第五十一話 準備は暗澹
「あああ。緊張するー」
「少しは落ち着きなさいよ」
僕がテントの中でうろうろしていると後ろの方からハルが声をかけてくる。
振り返ると、クーガ・キメラの幼馴染の三人が笑いながらこちらを見ていた。
それぞれ寛いでる様子の皆に、僕は口をとがらせながら反論した。
「そんなこと言ったって後少しで僕らの初舞台が始まっちゃうんだよ。三人は見てるだけだからいいだろうけど、僕も演奏のために隅っことはいえ出演するんだから緊張もするよ」
そう、僕らが今いるのはカシマの街の外に設置されたやや広めのテントの中。
そして、テントの外ではガトリング帝国との戦争に行く兵士たちの出征式が執り行われているところだった。
なんか偉そうな人の挨拶やら演説が終わり、準備が整えば、ついに僕らの初ステージが始まってしまうのである。
できる準備はしてきた僕らだけど、こうやって出番が迫ってくると嫌が応にも緊張が高まっていくってもんだ。
そんな落ち着かない僕にハルが冗談めかして言った。
「いっそ隅っこじゃなくて前に出てみれば? 逆に楽しくなって緊張しないかもよ?」
「僕なんかがみんなの前に出るなんて、考えただけでも吐きそうだよ。ああ、こんなことだったら演奏してくれる人見つけておけばよかったかも」
「その真正面に立つはずのココは落ち着いてるけどね」
ハルの言葉に振り向くと、ココがチェリープラネットの花で花冠を作っている姿が目に映る。
あのでっかい羊を捕まえる任務が終わった後、何がココの琴線に触れたのか、定期的に花を摘んでは持ってきては僕に花冠やら花輪を持ってくるというのがすっかり趣味みたいになっているココだった。
女の子らしい趣味ができたのはいいけど、僕にあげずに自分でつければいいのにと思う。
僕が見ていることに気づくとココはにぱっと笑いながら花輪を差し出して言う。
「できたよ! ミューの格好も結局あの地味で黒い衣装しか用意してないし、この花輪も付けていったらいいと思うよ」
「いや、僕はいいから」
「付けたらいいじゃん。ココが折角作ってくれたんだから」
「ハルまでそんなこと言う」
あの冒険以来、ココとハルの仲は多少改善された様であり、そのこと自体はよかったのだけど、無自覚なココと自覚のあるハルがタッグを組んでこうやって僕をいじるのだからちょっと困る。
とはいえ、こうやって慌てても仕方ないというハルの指摘はもっともなので、僕も腰を下ろすと楽器の調整を行うことにした。
取り出したのはリコーダーの先にラッパの先っぽだけ取り付けたようなアンバランスな笛。
ハルが笛を見ながら尋ねてくる。
「それがバリウスのおっさんの新兵器?」
「兵器って言っちゃだめだよ。ちゃんと楽器になっているんだから」
僕が息を吹き込むと、美しい音色が鳴り響く。
「へえ、ちゃんと楽器作れたのね。でも、ずいぶんとアンバランスな形ね」
「……なんでも、先端の金属パーツは安全装置だから絶対に外したらダメなんだって」
「よし、取り外しましょ」
「だめだよ!」
ノータイムで言ってきたハルに僕は抗議の声を上げる。
あのバリウスさんが「絶対に」「くれぐれも」と口を酸っぱくしていったのだ。
何が起こるかは聞いていないけど、絶対によくない起こるに違いない。
ライブ中にけが人を出す気はないのだ。
僕の言葉にハルは大して気にする様子もなく。
「それは残念。そういえばおっさんは来るの?」
「後で来るって」
バリウスさんには随分とお世話になったし、ぜひ僕らのライブは聞いてもらいたいと思っていたので招待状を送っておいたのだ。
考えてみれば僕らのライブでは多くの人にお世話になった。
マリアさんは生活全般でお世話してもらったなあ。
残念ながら貴族の方の出征式のアルスミサに行ってしまったのでこっちには来れないけど、家を出る前もぶっきらぼうながら温かい励ましをもらった。
衣装を作ってくれたシエスタさんは、ちょっと遅くなるかもしれないけど見に来てくれると言ってたな。
この場を作ってくれたトラオムさんは、舞台設営の指示と並行して、出征式に出す出店の準備があると走り回っているようだ。
まあ、近くにはいるから聞いていってくれるだろう。
あとは、――。
「お待たせしました! ミューハルト様! ココ様! あなた様の信者、マーロンめが参りましたぞ!」
そうそう。マーロンさんもいたね。
テントに入って来るなり平伏しようとしたマーロンさんを手で押しとどめる。
「今日はマーロンさんも見られるんですよね?」
「もちろんです! この日のために今日まで生きてきたといってもいいくらいです」
「あはは……。それで、舞台から少し離れたところに設置された貴賓席に座るんですっけ?」
「そうです。本当は舞台の最前列で見たいのですが……」
そう言いながら肩を落とすマーロンさん。
しかし、残念ながら舞台のすぐ正面は当然ながら出征式のメインである兵隊さんたちがいるので、貴族であるマーロンさんが混じるわけにはいかないだろう。
貴賓席も少し離れているとはいえ少し高い位置に作られていて、見晴らしはいいので我慢してもらうしかない。
「おっと、そろそろ表の演説が終わりそうですな。では、私も席に戻らせてもらいます。楽しみにさせてもらいますので」
「ばいばい、マーロンさん」
ココが手を振るとマーロンさんは嬉しそうに微笑みながらテントを出ていくのだった。
出ていく際に「やはりここは思い切って……」とか不穏なことを言っていた気がするけど、気にすまい。
仕事面では優秀な人だから無茶はしないと思う。多分。
おっと、表の演説が終わったということは、もう舞台に行っても大丈夫ってことかな?
「さてと……、ちょっと行ってこようかな」
「あれ、ミューもう行くの? まだ公演までは一時間は空いているんじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど、舞台でのリハーサルが出来なかったから、最低限動きだけでも確認しておきたくて」
「りはーさる?」
「あー、本番前の確認というか準備というか」
「ふーん。じゃあ私もついていくよ」
そう言いながら立ち上がるハルとココ。
舞台を作ったのが昨日で、しかも僕らのライブなんておまけみたいなもののため、舞台でのリハーサルが出来なかったことが気がかりだった僕は、ちょっと早いけど一足先に舞台に行くことにした。
そもそも、リハーサルという言葉がないところを見ると、そういう習慣自体がないのかもしれないけど。
「ボーイとジェロはどうする?」
「んー、おいらたちは一回トラオムさんの様子を見てこようかな」
「了解」
そんな短いやり取りの後、僕とココとハルの三人はテントの横に組まれた舞台へ向かったのだった。
「思ったよりも立派なの作ったよね。今日しか使わないのに」
「こういうのは見栄もあるからね」
そんな話をしながら僕らが見ているのは舞台の広さがバレーコートくらいはあろうかという箱型の建物。
建物の正面は壁がなく、今は厚手の布で仕切られていて、観客である兵士さんなどの観客はその向こうで今は食事をしながら過ごしている。
分かりやすく言うとステージ付きの野外ライブというわけだ。
僕らは建物の裏手からそっと戸を開けると中に入る。
照明設備もなく、正面のカーテンも閉め切られているため中は薄暗い。
僕らが明けた裏口から差し込む光を頼りに中に入って、中を見回す。
「床もしっかりしてるし、これならココが多少派手に飛び回っても大丈夫そうだね」
僕がそう言いながら振り向くと、ハルとココが僕の袖を引いて押しとどめた。
一体何事? 二人の真剣な表情に僕が驚いていると、ハルが口を開く。
「誰かいる。奥の舞台袖の暗がりに一人。誰? 出ておいで」
「えぅ。あと天井にもう一人いるよ」
まったく気づかなかった僕だけど、二人の声に反応してココとハルの言葉通り、二人の男が姿を現した。
舞台袖から出てきたのは薄汚れた格好をしたいかにも人相の悪い男。
天井から降りてきたのは、背中に背嚢を背負った、黒ずくめのいかつい男。
いつの間にこんな不審者が!
しかし、なんだろう。天井の人は落ち着いているけど、舞台袖から出てきた人は天井から出てきた人にも警戒しているように見えるけど……。
ハルが舞台袖から出てきた方のやつを見ながら言う。
「上から来たのは知らんけど、あんたの方は見覚えあるよ。この前ちょっかいかけてきた興座の下っ端じゃない? 仲間を引き連れてお返しってわけ?」
「いや、俺はそうだけど、そっちの野郎は知らな……」
「あー、そうだ! 俺はそいつの仲間だ!」
「なに言ってんだお前!?」
なんか不審者二人がよくわからない言い争いを始めるではないか。
でもまあ、ハルが言うようにこの前トライムの賭場に襲撃をかけた興座の人なんだろう。
マーロンさんが処分したと言っていたけど、下っ端だから見逃しがあったのかな?
でも、この期に及んで嫌がらせとは。
もしアルスミサの最中に襲われたら危ないところだったかもしれない。
「あーくそ、こうなったら全員ぶっ殺してやらあ!!」
***
舞台袖から出てきた方がやけくそ気味にそう言いながらナイフを取り出した瞬間、戦闘が開始した。
ナイフを振りかざした男が一直線にこちらに向かって飛び込んでくる。
それを自在に動く鞭と杭を組み合わせたようなハルのエクスツール、キルショットが駆け抜け、腕を貫きナイフを弾き飛ばす。
うめく男。暗くてよく見えず、裾を踏んで転ぶミューハルト。
一方で、天井から出てきた男は予想外にも素早い動きでバックステップしながらナイフを数本投げつける。
ココが一歩前に出ると、一瞬で手足を白熊族のエクストラで変貌させ、手の横なぎで弾く。
そのココの姿に目を剥く男。
薄暗くて周囲の状況がよく分からないミューハルトは、転んだところで服の裾にナイフが刺さってびっくりしていた。
ハルのキルショットは舞台袖の男を一瞬でグルグル巻きにすると手元に引き寄せ、顔面に蹴りを叩きこんで完全に沈黙させる。
ミューハルトの方は、裾ごと床に立てられたナイフが予想外に深く刺さっており、立ち上がった拍子に服が裂けそのまますっころんだ。
ココは天井の男との距離を詰めると、そのままの勢いで砲弾のような前蹴りを叩きこもうとした。
間一髪でかわす男。わずかにかするにとどまる。
しかし、少しかすっただけにも関わらず、男を壁際まで弾き飛ばした。
さらに男に追撃を入れようとしたココだったが、男は壁際まで吹っ飛んだのを好機と、そのまま出口まで飛び出し、外へと消えていった。
この間、わずか数秒の出来事だった。
***
「一人逃がしたわね」
「えぅ……。ごめん。あの人、異常に早かったよ」
「ちらっとしか見えてなかったけど、獣人かなにかかしらね。あら、なんでミューはそんなボロボロなの」
転んで鼻を打ってもだえていた僕を見て、ハルは不思議そうな顔をしていた。
僕だって何が起こったんだと聞きたい。
薄暗くてよく見えなかったし、一歩踏み出したらなんか躓いて、あとなんかもう一回転んだよ!
「ミュー大丈夫?」
ココが心配そうな顔をして駆け寄ってくる。
立ち上がって体を動かしてみるけど、鼻の頭以外痛いところはない。
なんかよくわからないけどココも無事みたいだしよかったのかな?
ハルについてきてもらって助かったよ。
やれやれ。デビュー前から楽屋荒らしならぬ舞台荒らしとはひどい目にあった。
「!? ミュー服と楽器が!」
「え?」
ココの言葉で僕は慌てて自分の服を見る。
なんと、ローブになっている僕の黒い服が股のあたりから一直線に切り裂かれてるじゃないか。
そして、転んだ拍子に落としたんだろう楽器は、ハルが縛り上げている男が背中に敷いて、先端の金属パーツが見事にへし折れているのだった。
「ああーーー!!!! どうしよう!?」
「えぅ。どうしよう?」
僕が思わず叫び声をあげると、ココも困り顔でオロオロしている。
衣装はともかく、楽器がこんなんじゃ公演も……。
「ダメだよ! ミューがそんな、ふ、太ももを晒した恰好で人前に出るなんて!」
「いや、ココ。それはどうでも……」
「よくないよー!」
「あんたら落ち着きなさいって」
ハルの声で、僕とココはぐっと黙る。
確かに。今は慌てる前に、どうやったらこの状況を変えられるか考えないと。
服は、まあ縫えばいいかな。
でも、結構びりびりになっちゃったし、裁縫道具も持ってきてないし。
ああ、こんな事態じゃなくても、服の補修くらいできるように裁縫道具くらい持っておけばいいのに!
衣装係も必要だったか。
後は楽器。
これで演奏してみるか?
いや、だからそれは危ないんだって。
でも、これこそ修理なんてできないし……。
「おーい、ミュー。人が来てる……うぉ、なにこの状況」
「そっちの、男は?」
僕がおろおろしていると、舞台の入り口からボーイとジェロが姿を現した。
二人は入って来るなりハルが締めあげている人物に気づいたのから視線を鋭くする。
「っち。まだいたのか。ごめんねーミュー。こんなことだったらおいらたちも一緒にいればよかったね」
「いや、僕がこんな状態なのは結構自業自得だからあんまり変わんないかと……。ところで人が来てるって言ってた?」
僕の言葉にボーイがポンと手を打つ。
「そうそう。バリウスさんと、マダムシエスタさんとかいう人。ミューが呼んだんでしょ?」
「それだー!」
ナイスタイミング!
僕は神に感謝すると舞台から飛び出すのだった。