11日目(夜):過労兄と手紙
絶対に助けると約束して、納屋を離れる。
すると、木陰から人影が現れる。
「ミヤコ」
「っ、兄さん!?」
オディナ・フローレンス。
ミヤコの兄であり、フローレンス家の長男だ。
現在は、将来の人脈作りのためにラインハルト家に奉公をしている。
「どうしてここに?」
「スージーが知らせてきたんだよ。せっかく屋敷で寝てたのに……」
「え、兄さんいたの!?」
「いた。超寝てた。せっかくの休日だからな。あとちょっと体調も悪かったし」
王都のフローレンス家の別邸。
そこにいたのは自分だけかと思っていたら。
寝てたのかよ。
「そ、それでどうしてここにいるの?」
「シンプルだよ」
はあ、とオディナはため息をつく。
「お前を止めにきた」
「……っ、嫌だよ」
ミヤコは後ずさる。
オディナを睨みつける。邪魔をするのならば、殴ってでも突破する。
「兄さんはラインハルト家の味方なんでしょう。私は、フウカちゃんの味方だから」
「いや、んー。ラインハルト家もそうなんだけどもさ。面倒だからやめときなよ。ほら、治水の祈祷会だってさ、死ぬって決まったわけでもないし……」
「フウカちゃんを、まるで道具みたいに利用するのが許せないんだよ」
「いや、でもさぁ」
「止めたって無駄だから」
「だからっ!!!!」
オディナが声を荒げた。
眉間にひどく皺を寄せていて、年よりも少し老けて見える。
本来は明るい性格のオディナだけれど。
「……面倒ごとを起こすなって言ってんだよ」
「面倒ごと?」
「ああ。俺としてはさ、クラウスはお前になぜだかお熱だし、お前の方から婚約破棄の撤回をお願いするべきだと思ってる。もしかしたら再婚約ってことにもなるかもしれないしさあ……仕えてるからわかるんだ。クラウス自身は、どこにでもいるオメデタイ男だよ。正直言って、なーんも考えてない」
「知ってる」
「あと、雇用者意識がゼロ!」
「それも知ってる」
「そしてブラック上司っ!!」
「お兄ちゃん」
「ああ、うん。要は、あの凡百な男でも、あの強大なラインハルト家の次期当主としてやっていけるんだよ」
「つまり?」
「つまりさ……、家ってのは組織なんだ。いくらお前が『誰か』を好きでも、たった一人のために強大な組織に立ち向かうってのはバカなことだと思うぜ?」
へへ、と。
オディナが自嘲気味に。そしてすべてを馬鹿にしたように笑う。
「……お兄ちゃん」
「どうだい、分かってくれたか妹よ」
「バッカじゃないの!!」
「……は?」
「だから、バッカじゃないのって言ってんの。この馬鹿!! バカバカ!!」
ミヤコの剣幕に、オディナは後ずさる。
「そうやってお利口ぶってさ、倒れるくらいに働いて? じゃあ聞くけど、その強大ですばらしーラインハルト家っていうのは、兄さんのことを最後に守ってくれるの!?」
「え、あ、それは……っていうか、お前声がでかいぜ。兄さん一応隠密行動の専門家だから注意するけどさ!? 見つかっちゃうぜ、ハミルトンの人たちに!」
「どーーーだっていいよ! 兄さんに手紙書いた自分がバカみたい」
ミヤコはポケットから封筒を取り出す。
ハミルトン家にやってくる前にしたためていたものだ。
「もう私に構わないでっ! 私は、大切な人を大切だって、大好きな人を大好きだって、……正面切って言ってやることに決めてるんだから」
ばし、とオディナに封筒を叩きつけて、その場を去ろうとする。
オディナの言う通り、あまり大声を出したものだからハミルトン家の人間に見つかってしまう恐れがあった。
ミヤコは走り去る。
振り返りもせずに。
***
もちろん。
オディナの方も本気になれば、ミヤコの腕を力ずくでつかんで引き戻すことだってできたはず。
「おい、待てよミヤ……」
しかし、それをしなかった。
否、できなかった。
――その強大ですばらしーラインハルト家っていうのは。
――兄さんのことを最後に守ってくれるの?
その言葉が、ひっかかる。
田舎貴族の、娘。
なんの奇跡か、一度はラインハルト家の嫡男の婚約者に上り詰めたとはいえ、ただの、若い女のはずだ。
自分の方が、ラインハルト家の隠密として裏に表に、主に裏に働いて。
世の中のことを分かっているはずだった。
それなのに、
(――その強大で素晴らしいラインハルト家は、最後に俺を、俺を守ってくれるのか?)
なんだか嫌に、説得力のある言葉だった。
まるで、自分が体験してきたような。
(いや、俺としてはクラウスのことは嫌いじゃない。顔面がいいから見過ごされてるけど、けっこう気のいい奴だ。人使いが荒いのと、オメデタイ頭以外はいい奴だ。でも、たしかに、いまのままでは俺は……)
ふう、とオディナはため息をつく。
「……手紙、か」
オディナは、ミヤコから押し付けられた封筒をそっと開ける。
そこに書いてあるのは、兄の体調を気遣う言葉と、そしてひとつのお願い事だった。
フローレンス家からミヤコが去ったあとも、政略結婚などに頼らずに発展するための手札。
ラインハルト家にオディナが奉公しているのも、フローレンス家の懐事情が原因だ。
もしも、それが解消されたら?
オディナは想像する。
上司の無理難題とも、長時間勤務とも無縁の生活。
家のことと、自分のことだけを考えて、自分と周囲の人間を大切にできる暮らし。
それは、考えれば考えるほど素晴らしいことだ。
「っ、たく。アティーカ地方まで往復で二日くらいか」
オディナは、くくと小さく笑った。
それは、斜に構えたような笑みではなく。
「……有給申請、通るかな」
生来の陽気な笑顔だった。
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