
『特にないよぉ。荷物を準備するくらいかなぁ』
「では、荷物をまとめたら私の家に泊まりませんか」
『お泊まりぃ?』
「あの、ほら。月曜日出発ですし、一緒の方が寝坊のリスクとか減るじゃないですか。最初から一緒に行動した方が効率的ですし。……それに」
『それに?』
「……先輩と一緒に居たいんです」
『も、もぉ。本当に可愛いんだからぁ。じゃあ明日の夕方くらいに行くね』
「はい、お待ちしてます」
『それじゃ、今度こそおやすみぃ。また明日ね』
「おやすみなさい。また明日」
電話の向こうで、先輩はきっと笑っているに違いない。すっかり声のトーンも、いつもの明るさとふわふわさに戻っていたし。
通話を終了して、スマホを机の上に置く。ついでにゲームもこのまま終了して、早めに寝よう。
私も荷物の準備をしないといけないし、部屋の片付けとか……は明日でも良いか。それよりも先にお母さんに許可を得ないと。
部屋を出て、一階に降りる。ローカルタレントが料理を作ったり不行市のお店を紹介したりする番組を観ているお母さんに、先輩が泊まることを伝えた。
「別に良いけど、先輩ちゃんが泊まりたいって言ったの?」
「えっと……私から誘ったんだけど」
「月曜日には北海道に行くのに?」
「だからこそだよ。ほら、朝から一緒に行動した方が良いじゃん」
「一緒に居たいだけでしょ。あ、先輩ちゃんに手土産もお土産もいらないからって伝えておいて」
「……わかった」
いつから、お母さんは先輩のことを『先輩ちゃん』と呼ぶようになったんだろう。初耳だ。
部屋に戻ろうと思ったけど、ふと気になったので会話を続けることにした。
「ねぇお母さん。お母さんはさ、私に嫌とか駄目とか言ったりしてた?」
「危ないことをしようとした時は言ってたと思うけど。どうしたの急に」
「ううん、なんでもない。いつもありがとうね」
「今日って母の日だったかしら」
「い、良いじゃん別に。お礼が言いたくなっただけ。おやすみ!」
「? おやすみなさい」
なんか少し恥ずかしい気持ちになりつつ、今度こそ部屋に戻る。
私は家族に恵まれている。お父さんも兄弟もいないけど、お母さんのことは尊敬しているし、女手一つでここまで育ててくれたことに感謝もしている。
何もかもが親や教育のせいではないと思うけど、先輩の自己評価が低いところとか、実は自信が無いところとか、そういうのはきっと幼少期の経験のせいなのだろう。
階段を上り終えて、部屋に入る。ドアを閉めて電気も消して、さっさと寝てしまおう。
明日は隣に温もりがある予定のベッドに倒れ込み、目覚まし時計をオフにしてタオルケットを被る。
こんなにも、誰かを抱きしめたい夜は初めてだ。
早く明日が来ることを祈って、目を閉じた。
次回、お泊まり。




