6日目(夜明け前): 馬車泥棒と覚醒の水精霊
「うっ、そでしょ!?」
山道を駆け戻ってきたミヤコは悲鳴をあげる。
馬車で夜道を駆けて、暗い山道を抜けて。
珍品である万能薬、月光草を首尾よく手に入れて。
あとは、もときた道を急いで戻れば、難病である自家瘴気中毒で苦しむ女の子を助けられるのに。
「馬車が、ありませんわ……」
そう。
乗ってきた馬車が見当たらなかった。
「山賊、かな」
「原因がなんであれ……私たちどうやってシャンリィさんの家に帰るんですの?」
馬車を飛ばして数時間の距離。
すでに真夜中過ぎである。
歩いて帰れば、明日の昼過ぎにはシャンリィの家につくかもしれない。
でも、それでは間に合わない。
それでは、瘴気中毒に苦しむあの子は助からないだろう。
「いったい、どうしたら……」
ミヤコは唇を噛みしめる。
少し慢心していたようだった。昨日の夜に、大きな出来事をランダムで予見することができるスキル『予知夢』は発動しなかった。だから、悪いことは起こらないだろうと。そう思っていた。
それに。
自分の方が、フウカよりも世間をわかっているなんて。
フウカのことを守ってあげようなんて。そう思っていたけれど、実際のところはこうして馬車が盗まれてしまう可能性にだって気づけないなんて。
でも。
でも、絶対にあきらめたくない。
ショックと混乱で大きな瞳に涙を浮かべているフウカ。
絶対に、あの少女を助けると決めて走り出したフウカをサポートしてあげたい。
『にゃあ』
そのとき。
ミヤコの腕の中で、もふもふの猫が鳴いた。
「ウミ?」
『馬車がないくらいのことで、我があるじ殿はなにを狼狽えているのにゃあ?』
ふわり、とウミの体温が腕の中から消える。
次の瞬間には目の前の地面にもふもふのペルシャ猫――ウミがちょこんと座っていた。
その体は、シャンリィの家で水系魔法である守護膜を発動させたときと同じ、清涼なる水色の光に包まれている。
「ウミ?」
『我が封印を解いたこと、わらわは感謝しておるのだぞ? わらわはこの地に息づく水精霊。ミヤコはわらわの契約者。なれば、その名をもって命じるがよかろう。……にゃあ?』
「いま、語尾付け直さなかった?」
『むふん、キャラ付けは大事だにゃあ』
にゃふふ、とウミは笑った。
ミヤコは息を飲む。
もしかして、助けてくれるの?
「ミヤコ、精霊の直接の使役だなんて最上級の召喚士でも躊躇いますわよ!?」
「でも……私はウミを信じるよ!」
フウカの手を握る。
ミヤコは目を閉じて、深く息を吸い込む。
心が鎮まると、自ずから湧き出てくる言葉があった。
「清涼なる水精霊よ。我らが契約に従い、その力を解き放て――我が名はミヤコ。ミヤコの与えし汝の名はウミなればっ!」
『……その願い、聞き届けた。我が名はウミ。深淵なる碧き水を唄いし者なれば』
途端に。
ウミのふかふかの毛皮が水色に輝き、光の奔流となって膨れ上がる。
「わわっ!?」
「きゃあっ!」
思わずお互いの体にすがるミヤコとフウカが次に目を開けると。
そこに立っていたのは、清涼な水がそのまま獣の形をとったような美しい幻獣だった。
身の丈はミヤコたちの数倍はある。大きくて、そして、麗しかった。
「す、すごい」
『にゃふふ〜、恐れ入ったかにゃあ?』
「なんて神々しい。これが、ウンディーネの真の姿ですの……?」
『いいや。わらわに本当の「姿」などというものはにゃい。これは、ミヤコがこうあれかしと願ったわらわの姿なのにゃあ』
「わ、私の!?」
ミヤコはぎょっとした。
自分の中に、こんな美しいものを想像する心が……厨二パワーがあったとは。
社畜生活ですっかりとそんなものは失われてしまっていると思ったのに。
なんだか、目の前のウミの神々しい姿が無性に嬉しかった。
「……すごい、ですわ」
フウカも、目の前の光景に声を震わせていた。
きゅう、とミヤコの手を握る手はしっとりと濡れている。
不思議と、嫌じゃない。
『はてさて、主人たちよ』
ウミはその美しいヒゲを震わせて告げる。
『わらわの背は、きっと乗り心地が良いぞ。それこそ清流を下るがごとしだ、……にゃあ』
***
シャンリィは窓の外を睨みつけるように眺めていた。
ベッドに横たわる愛娘の呼吸は終始苦しげで、そして、先刻から少しずつ弱まってきているようだった。ひときわ苦しげに呻く声が痛々しい。
もう、このままでは長くは持ちそうもない。
シャンリィはどう見ても15歳くらいにしか見えない大陸の行商人だが、我が子を見守る表情には母の苦悩がくっきりと刻まれている。
思えば、この子には苦労をかけた。
この娘は、父親の顔は知らない。
まだ言葉も話さぬうちに、自分は商機を見出してこのノーヒン王国にひとり渡ってきた。
根無し草のような時代もあった。
働きづめの自分は、この子に寂しい思いをさせてこともあっただろうに。
それでも、健やかに心優しい娘に育ってくれていた。
もし、自分がずっとこの家に居てあげられていたら、もっと早く異変に気づいてやれていたのではないか。
シャンリィの胸には、そんな後悔が渦巻いていた。
それでも、今は信じて待つしかない。
人里離れた小屋で、ある日突然ふたりで暮らしはじめた風変わりな娘たち。
彼女たちと出会えたのは、もしかしたら神様から与えられた幸運だったのかもしれない。
「お願い、間に合っておくレヨ」
小さく、シャンリィは呟いて窓の外を眺める。
祈るように。
白んでいく空。
見つめるその先に、シャンリィは流れ星を見た。
否。
それは、まるで海のように碧い光を纏って天空を切り裂ていく。
その光がどんどん大きくなって、その姿を認める。
シャンリィは息を呑んだ。
美しい獣が、その背にふたりの乙女を乗せて天を駆けていたのだ。
――それは、幼い日に聞かされた御伽噺の光景にも似ていて。
「あぁ、これで助かるヨ……」
シャンリィは母国の言葉で、碧い流星に乗って帰ってきた乙女たちを祝福した。
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明日もお昼に更新します。
(別作品が来月書籍発売となります、蛙田あめこ名義のライトノベル『女だから、とパーティを追放されたので伝説の魔女と最強タッグを組みました』(オーバーラップノベルス)よろしくお願い申し上げます!!)




