2日目(夕):温泉と薬草
あのとき、あの手を取った理由は――。
山路は木々の匂いでいっぱいで、それに慣れない王都育ちのフウカは大きく深呼吸をした。
前を歩くミヤコ――かつての恋敵の背中を眺める。
どうして。
いったいどうして私は、彼女の手を取ってしまったのだろうか。
***
「もうすぐ着くよ、フウカちゃん」
「まったく、こんな山道を……」
「絶対気持ちいいよ、露天風呂!」
露天風呂。
耳慣れない言葉に、フウカは肩をすくめる。
恋敵として接していたときには気づかなかったけれど、なにやら本当にエキセントリックだ。このミヤコという女は。
「今日はお風呂にはいって暖まって、はやくに寝ようね! 今日は天気も崩れそうだし」
「それも【千里眼】ですの?」
「いや、西の空が」
ミヤコが空を指さす。
西の空の向こう側が暗かった。
「天気は西から動く!」
「……へぇ」
空を読むことができるのか。
空読みは白魔術に含まれる技術のひとつだ。この国では古くから良家の子女のたしなみとされる白魔術だが、いまやほとんどの人間が免許皆伝を金で買っている。
ハミルトン家もその例に漏れず、『白魔術なんぞに時間を割くくらいならドレスでも買いに行け』と父は言っていた。
フウカはそれに反発した。『わたくし自身の力で手にしなければ、免許皆伝なんて意味がありませんわ』、と。
たぶん、今思えば。
それも、父にとっては気に入らなかったのだと思う。
自分の力で勝ち得ていないものに、なんの意味もないのにと。フウカは思う。
きっとそれは、間違ってはいないはずなのに。
「まだ遠くにあるから、家に帰るまではお天気が持つといいね」
白魔術の知識をこうしてサラリと使いこなすミヤコは、フウカが思っていたよりはなかなかに努力家なのだろう。
「……ふん。ミヤコもなかなか、やりますわね」
「ん!? もしかしていま、フウカちゃんに褒められたっ!?」
「褒めてませんわ」
「そっかぁ、残念~!」
ずいぶん素直なことで。
そう。
あのときミヤコの手を取ってしまったのは、気の迷いなのだ。
少し自分は疲れていた。
ここでの暮らしは、王都では決してできなかったような体験にあふれている。
やってみたいと思っていた畑仕事も。
思ったよりも難しかった料理も。
ずっと勉強していた大陸語だって、実際に使ったのは今日が初めてだ。
『いい商人になるヨ~』、なんて言われたときにはリップサービス半分だとわかっているのに心がときめいて仕方がなかった。
自分がやってきた努力が、実際の世界で、自分の力で実っている。
それは、とてもわくわくすることで……疲れが吹っ飛ぶようだった。
「そうね。わたくしは、少し疲れていただけですわ」
「ん?」
「なんでもないですわ」
そう、少し疲れていただけだ。
だから、風の吹く窓辺であの手を取ってしまった。
白く、力強いミヤコの手を。
疲れていただけ、きっと、疲れていただけ。
だから、この2週間だけは骨休めをしよう。
『期限は2週間。それまでに、幸せだと言わせてみなさい』と。
そうは言ったものの、『幸せだ』なんて言ってやるつもりもなければ、言う予定もない。
これは、2週間だけの悪ふざけだ。
ふと。
近くを流れる川のほとりに生えている植物が目についた。
それは、図鑑でしか見たことがない薬草で。
「月光草?」
「ん? なぁに、フウカちゃん」
「珍しい薬草ですわ。月の女神の加護を受けて、どんな病気にも効くといわれている薬効の高い鉱山薬草ですわ」
「へぇ、取っていく?」
「いいですわ」
フウカは首を横に振る。
「月光草は保存が難しいことで有名ですの。無駄にすることはないでしょう」
「そっか。それもそうだね」
てくてくと歩く。
てくてく、てくてく。
「……」
「……でも、ちょっと近くで観察するくらいでしたらバチは当たりませんわね?」
「ふふふっ、うん。そう思うよ、フウカちゃん!」
王都に帰ったらもう二度と、自生している月光草なんて見る機会はないのだから。
仕方ない仕方ない。
「えぇ、ちょっと待っていなさい。って、あ、あ~~~!?」
喜び勇んで小川に降りようとしたフウカの足元が、ぬかるんで。
……ざぶん。
***
湯煙。ほかほか。秘湯温泉。
こらえられない声に、フウカは体を震わせる。
「あ゛っあぁぁ~~~♡♡ き、きもちひぃ♡♡♡」
あ、温かい。冷えてしまった体の芯から温まる!
というか、めちゃくちゃ気持ちいじゃないか。
なんだこれは、知らない。こんな気持ちよさ……。
「いやぁ~、よかったね。お風呂が近くにあって!」
「ミヤコ、なんですのその鼻血は」
あはは、のぼせたかな――と笑いながら血を拭うミヤコから、フウカはそっと距離を取った。
お読みいただきありがとうございます。とても嬉しいです!
「幸せだ」と言おうとはしないフウカは、残り12日で落ちてくれるのか……??
これからQOLが上がっていくミヤコとフウカの生活に、ぜひお付き合いください。