9日目:兄(ポンコツ)とピクニックの約束
オディナ・フローレンスは号泣した。
妹であるミヤコ・フローレンスが倒れた自分を起こさずに、一晩ぐっすりと寝かせてくれたことに(居間の床で)。
温かい食事を用意してくれたことに。
焼き石式のあたたかい露天風呂に。
長時間労働にさいなまれずにスローに過ごす田舎の時間に。
ビバ・スローライフ。
「ミヤコ。兄さん、すこし実家に帰るわ。もう苦労人キャラやめる!」
「えー……」
いきなり現れてからのあまりにも自由な発言にミヤコはドン引きした。
というか、真夜中の山で馬車を盗まれたあの出来事が、まさかオディナによるものだとは。『いやあ、乗り捨ててあるのかなと思って……』と頭を掻く兄に、ミヤコは愕然とする。というよりも、まさかの王都からアティーカ地方への移動手段が『ダッシュ』だったことにも唖然とする。どれだけ強靭な肉体をしているのだ、この兄は。
フウカの様子を窺えば、あまりにも天真爛漫なオディナの言動にやはり目を丸くしていた。
『愛すべきバカ』。それがオディナ・フローレンスである。
「まあ、俺も仕事だからクラウス様に報告はしないとけないんだけどさ。ちょっとだけ仕事サボるわ。口裏合わせといてくれよな、ミヤコ!」
「は、はあ……兄さん気を付けてね」
王都でラインハルト家に奉公しているとは聞いていたが、ちゃんと仕事をできているのか甚だ不安である。
いやまあ、フウカとの暮らしを邪魔しないでくれるのはとてもありがたいことだけれど。
***
馬車はもともと、シャンリィから借りたものだったためオディナから預かることになった。飼い葉をむしゃむしゃと食べてご機嫌の馬を、ウミが興味津々としった様子で見ている。しっぽがパタパタしているところなんて、まるっきり猫だ。
すっかり元気を取り戻し、夕暮れの中で去っていくオディナの背中を見送る。実家には、ミヤコがこの別荘を勝手に使っていることは内緒にしてくれるようにお願いした。仕事を元気にサボろうというオディナであるから、二つ返事でOKをしてくれた。持つべきものは適当かつ苦労人の兄だ。
「あの人自分がスペック高いからって人にもモウレツな働き方させるよねえ」
あの人、というのはミヤコの元婚約者であるクラウス・ラインハルト公爵だ。フウカの実家であるハミルトン伯爵家もクラウスによる『嫁取り』に躍起になっていたことからもわかるとおり、家柄よし、宮廷仕えの騎士としての本人の仕事ぶりもよしといった人物だ。ただし、やや……というかかなりの勘違い気味のナルシストであるところが玉に瑕である。
まあ、正直言ってミヤコのお目当てはフウカだったわけで。正直言うと、クラウスについてはまっっったく眼中になかったため、フウカとの生活を始めた今となっては顔もあんまりはっきりとは思い出せないけれどたぶん顔はいいのだと思う。たぶん。
「クラウス様が使者を遣わしてきたということは、わたくし達の居場所が知られてしまうのも時間の問題ですわね」
言いながら、フウカは明日も来るであろう村人たちのために調薬をしている。
どうやら生薬だけではなく、乾燥した薬草も仕入れたらしいフウカが薬研でゴリンゴリンと薬を弾いている。その真剣な横顔をながめて、ミヤコは思う。王都オーデで、完璧に着飾って社交界の行儀作法にのっとって動くお人形のようだった完全無欠の悪役令嬢フウカ・ハミルトンよりも、ずっとこの横顔の方が好きだ。――だから。
「うーん、乱暴に連れ戻されるのは避けたいなあ。っていうか、フウカちゃんとっ! もっと一緒に居たいしっ!」
「声が大きいですわよ、ミヤコ」
「ご、ごめん。でも、兄さんが目覚めるまえにどうにかしたいよね」
「どうにかって?」
薬を弾く手をとめて、フウカがじっとミヤコを見つめる。
「私たち、本当にずっと逃げ切れるなんて。そんなこと思ってますの……?」
「それは」
フウカは言う。
「きっと、無理ですわ。だって、わたくしたちはどこまでいってもオンナノコで。どんなに努力しても、どんなに頑張って……お父様たちの期待に応えようとしても……」
「フウカちゃん」
ミヤコは言う。
「フウカちゃんと私なら、きっと大丈夫。二人で楽しく暮らせるよ」
『にゃふ。愛の逃避行の話かにゃあ? わらわはそーいうの、好きだぞ』
「それに、ウミもいるし」
「ミヤコ……」
うる、とフウカの目が潤む。
本当は。
本当は、フウカだって気づいていた。
ミヤコとの暮らしはとても楽しいし、知らないことややったことのないことはワクワクする。『令嬢のたしなみ』として勉強し続けてきた白魔術が、あったこともない人を助けて大いに感謝されるというのも新鮮な体験で――とても心が温かくなった。
だけれど、だからこそ自信がなかった。
こんな楽しい生活を続けていていいのか、とか。
女ふたりで楽しく生きていくなんて本当にできるのかとか。
ミヤコが自分をこうして連れ出してくれたのが……本当に、気の迷いではないのかとか。
そんなことが、不安になってしまう。
幸せだ、と。
こうしてミヤコと暮らしているのが、幸せなのだと。
その、たった一言が、言えないくらいに。
「フウカちゃん!」
ミヤコは、憂いた表情のフウカの手を取って言う。
彼女に「幸せだ」と言わせるための残り時間は少ない。
やり残しは、嫌だった。
フウカを不安にさせるものを、全部取り去ってあげたかった。
「あの、ピクニックに行こう!」
交わした約束は、ぜったいに全部叶えたかった。
「美味しいお弁当、いっぱい作るね。美味しお茶も持っていって、とってもきれいなお花畑を見に行くの!」
「……ミヤコ」
「誰かのためのピクニックじゃなくて、私たちのための、フウカちゃんのためのピクニックだよ。きっと、すごく楽しいよ!」
フウカの手を包むようにして握るミヤコの手は熱い。
必死の表情に、フウカは頬が熱くなるのを感じた。
きっと、すごく楽しいよ。
ミヤコがそう言うのなら。
きっと、絶対そうなのだろうと。
「……えぇ。仕方ないですわね。行きましょうね――ピクニック」
そう信じられるのが、フウカには不思議で。
心地よかった。
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