番外編:お客サマは小学生
先輩が出てこないので番外編ってことになってます。
「あれ、キツちゃんじゃないですか」
「あ、えっと……カサちゃんの、後輩さん?」
今日は月曜日。バイトのために開店前のVentiに来たところ、カウンター席にキツちゃんが座っていた。
麦茶の入ったグラスと、算数のドリルらしいものが置いてある。
「そういえば、私は自己紹介をしていませんでしたね。私は茶戸莎楼と言います。好きに呼んでもらって構いません」
「えっと、じゃあ……クグルさん、で」
「はい。よろしくお願いしますね」
「よろしく、です」
先輩は『ちゃん』で、私は『さん』なのか。不思議だ。
動物園で会った時に、キツちゃんの名前は聞いたけど自分は名乗っていなかった。
先輩は、ヒアさんの家に遊びに行った時に会話したって言っていたな。
「おはようございます……茶戸さん」
「おはようございます、マスター」
「タイラちゃんは……ヒアが連れてきましてね。Ventiの方が涼しいからって……」
「なるほど。確かに留守番させるならお店の方が涼しいですよね」
「そういうことです……。タイラちゃんはとてもいい子なので……二つ返事で了承したんです……」
マスターとヒアさんの詳しい関係性は知らないけど、子どもを預けられるくらい信頼されていることはわかる。
取り敢えず着替えるために、更衣室に向かう。
Ventiの制服は夏も冬も同じだけど、流石に暑い。店内はクーラーが効いているからまだ良いけど。
今日は10時開店で、夕方6時まで勤務する。学校がある時はそんなに長く働けないので、夏休みの特権と言える。
閉店まで居ようと思っていたけど、それは働きすぎらしい。
今日は先輩もバイトだし、別に何時間でも働けるんだけど。
「クグルさん」
「はい、どうしました?」
「えっと……ここの問題がわからなくて」
「これは一つ前の問題の応用ですね。図形が違うだけで、面積の求め方は同じです。えっと、こことここの長さを掛けて……」
「あ、わかりました。ありがとうございます、クグルさん」
「いえいえ」
私のことを名前で呼ぶ人が、また一人増えた。ほんの数ヶ月前までは全然いなかったのに。なんだか不思議だ。
店内の清掃、テーブル拭きを済ませ、お客さんが来るのをゆっくりと待つ。開店してすぐに来るとは限らないし、日によっては全く混まなかったりもする。
しかし今は夏休み期間、しかも学祭でVentiのファンが増えたのは事実で、ここ最近は結構忙しい。
私以外にも誰か雇ったりしないのだろうか。元々はマスターがお一人で回していたわけだし、雇うのは私一人で十分なのかもしれない。
開店から20分。チリン、と鈴がなって戸が開いた。
「いらっしゃいませ……って、ニケさんとアラさん」
「おっ、今日は後輩ちゃんがいる日だったのか」
「カサと同じ曜日にバイトを入れているんだね、ですね」
「鋭いですね。ご注文は?」
「あたしはオムライスと食後に珈琲で」
「私はオニオングラタンスープとミニアップルパイ、食後に珈琲をお願いするよ、です」
「かしこまりました。お好きな席に座ってお待ちください」
お二人の言う珈琲とは、Ventiのオリジナルブレンドのものを指す。他の珈琲も勿論あるけれど、やはりオリジナルが個人的にも一番好きだ。
マスターに注文を伝え、戻るとニケさんがキツちゃんと会話していた。顔見知りではないと思ったけど、どうなんだろう。
ニケさんとキツちゃんの保護者でもあるヒアさんの間には、何かしらの因縁があったハズ。
「へぇ、それでお店で待ってるのか。偉いなぁ」
「そ、そんなことないですよ」
「動物園の時はごめんな」
「ううん。仲直りできたみたいでよかった、です」
別に盗み聞きをするつもりは無かったのだが、どうやら動物園でニケさんはヒアさんに遭遇したらしい。
先輩の忠告電話は効果があったのか怪しいけど、平和的な方向に進んだようで何より。
「後輩ちゃんも煙草屋先輩と面識があったんだな。カサっちと仲が良いから当然か」
「ニケさんは、ヒアさんのことが苦手とお聞きしましたが」
「えっ、いや……もう大丈夫、この前和解したからさ」
「そうですか」
「っていうか、煙草屋先輩のことをヒアって呼ぶ人、久しぶりに見たぜ……」
「本人がそう呼んで、と仰っていたんですけど」
「あれは、めちゃくちゃ仲良い人にだけ呼ばせてるニックネームなんだよ。例えば、アラちゃんのお姉さんとか」
大体みんなそう呼ぶから、と本人が言っていたのに。確かに思い返せば、先輩もニケさんもムラエさんも、誰一人としてヒアとは呼んでいなかった。
そして、今初めてヒアさんの苗字を知ったけれど、煙草屋煙の何処をどう切り取ったらヒアというニックネームになるんだろう。今度訊いてみようかな。
「仲のいい人、が呼ぶあだ名ってなんか……いいですね」
「キツちゃんも呼んでみたらどうです?」
「お、怒らないかな……?」
「もし怒ったりなんかしたら、あたし達が逆に怒ってやろうぜ」
「お姉ちゃんにも怒ってもらおうよ、ですよ」
なんて四人で盛り上がっていると、マスターが注文の品を運びに来てくださった。しまった、それは私の仕事なのに。
「ふふっ……楽しそうですね……」
「すみませんマスター。また盛り上がってしまって……」
「前にも言いましたが……お客様とお話するのもお仕事ですよ……」
ニケさんの前にオムライス、アラさんの前にオニオングラタンスープとミニアップルパイが置かれる。
オニオングラタンスープという料理を初めて見たけど、美味しそうだ。マスターの作る料理が全て美味しいのは確定しているんだけど、私もそろそろアップルパイのセット以外を頼んでみようかな。
「これ、あたしの好きな卵がしっかりしてるやつだ……美味い」
「お姉ちゃんの料理はどれも最高だよ、ですよ」
「アラちゃんも料理上手だもんな」
「お姉ちゃんに色々教えてもらったからね、ですね」
「お二人は、手作りの料理を食べたり食べさせたりする関係なんですね」
「そーいう後輩ちゃんは、カサっちとはどういう関係なんだよ」
「……卵焼きを作ってあげる関係です」
先輩のおばあちゃんのことを思い出しつつ、言葉を選ぶ。
お二人は、私と先輩の関係をどう思っているのだろうか。とても仲のいい友人……程度では誤魔化しきれないところまで来てる気がする。ダブルデートとか言ってたし。
食後の珈琲は私が運び、他には誰も来ないな、なんて考えていると、チリンと鈴が鳴った。
「ん。今日はサドちゃんの日だったのか」
「ヒアさん」
「二家もいたのか」
「ど、どうも」
「お待たせ、タイラちゃん。帰ろ」
「あ、あの……ね?」
「うん」
「みんな優しくしてくれて、楽しかったけど……やっぱりわたし、ヒアちゃんと一緒にいたいなって」
店内に、謎の緊張が走る。キツちゃんが勇気を出してニックネームを呼んだけど、それにどう応えるのか。
「……なるべく一緒に行けるように頑張るよ。キツちゃん」
「……! う、うん!」
「それじゃ、カロによろしく伝えておいて」
「会っていかれないんですか?」
「うん」
そう言って、ヒアさんとキツちゃんは手を繋いで店を出た。
しかし、キツちゃんが算数のドリルを忘れていることに気が付いて、私も二人を追う形で店を出た。
「あ、あの」
「ん」
「算数のドリル、忘れてますよ」
「あ、ごめんなさい……ありがとう、です」
「いえ。その……良かったですね、キツちゃん」
「……うんっ!」
子どもらしい、とても無邪気な笑顔。こんなに素敵な表情を見せるのだから、やっぱりヒアさんはいい人なんだろうな。
「それでは、またの御来店をお待ちしています」
「サドちゃんの制服姿、すごく可愛いからまた来るよ」
「ダメだよ、クグルさんはカサちゃんの……」
「いや、別に取って食べたりはしないケド」
なんて会話をする二人の背中を見送り、店内に戻る。
「後輩ちゃん、あたし達も帰るよ」
「はい。ではお会計を」
「今日は私が払うよ、です」
「いやいや、この前もアラちゃんが払ったじゃん。今日はあたしが」
同じようなやり取りを先輩と何度かしたことがあるなぁ、と思いつつ、話がまとまるまで待つ。
先輩といえば、今日はバイト終わりに会えたりするのかな。会えなくても、電話とかかけてみようかな。
明日はどうかな。そろそろ北海道旅行の話もしたいな。
「待たせたな後輩ちゃん、あたしが払うよ」
「ふふっ、かしこまりました」
「なーに笑ってんだよっ」
「いえ、私も先輩と同じようなやり取りをするので」
「……カサっちと、どういう関係なんだ?」
ニケさんになら話しても良いか、と思いつつ、一呼吸置いて答える。
「さっきも言ったじゃないですか、卵焼きを作ってあげる関係ですよ」
次回、そろそろ夏らしいことをしよう。




