番外編:苦労百合談義
どうやら尾途から帰ってきて以来、まだ先輩は後輩に会えていないようで。
「莎楼がとられちゃうぅ……」
「盗られるも何も、元々カサのじゃないと思うケド」
「それはそうなんだけどさぁ」
そもそも人はモノじゃないからね。
そんなことは百も承知だけど、それでもボクじゃない誰かの隣にいる君を想像したくない。なんて、独占欲が強すぎるかな。
今日は28日、日曜日。時刻は午前10時、場所はセンパイの借りてる部屋のリビング。
尾途から帰ってきてから、一度も莎楼に会えていない。お互いそれなりの理由と用事があったから仕方ないけど、これなら夏休みより平日の方がよっぽど良かった。
昨日からここに泊まっているボクが、莎楼がアキラの妹と遊んだことをとやかく言う権利なんてないんだけどさ。
「付き合っているわけじゃないのは知ってるケド、サドちゃんが他の人に靡くわけないでしょ」
「でも、アキラの妹はボクに似てるんだよねぇ……。付き合ってないと、こういう時に自信がなくなっちゃう」
「元々、そんなに自信があるタイプじゃないもんね」
「自信満々なセンパイが羨ましいよぉ」
「別に、私も自信満々ってわけじゃないケド」
センパイは、空のコップを持ち上げて口元まで運んだ。そして中身がないことに気づいて、軽くため息をつく。
時々、こういう抜けたことをするからセンパイは侮れない。
「タイラちゃん、麦茶ってまだ残ってたっけ」
布団が敷かれたままの寝室で、朝から勉強をしているタイラちゃんに訊くのはどうかと思うなぁ。
「もう残ってないよ。わたし、買ってこよっか?」
「大丈夫、カサに買いに行かせる」
「なんでボクだけなのさ」
「タイラちゃんを1人置いていけないし」
「3人で買いに行くのはどうです……かね?」
「たまに敬語っぽくなるの可愛いねぇ」
なかなか子どもと接する機会がないから、正直楽しい。
センパイが言うにはタイラちゃんは男の人が苦手らしいから、ボクなら平気だろうし。
「え、えっと……ほら、ケムリちゃんも一緒に行こ?」
「そうだよぉ、車出してよぉ」
「断る。暑いから嫌」
そう言ってセンパイは立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲み始めた。運転したくないからって突然アルコール摂取する人いる?
「じゃ、行ってらっしゃい」
「わたし、カサさんと一緒に行ってくるね」
「ん」
「ボクと2人にして大丈夫なの?」
「何も心配はしてないケド」
「ほら、言われたくないこととかあるんじゃない?」
「カサになら、何を知られても平気」
「信頼として受け取っておくねぇ。それじゃ、行こっか」
「は、はい」
センパイから3千円とタイラちゃんを預かって、部屋を出る。思ったより暑い。お昼前とは思えない陽射しと暑さだ。
やっぱり、冷房の効いたセンパイの車で行きたかったなぁ。子どもは地面に近い分、暑いらしいし。
コンビニまで徒歩5分くらいだから、大丈夫だとは思うけど。
「多めにお金もらったし、麦茶以外もなんか買おっか」
「怒られないですかね?」
「センパイが怒ってるの、見たことないなぁ。タイラちゃんは見たことある?」
「ない……かな。あ、1回だけ怒られたことあります」
「怒ったら怖そうだなぁ」
「静かに怒るタイプ、です」
「あはぁ。そんな感じするなぁ」
ちょっと気になるけど、間違っても怒らせることなんてしたくない。莎楼は前に、ボクが怒るところを見てみたいって言ってた気がするけど、そもそも何かに怒ること自体がほとんどないからなぁ。
5分より長く、10分よりは短い時間でコンビニに到着した。自動ドアの向こうはキンキンに冷えている。温度差で風邪をひきそうになる。
カゴを取って、ドリンクの棚の戸を開ける。麦茶の大きいペットボトルと、あとは何を買おう。
「タイラちゃんは何飲むぅ?」
「わたしも麦茶でいいですよ」
「えー。じゃあボクはいちごミルク買っちゃお」
「……じゃあわたしは、バナナオレを」
「それおいしぃよねぇ」
センパイにも同じやつを買っておこう。あとはお菓子とかパンも買おう。お昼ご飯はサンドイッチにしようかな。
「あ、あの。お昼ごはんまで買って大丈夫でしょうか」
「なんか言われたらボクが払うから大丈夫だよぉ」
心配性なところとか、敬語とタメ語が混ざってるところとか、すごく莎楼っぽい。子どもと比較するのもどうかと思うけど。
センパイも莎楼のことを気に入ってる節があるし、こういう子が好きなのかなぁ。ボクも大好きだけど。
タイラちゃんに入口付近で待ってもらってる間に、お会計をする。3千円でお釣りがくる金額で一安心。
一緒にコンビニを出ると、冷えた体を一瞬で現実に引き戻す、夏の太陽が容赦なくボクたちを襲った。
「それじゃ、帰ろっかぁ」
「袋もちますよ、カサさん」
「優しいねぇ。でも重たいから気持ちだけもらっておくねぇ」
帰りはお互い無言だった。呼吸をするだけで精一杯だったとも言える。
センパイの待つアパートに到着し、鍵のかかっていないドアをタイラちゃんに開けてもらう。
「ただいまぁ。暑かったよぉ」
「ただいま、ケムリちゃん」
「おかえり」
「あ、お釣り渡すね」
「いらない。……ん、バナナオレが2本あるけど」
「1本はセンパイのだよぉ。ボクはいちごミルク」
「そっか」
そう言ってセンパイは、水滴のついた麦茶のペットボトルを袋から出して、3つのコップに注ぎ始めた。
こういう気配り上手というか気遣いができるというか、そんなところもセンパイの長所だよねぇ。
おつかいで乾いた喉に、一気に麦茶を流し込む。キンキンには冷えていないけどおいしぃ。生き返る。
「ぷはぁ。元気ふっかーつ」
「昼はサンドイッチなのか」
「ボクが食べたかったから」
「飲み物以外も買ってきて偉いね」
怒られるどころか褒められちゃった。嬉しい。
タイラちゃんは麦茶を飲んで、また寝室に戻った。勉強の邪魔をして悪かったなぁと反省した。
「ねぇセンパイ」
「何」
「センパイがタイラちゃんのことを好きな理由、なんとなくだけどわかったよ」
「……いや。そういうのじゃないから」
「ボクは、センパイが子ども好きでも引いたりしないよ?」
「違う。少なくとも今は違う」
「さすがのセンパイも、子どもには変なことしないんだねぇ」
「ちゃんと愛とか恋とかがわかるまで、何もする気はないよ」
麦茶のお代わりを自分のとボクのコップに注いで、センパイは天井を見上げる。ただでさえ禁煙しているのに、禁欲までできるのだろうか。心配だなぁ。
「ボクは我慢とか苦手だからなぁ、尊敬しちゃうよ」
「普段から敬って。サドちゃんみたいに」
「莎楼ぅ……」
「え、何。どうして暗くなるの」
「だってさぁ。学校がある時は毎日会ってるわけだしさ、一緒にいない時はどんどんマイナス思考になるというか」
「男と付き合ったらどうしよう、とか?」
「……女の子を好きになるって、大変だねぇ」
「人を好きになること自体、大変なことなんだよ」
性別や年齢の差なんて誤差みたいなもの、とセンパイは続け、麦茶を一気飲みした。
そうだよね、楽な恋愛なんてないよね。莎楼とは順風満帆に事が進んでいると信じて、あまり暗くなるのはやめよう。
悩みや苦労は尽きないけど、それを補って余りあるほどの幸せや楽しいこともある。
明日はバイトだし、明後日。火曜日に莎楼を誘って遊ぼう。
そして、あのログボを頼もう。今から楽しみだなぁ。
次回、遂に7月最後のログボ。




