11日目(朝):悪役令嬢の矜持と、ヒロインの決意
「貴様と話すことなどない」
ハミルトン家当主、ダン・ハミルトン伯爵は言った。
冗談みたいな口髭が見ようによってはチャーミングではあるけれど、その態度たるや最悪である。自分以外をモノか虫けらかとしか思っていない、という目つきである。
氷のように冷たい言葉は、長女であるフウカ・ハミルトンに向けられたものである。朝の光が差し込む屋敷は、底冷えする空気で満ち溢れていた。
「はい、申し訳ございません。お父様」
フウカはその言葉だけを繰り返した。
政略結婚のための婚約者争奪戦に敗れた娘が、家出をした。
由緒あるハミルトン家にはふさわしくないゴシップである。噂好きの王都の貴族たちの間では、それはそれはフウカの失踪は面白おかしく語られたことだろう。
「出て行け。今日からお前の部屋は、庭の納屋だ」
「はい」
「妹たちとも口を利くな」
「はい」
「家名に泥を塗ったお前に、今後居場所はないと思え……まったく、妾腹の子に慈悲をかければ結局はこれか」
吐き捨てるようにダンは言う。
そう。
フウカは、ダンと愛人との間に生まれた子であった。
嫡子がいなかったダンは、フウカを引き取って育てたけれど、その後ほどなくして正妻との間に娘が何人も生まれると、ダンにとってフウカは『政略結婚の道具』以上の価値を持つものではなくなってしまった。
それでもいいと、フウカは思っていた。
自分が努力を続ければ。
誰よりもいい子になれば。
そして、誰よりも優秀であれば。
いつか、父や母が、妹たちが自分に振り向いてくれるのではないかと。
そう信じていたから。
「下がれ。わしはラインハルト家との共同事業の準備で忙しい。お前がクラウス様との婚約に失敗しても事業から手を引かずにいてくださる。感謝だな」
「……はい」
静かに部屋から退出したフウカは、硬く拳を握りしめていた。
――すごいよ、フウカちゃん。
――フウカちゃんはなんでも知ってるんだね、努力家なんだねっ。
――……大好きだよ、フウカちゃん!
たった、十日間。
一緒に過ごした敵役の声が、ミヤコの声が頭の中に響いて鳴り止まない。
どうして、どうして。
どうして自分は、あのとき差し伸べられた手をとってしまったのだろう。
なんで自分は、あの紅茶色の髪に見惚れてしまったのだろう。
どうして、あんな幸せな日々を過ごしてしまったのだろう。
自分は、もっと強かったはずなのに。
ありのままの自分を受け入れてくれて、褒めてくれて、大好きだと言ってくれる相手に……ミヤコと一緒に過ごす前までは。
「……ミヤコ」
会いたい。
自分から振り払ってきたくせに、あの紅茶色の髪の女に会いたくてたまらなかった。
でも、それは自ら捨てたもの。
それを、いまになって惜しんで、会いたいなどと思うなんて、そんなことはフウカの矜持が許さない。
身勝手なものだな、とフウカは自嘲しながら自室……納屋へと向かう。
その姿を見た女中たちは、ひそひそと噂話をしているのを隠そうともしなかった。
女中たちの、ひとり。
そのひとりに、フウカの目が留まった。
(あら……? あれは)
首筋に一列に並んだ赤い発疹が浮かんでいた。
顔色も悪く、青白い。冷や汗もかいているようだ。――おなじような発疹を、最近どこかで見たような気がする。
嫌な感じだ。
「あなた……どこか具合が悪いのではなくて?」
思わず、声をかける。
けれども。
「っ、い、いけない。お洗濯をしなくっちゃ!」
「あたしも、お嬢様のお部屋の掃除を頼まれてるんだった」
フウカに声をかけられて、そそくさと退散してしまった。
まるで蜘蛛の子を散らすよう。
まったくもって、失礼極まりない。
(……仕方ないですわね、わたくしは今やハミルトン家のお荷物なんですから)
深くため息をつくフウカ。
(さきほどの女中の様子は気になるけれど、まずは目立った行動はできません)
黙ってフウカは足を進める。
遠くで先ほどの女中たちか、それとも妹たちかは知らないがクスクスとあざ笑う声がした。
でも。
とにかく、波風を立てずにいなくては。
(……それが、オディナさんとの約束ですからね)
***
一方その頃、ラインハルト邸。
「それで、ミヤコ・フローレンス嬢は見つからずじまいだと!?」
「はい。申し訳ございません、クラウス様!!」
オディナは美しい軌跡を描いて頭を下げる。
勤め人が長いゆえ、頭を下げることに関する習熟度はめちゃくちゃ高かった。謝って済むならば全部謝ってしまえばいいさ、というのがこのオディナ・フローレンスの哲学である。
「アティーカ地方を、寝る間も惜しんでくまなく探したのですがっ!」
ちなみに嘘である。オディナはアティーカ地方の実家にて、のびのびと羽を伸ばしていた。
「実家の両親も、ミヤコとは音信不通だと!」
これも嘘。そもそも、両親はミヤコは王都で立派に花嫁修業中だと信じているため、面倒な話は持ち込んでいなかった。
「ミヤコをそそのかして都から逃げ出した、というフウカ・ハミルトンを見つけただけでして……」
もちろん、これも嘘。
……というよりも。
これこそが、フウカがオディナとした約束である。
伯爵令嬢であるフウカを勝手に連れ出して、今も逃亡中――などということになればフローレンス家の立場は悪くなる。
すべては、乱心したフウカの仕業だと。
そう説明してほしいと、オディナに懇願したのだ。
(ちょっと、リスキーすぎると思うんだがなあ……)
場合によっては、フウカとその実家であるハミルトン家もただでは済まないことになる。
普通に考えれば、この報告がハミルトン家の当主――フウカの父の耳に入れば、良くてフウカは勘当のうえで王都追放。悪ければ、暗殺されるということも十分にありえる。
それでも、フウカはゆずらなかった。
ミヤコが――自分に、幸せを教えてくれたミヤコが少しでも不利益をこうむるのが我慢ならなかったのだろう。
(我が妹ながら、まったくの人たらしだよなぁ……)
ふう、と嘆息するオディナ。
「なんだ、ため息をついて」
「いいえ、失礼いたしました。ちょっと、考え事をしておりまして」
「ふむ……」
クラウスは顎に指をあてて何かを考えている。
しばらくそうしていたが、閃いたように声を上げた。
「そうか!」
完全に嫌な予感しかしないそのキメ顔に、クラウス直属の隠密であるオディナは部下のたしなみとばかりに声をかける。
「何ですか、ご主人様。また何かろくでもな……ごっふごっふ! 何か考えつかれたので?」
「ああ……俺は自分で自分が恐ろしいよ」
金髪をかきあげて、ふっと笑うクラウス。
「まさか……フウカ嬢までもが、この俺に執着していたとはなっ!!! 俺と結ばれることができずに捨て鉢になり、ミヤコを連れ去ったんだッ!!!!」
一切の疑いのない口調であった。
オディナは『やっぱこいつダメだな』という内心を表情に出さないように苦心した。早く仕事辞めたい。
気障ったらしいけれど、相変わらず顔の造形だけはいっちょ前でそこそこ絵になるのが腹が立つ。
「――ざ、斬新な解釈、恐れ入ります」
「うむ……こうしてはおれん、隠密っ!」
「なんでしょう……」
心底うんざりしてオディナは生返事をする。
「フウカ・ハミルトンをここに連れてこい!」
「はいは……、ん、えぇ?」
「フウカ嬢を俺のところに連れてこい、と言っている」
「いや聞こえてましたけど、それはまたどうして――」
フウカとの打ち合わせでは、ここからミヤコの捜索を続けようとするクラウスに嘘の情報を吹き込むはずだった。
当然、いつまで経ってもミヤコは見つからないだろう。それが長引けば、さすがのクラウスも諦めるだろうという予測を立てていた。
「フウカを連れてこい」というのは予想外の反応だった。
「ハミルトン伯爵は厳格な人間だと聞く――さぞ、フウカ嬢は肩身が狭い思いをしているだろうしな、うん、俺は優しいからな……」
クラウスはにやにやと笑みを浮かべる。
一度は自分から許嫁の選択肢から外したフウカに、興味を持っているようだった。
「――俺自ら、フウカ嬢を慰めてやろう。ついでに、ミヤコの居場所なんかも聞き出してやろう」
「は、はあ」
「俺も少しは浮名を流した身。俺のテクにかかれば、フウカ嬢のような箱入り娘などイチコロだろう!」
その自信満々の言動に、オディナは思う。
うわあなにそれ同性ながらさすがに引くわ、と。
――しかし。
勤め人であるオディナは、この命令に粛々と従いハミルトン家へと向かうのである。
***
王都入り口。
大関門。
その門の――上に、ミヤコは立っていた。
「ありがとう、ウミ」
『お安い御用だにゃあ』
大きな半透明の猫とも虎ともつかぬ、清涼なる水精霊の姿となったウミ。
その傍らに、ミヤコは立っていた。
眼下に広がる王都の街並み。
たった10日ぶりだけれど、随分と久々に思える。
「ここに来る途中に、それらしい馬車はいなかった……フウカちゃんは、もう王都についているはず」
大きく、深呼吸をする。
この間のように勢いに任せた奪還では、ダメだ。
フウカがどこにいようとも、正面から、正々堂々と、全力で――迎えに行く。
もしも拒絶されるのならば、それでもかまわない。
だって、これはミヤコのわがままだ。
ハミルトン家でひどい扱いを受けているフウカちゃんのために、というのはご立派な建前だ。
これは、フウカと幸せになりたいと願う、ミヤコのための、わがままだ。
だから、フウカには拒否権がある。悲しいけれど。
でも、だからこそ、やりきりたい。
フウカに、もう一度、彼女のことをどんなに好いているのかを伝えたい。
たとえそれが、実らなくても、自分に嘘をつきたくない。
自分に嘘をつき続けて、仕事中毒のようになって過労死したかつての自分。
あんな思いは、もう二度とご免だ。
「よし……行くよ、ウミ」
『……にゃあ』
大いなる水精霊は、まるでただの猫のように鳴いた。
かりそめの主であるミヤコの、ちっぽけで尊い決意を祝福するように。
「……あ、あのう」
ミヤコは眼下の王都を見下ろしながら、言う。
「ウミさん!! とりあえず、ここから降りたいんだけどいいかなっ!?」
――さすがに、自力で降りるには王都の大関門は高すぎた。
風が、吹いている。
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5月6日文学フリマ東京の原稿(SF姉妹百合です)にむけて、次回の更新まで少し間が空きます。ごめんなさい。ブックマークをしておいていただくと次回更新のお知らせが行くと思いますのでよろしくお願いいたします。




