63日目:雨と飴とキスの雨
ただキスするだけ。
梅雨が明けたからといって、雨が降らないというわけではない。
窓の外を見て、朝とは思えないほど暗く曇った空と、草花を俯かせる雨量に気分が沈む。元々、不行市は降水量が多い地域だから仕方ない。
そんな憂鬱な日曜日。何もやる気が起きず、意味もなくベッドの上でゴロゴロしていると、申し訳なさそうな音量でスマホが着信を知らせた。
先輩以外の人だったら無視しよう、と思いながら画面を確認した結果、電話に出ることが確定した。
「もしもし」
『起きてたぁ?』
「一応」
『今日の雨はだめなやつ?』
「だめなやつですね」
『うーん、じゃあ会うのはやめといた方がいいかなぁ』
「……会いたいよ」
『んふっ。じゃあ、次の電車で向かうねぇ』
「はい、待ってます」
通話を終了して、スマホを枕元に置く。湧き上がる喜びとは裏腹に、体は全く起き上がる気配を見せない。
せめて、せめて洗顔と歯磨きくらいはしないと。
部屋はそれなりに綺麗だし、軽く掃除機をかける程度で済ませよう。朝ごはんはどうしようかな、コーンフレークとかあると助かるけど。
先輩が来てくれるのはとても嬉しいけど、お昼とかはどうしようかな。また宅配ピザでも良いんだけど、北海道に行く前だし節約したい。かと言って奢ってもらうのは申し訳ない。
まぁ、お昼になってから考えれば良いか。今の自分の思考能力は、著しく低下しているわけだし。
「取り敢えず……起きよう」
声に出すことでやる気を出す作戦。
なんとか重たい体を起こして、スマホを持ってベッドから降りる。よし、偉いぞ私。
そのまま部屋の戸を開けて、階段を下りる。
リビングに入ると、お母さんの姿は無かった。今日は休みの日だったと思うけど、雨の中どこに出かけたんだろう。
スマホをテーブルの上に置いて、パンやコーンフレーク等が置いてある棚を確認する。よし、未開封のコーンフレークがある。しかもチョコ味だ。
次に冷蔵庫の中を確認する。牛乳パックを持ち上げて、残量をチェックする。コーンフレーク三杯は食べられそうなくらい残っていて一安心。
シチューを食べる時にも使う、白いボウルみたいな皿にコーンフレークと牛乳を注ぐ。
少しやわらかくなって、牛乳がチョコレート色になったのでスプーンで掬って口に運ぶ。うん、美味しい。
コーンフレークを食べ終え、食器を台所に下げる。今すぐに洗う元気は無い。
後は洗顔と歯磨きと着替えだ。頑張れ私。
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「おじゃましまぁす」
「上がってください」
なんとか人間として最低限の準備を済ませ終え、夏用の部屋着で先輩を迎え入れる。右手に傘、左手にはコンビニのビニール袋が握られている。
先輩は濡れた傘を玄関の傘立てに差し、靴を脱いで上がる。そして私の手を握って、いきなりキスをした。
「それじゃあ、お部屋に行こっかぁ」
「は、はい」
戸惑う私を他所に、先輩は先に階段に足をかけた。私はおよそ一段程度の距離感で、その後を追う。
「今日のログボなんだけどさ、ただチューしたいんだぁ」
「元々、ログボってキスのことでしたもんね」
「それもそうなんだけどさぁ、なんかこう……チューしたい」
「いつものことでは?」
そもそも、私にキスをしてもらうために始まったのがこの関係なわけだし。
まぁ、あの頃と今が『同じ関係』とは思えないけど。
「最近は、他のログボにキスがセットみたいな感じが多かったからさぁ。キスをメインにしたくてね」
「なるほど」
なんて、イベント前の会話のようなものが終わったところで、ドアを開けて部屋に入る。
雨のせいで空気が重たい。除湿機が欲しい。エアコンなんて文明の利器も無いし、扇風機に頑張ってもらわないと。
一緒に並んでベッドの上に座る。今回は寝ないように気を付けないと。
「それじゃあ、早速」
「わっ」
ベッドに押し倒され、特に抵抗もせずに先輩の顔を見ていると、その綺麗な顔がどんどん近付いてきて、唇が重なった。
柔らかい唇の感覚、ほとんど重さを感じない先輩の体重。室温と体温に包まれた暑さ。
ゆっくりと先輩の舌が私の舌に触れて、部屋には荒い呼吸音と唾液の絡む音だけが響く。雨のせいか、虫の声は聴こえない。
「んっ……ぇろ、んぷ……」
「はぁ……ふぅ……」
「ぷはっ。……はむっ」
離れた唇が、今度は私の唇を甘噛みする。どちらの唇なのかわからなくなるような錯覚に陥る。なんだかムニムニしていて気持ちいい。
「そうだぁ、ちょっといいかなぁ」
「……?」
倒れたままの私から離れて、ビニール袋から袋に入った飴を取り出した。舐めている内に色と味が変わるやつだ。子どもの頃、よくお母さんに買ってもらった記憶がある。
先輩はそれを一粒口に含んで、占いの書かれた個包装を持って私に近付く。そして口を開いて、舌の上の飴玉を見せてきた。
「ふぁにふぃろ?」
「まだ紫色ですね。そこから何色になるかで運勢がわかる、みたいなやつでしたよね?」
「うん」
個包装を確認すると、みどりになると恋愛運が高く、黄色になると金運が高い、透明になるとちょっとアンラッキーと書いてある。
因みに、最初からみどり色のマスカット味のものは色が変わらない。
何故このタイミングで先輩が飴を舐め始めたのか、その理由を考えようと思った矢先にキスをされた。
口と口の、直通トンネルを通って飴が侵入してきた。いや、これ普通に寝たままだと危険な気がする。喉にダイレクトアタックされたら最悪死ぬし。
横を向いて、先輩にも横向きに寝転んでもらう。
向かい合って、暑さも気にせず抱き寄せる。少し飴を舐めてから、先輩の口内に飴を戻す。
「君の味がする」
「しません。ブドウ味です」
「あはぁ。ちゃんとするけどなぁ」
べぇ、と舌を出す先輩。覗く飴の色はまだ変わっていない。子どもの頃は思わなかったけど、案外時間がかかるんだな。
少しして、また私の口に飴が戻ってきた。さっきより小さくなっている気がする。
「……先輩の味がします」
「えー、どんな味ぃ?」
「えっ、と。なんか……キュンとする味、かな」
「もぉ、かわいいんだからぁ」
ぎゅっ、と強く抱きしめられ、熱と柔らかさにドキドキしていると、先輩の口から伸びる舌が私の唇をつついた。飴を戻してって合図だろうか。わからないけれど、そうだと判断してキスをする。
「んむぅ。……そろそろ変わったぁ?」
「あ、変わってますね。みどりです」
「恋愛運かぁ。そろそろ好きな人と付き合えたりするかなぁ?」
「付き合えると良いですね」
「もぉ、他人事みたいに言わないでよぉ!」
「ふふ、ごめんね」
「……も、もぉ。突然のタメ語はずるいってぇ」
「今、タメ語になってました?」
「今に限らないけどねぇ。今日の会話を振り返ってみてぇ?」
「いや、会話ログとか残らないんでわかりませんよ」
先輩はベッドから起き上がり、飴を一つ取り出して私に投げ渡した。
両手でそれをキャッチして、個包装を破いて中身を取り出す。
残念、初めからみどり色だ。
今回の投稿で、30万文字に到達しました!全部読むのに約10時間かかるらしいです。ここまで読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます!




