12日目:直感と曇り
納屋に最低限の食事を届けてくれる使用人の様子が、おかしい。
フウカがそう思い至った理由は単純だった。
めちゃくちゃ単純だった。
「げほっ、ごほっ!」
咳である。
食事や着替え、体を清める蒸しタオルなどを持ってきてくれる使用人たちが咳をしているのだ。
とても分かりやすく、体調不良である。
「で、大丈夫ですの? お医者さまは……」
「旦那様が医者を呼びましたわ。そしてお医者様は原因が分からないと言いました。つまり、大丈夫だと」
「それは大丈夫とは違う意味だと思いますわ!?」
「……あまり、フウカ様と話をしてはいけないといわれておりますので。ああ、そうそう」
ことり、と小さなグラスが手渡される。
「花瓶は持ってこられませんでしたので、これを」
「ええ、十分ですわ。どうもありがとう」
フウカはそれを受け取って、愛おしそうに撫でた。
それでは、と。
使用人はそそくさと去っていく。
暗い納屋の中にいつづけたせいで、扉が開くと目がくらんでしまったけれど。
その使用人の首筋には、昨日の若いメイドと同じ赤い発疹が浮いていた。
(……ひっかかりますわね、あの発疹)
フウカは水差しからグラスにたっぷりと水を注ぐ。
(首に一筋の発疹、これ……やっぱりどこかで)
そして、一輪の百合の花を。
(どこかで、絶対に見たはずですわ)
丁寧に生ける。
そうすれば、明り取りの窓から差し込む光に、白い花は清らかに光った。
フウカは思う。
あの発疹。
絶対に悪いものだ。この予感は予感を超えている。確信に近いものだ。
フウカが積み重ねてきた治癒術と白魔術の勉強と研鑽。
それに基づいた、直感だ。
もしかしたら。
ミヤコと過ごす前だったら、この直感を握りつぶして、見ないふりをして、やり過ごしていたかもしれない。
でも。
ミヤコは、努力家のフウカのことを好きだと言ってくれた。
ミヤコは、フウカが治療で救った人たちがいることを心から喜んでくれた。
嬉しいとか、楽しいとか。
自分が我慢することではなく、自分が何かを成したことで人を助けられることが、そんな輝かしい感情を呼び起こすものだと。
ミヤコが教えてくれたのだ。
「……誰か、誰かいませんこと!」
フウカは声を張り上げる。
今まで粛々とすべてにしたがっていたフウカが、声を張り上げる。
「誰かっ! わたくしの部屋から、本を持ってきてくださいなっ!」
***
本くらいならいいだろう。
ハミルトン家の当主であるダンは、空模様ばかりを気にしながら空返事をした。
フウカが所有している白魔術とそれに関連する薬草学や回復術に関する文献が、おおよそ300冊に及ぶなど考えもしなかったようだった。
「これで最後の一冊ですわね」
「は、はい。げほ、ごほっ!」
「あなたも咳を……、今日はもう休みなさい」
「しかし、旦那さまが」
「いいからっ!」
もごもごと何か言っている使用人にぴしゃりと言って、フウカは納屋の扉を閉めた。
積みあがった300冊の本の前に座り込む。
読む。
めくる。
読む、読む。
めくる。
索引する。
読む、探す、読む。
感染性。
咳をはじめとして呼吸器疾患。
首筋に、一筋に並ぶ、赤い発疹。
「おそらく感染性の病ですわ。お医者様が見逃すとなると、とても珍しい症例のはず……」
探す。
探す。
――探す。
「……あ、った」
分厚い本の片隅の。
小さな記述。
数百年前に流行した疫病。
流行病、斬首熱。
初期症状は、首の周りをぐるりとまわる赤い発疹。
咳と呼吸困難。
数週間の潜伏期間ののちに、激化。
致死率高し。
激化した患者がでれば、爆発的に感染は広まってしまう。
「ど、どうにかしなくちゃいけませんわっ」
頭によぎったのは、アティーカ地方で見つけた万能薬。
月光草。
ここにはない、頼みの綱。
(そもそも……、どうにかしてここから出なくちゃ)
はやくこれを、知らせなくちゃ。
フウカは、慌てて立ち上がる。
明り取りの窓の外。
空はいつの間にか、垂れ下がるような曇天になっていた。




