11日目(夜):メイド長とじゃがいも
屋敷に帰り着いて、こっそりと自室へと入った。
ウミはすでに丸くなって眠っていた。
ぷぅぷぅといびきをかいている。水精霊様、日に日に猫仕草がうまくなっていませんか?
ミヤコは服を着替えて、髪をほどく。
もう眠って、明日からの救出作戦のことを考えなくては。……といっても、あとは力技の予定だけれど。
いまもあの粗末な納屋にいるフウカのことを思うと、肌寒い外の空気が恨めしかった。
そして気がかりはもうひとつ。
「声をかけといたほうがいい、かな」
そっと階下へ。
キッチンへと向かう。
そこに、彼女は座っていた。
「スージー」
「おかえりなさいませ、お嬢さま」
「兄さんに、会ったよ。ハミルトン家の庭で」
「……」
長くフローレンス家に仕えていたメイド長は、黙って座って野菜の皮をむいている。
明日の朝ご飯の仕込みだろうか。もう夜も遅いのに。今やらなくてもいいことなのに。
まるで、ミヤコと話すために時間をつぶしているかのように、黙々と野菜の皮をむいていた。
「どうして、兄さんに知らせたの? スージー」
今まで、どんなわがままだって聞いてくれた厳しくも優しいメイド長。
それがどうして告げ口などを。
たとえば、あれはミヤコがまだクラウス・ラインハルトの婚約者だったときだった。
あの頃にはまだ、乙女ゲームのシナリオ上に転生してきたことによるスキル、予知能力【千里眼】のを十分に発揮できていたミヤコ。そのスキルを使って、クラウスにあの手この手で嫌がらせをしていたとき。
予知した内容をもとにクラウスへのいたずら……嫌がらせの計画を練っているところを、スージーに見つかってしまったことがある。
そのとき、スージーは笑ったのだ。
『お嬢様、これは……なかなか痛快ですね!』
と。
いつもピリリとした空気をまとっているメイド長は、大笑いをしたのだ。
まるでそのいたずらが心から愉快痛快なものだというばかりに、笑ったのだ。
お堅い、といっても保守的ではない。
権力へのちょっとした反抗を、面白可笑しく感じる感性もある人だった。
そして誰かを叱るときにも、絶対に自分の言葉で。
正々堂々、正面から。
がっつり雷を落とす女性のはずだった。
それがどうして。
ミヤコを止めるために、オディナに言いつけるようなことをしたのだろうか。
「……少し、取り乱したようですわ」
静かに。
ジャガイモの皮を向いて、細切りにしては水にさらす。
その一連の動きを止めないままにスージーは言う。
「ミヤコお嬢様が、いつもなにか私たちに見えないものを見て、私たちに見えないものと戦っていることは知っていました。この年まで長いことお勤めさせていただいたフローレンス家に危機がもたらされるようなことは、どうしても避けたいと思ってしまいまして」
静かに、スージーは言う。
「ごめん、でも……」
ミヤコは俯く。
兄に言われようが、スージーに言われようが。
止まるつもりはないのだけれど。
「でもね、スージー。この家によく仕えてくれて、フローレンスの人間として本当に感謝する。でも、」
「でも、なんでしょう。私の人生を生きた方がいい、とか?」
「それはっ、……うん。生意気だよね」
「いいえ。私のことを案じてくださって、ありがとうございます」
夜の台所。
月明りとランプの光に、スージーが操るナイフが鈍く光る。
ぽちゃり、ぽちゃり、とジャガイモがボウルの水に落ちる音がする。
「でもね、お嬢様。わたしだって、自分の人生を生きたことがあるんですよ。この年まで、夫も作らずにこの家にお仕えしている私にも――」
「スージー?」
「お嬢様は、オディナ様にお会いして、それでも……ミヤコお嬢様のお考えを通すんでしょう」
「うん、そのつもりだよ」
「そうですか」
スージーは言う。
「ならば、私はお止めすることはしませんわ。お嬢様がフローレンス家を勘当になったら、もうお会いすることもないかもしれませんが、それまではどうぞよろしくお願いいたします」
「スージー、それって」
「……立ち聞きをして申し訳ございません。『女二人で、幸せに暮らす』そんな夢をもっていたことが私にもありましたので」
「え?」
ぱん、ぱん。
と、手をたたく音が響く。
テーブルの上のジャガイモは、いつのまにやらすっかり千切りに姿を変えていた。
「切りすぎてしまいましたね。お嬢様、明日は朝からポテト揚げでよろしいですか」
「あ、朝から!?」
「ええ。ジャガイモはアティーカ地方の誉れ高い特産物のひとつですから」
ふふふ、とスージーは笑った。
かつて彼女に何があったのか。
気にならないとなったら嘘になるけれど。シャンリィとマリアが自ら話してくれたような昔語りは、こちらから聞き出すのは――マナー違反だ。
「楽しみにしてる。おやすみなさい、スージー」
「ええ、おやすみなさい。ミヤコお嬢様」
いつか、スージーのことを。
彼女の話を聞きたいと。
そう思う。
そうしてミヤコは、寝室に向かう。
本日はのちほど短いおはなしをもうひとつ更新します。




