第三十七話 穏便とは一体
僕がトライメの拠点である賭場に、壊れた扉を乗り越えて入ると、そこはパッと見でわかるくらいに危険な状態になっていた。
賭場と言っても、スロット台やルーレット台があるわけでもなく、長机、正方形の机、いすなどが並べられているだけであり、広さや内装は外から見た想像通りと言った様子。
きっと、この机の上で色々な賭け事を行うのだろう。だが、今はそれはどうでもいい。
問題は、室内はそんな机や椅子が乱雑に倒されており、柄の悪そうな男が五人でチョビ髭の太った男性の襟首を掴んで締め上げていることだ。
チョビ髭のおじさんは白目を剥いて泡を吹いており、「おやじ狩り」の文字がぱっと思い浮かぶ様子。
間違っても楽しくカードゲームに興じているようには見えないし、ゲーム後のリアルファイトだとしても雰囲気が剣呑すぎる。
そんな人たちに対しココはエクストラこそまだ作っていないが身構えており、「グルルル」という低い唸り声を漏らしている。
そして、フィリップさんはそんなココの横に並び、相手から視線をそらさないようにしつつも、どうにかしてこの場を離れようかとしているところだった。
僕はココに近寄って軽く袖を引くと、ココが困り顔でこちらをちらりと見る。
「あれ? なんでミューまでここにいるの? だめだよ。ここは危ないから外にいないと」
「それはこっちのセリフだよ。なんでココが入っちゃったのさ」
「だって危険は排除しないとだし、ここの人がミューには必要なんでしょ?」
当然のようにそう言うココ。
なにか問題があったら目的を達成できないのは事実だけど、それで単身でどうしようというのか。
現時点ではあくまでもトライメと僕らは無関係。
であれば穏便に引き下がりたいものだけど。
「なんだ手前ら。客だったら帰りな。この店は永久に閉店だぜ?」
そんなことを言うチンピラA(仮)。
どうやら帰っていいらしい。ならばお言葉に甘えることにしようか。
そう思ったのだが、ココはビシっとポーズを決め。
「ここは私たちが絞り取るんだよ! 勝手につぶされたら困るんだから!!」
「ちょっとココ!?」
絞り取る? あ、前話していたボロ雑巾のように使うと言ってたマーロンさんの言葉を覚えていたのか。
その時には、黙って、横にいて、穏便に、とも言ったのに忘れたのかな?
すると、ココはさらに言葉を続ける。
「黙って脇に控えたら穏便に済ませてあげる!」
言い終わった後でココは首を傾げると、こちらを困ったような顔で見て、「だっけ?」と言ってきたのだった。
……今更だけど、ココのお勉強も力を入れればよかった。
それこそ、どうやったらいいか分かんないんだけど。
ココの言葉に俄かに騒然としだすチンピラ五人組。子供の戯言として流してほしいんだけど。
「なんだ、てめえらここを搾り取るとか、どこの興座のモンだ!!?」
「誤解です! この子には後でキチンとお仕置きしますから!」
「えっ、私ミューにお仕置きされちゃうの? ねえ、どんなどんな?」
「あ、ずるい。ミューハルト様、私もご一緒にお仕置きしてもらないでしょうか」
「二人とも、少し黙って!」
ああもう、緊張感がない!
いつの間にか入ってきたマーロンさんはもう諦めるにしても、なんでココまでちょっと嬉しそうなのさ!
フィリップさんにはマーロンさんだけでも引き取ってもらいたいものなのだが、腰に帯びた剣に手をかけつつ無言で警戒しているため、この混沌とした状況に歯止めがかかる様子がない。
だが、チンピラ五人組は今までのやり取りでもなぜか警戒を深めたように、こちらをにらんでいるではないか。
「好戦的な女、お調子者の男、無口でガタイのいい野郎……、あとよく分からんガキが一匹多いが……。そうか、てめえらがトライメお抱えの護衛か! くそ、冒険者組合に働きかけて他所に行かせていたってのに、どうやって嗅ぎつけやがった!」
「は、はい? なんのことでしょう」
「とぼけたってそうはいかねえぞ! 手前らがいないうちにここの興座を潰してうちの縄張りにしてしまうつもりだったのに。こうなったら、噂の冒険者だろうが関係ねえ! こっちのが人数多いんだからやってやるぜ!!」
そう言いながら、気絶しているっぽいチョビ髭のおじさんを放り投げると、チンピラーズはこちらに向かって身構えるではないか。
こっちも腕に覚えがあるならば華麗になぎ倒すくらいの展開に持っていきたいのだが、いかんせん自分の細腕じゃ役に立ちそうもない。
とりあえず、ココだけでも連れてダッシュで逃げないと。
幸いにも出口はすぐ傍だし、入り組んだスラム街に飛び出せばまだ逃げ道はあると思う。
そこまで考えると、僕はココの手を握って、「逃げるよ!」と叫んだ。
だが、
「逃がすかよ!」
そう言いながらチンピラBは懐からギラリと鈍い輝きを放つナイフを取り出すと、躊躇なくこちらに投げてきたではないか!
その瞬間、とても世界がスローモーションになったように感じた。
別になんかすごい力に目覚めたという訳ではなく、命の危機にそう感じただけなのだろう。
ナイフがまっすぐこちらに迫る。
ココが僕をかばう様に身を投げ出す。
駄目だ!
そう思いながら、僕ももどかしいぐらいに遅い体を前に投げ出そうとする。
このままでは、僕にあたるかココにあたるか。
その時、フィリップさんが腰の剣を抜き放つと、ナイフの軌道が剣にはじかれ明後日の方向に飛んで行った。
助かった……?
ホッとしたのも束の間、身を投げ出そうと乗り出した僕の足は何かを踏みつんのめる。
感触からして、ビンか椅子の脚か。
そのどちらだったにしろ、床がまっすぐに顔に迫る。いや、僕の頭が床に迫っているのか。
そう思ったのを最後に、僕の意識はここで一時中断した。
***
ミューハルトのいうところのチンピラBがナイフを投げてきた瞬間、油断なく警戒していたフィリップは腰の剣を抜き放つと、あっさりとそれを弾くことに成功した。
姿を見たときから、全員が懐に凶器を帯びていることは見抜いていた。
そうでなければココを小脇に抱えて、とっくに店から逃げ出していたところではあるが、こうして難なく対応できたことは元冒険者としての面目躍如だろう。
だが、どうしたことだろうか。
間違いなくナイフは後ろの子供たちと雇い主にかすり傷ひとつ付けていなかったはずだが、ゴンという鈍い音が聞こえてくれるではないか。
フィリップは内心焦りつつも、長年の習慣により、獲物から目を離すことなく声を上げる。
「大丈夫か! 嬢ちゃん達!」
「ミューが転んで頭うっちゃった! どうしよう、気を失ってる!」
(なんでそうなる……!?)
あんまりな返答に頭を抱えたくなるが、ミューハルトとかいう子供の姿を思い浮かべてぐっと堪える。
色白さと華奢さから、まるで貴族様のご令嬢のようだと思っていたところだ。
貴族令嬢ならこの暴力的な雰囲気に気絶の一つもするだろうと考えると、あの嬢ちゃんをここに入れたこと自体が間違いだったのだろう。
マーロンの入れ込み具合からして、恋愛感情とも違うようだが下手なことになると自分の首が物理的に飛びかねないと思ったフィリップは、場合によっては相手を全員斬り捨てる覚悟で身構えた。
街の中の刃傷沙汰は普通に犯罪であり、別に戦闘狂でもないフィリップとしては気が進まないが、相手はスラムのチンピラでこちら側には貴族がいると思えば躊躇はいらない。
「怪我はないようですが、こちらで確認します! フィリップ、その間敵を近づけるな!」
フィリップはマーロンの声に気を引き締める。
なよっちい見た目に反して、マーロンの危機管理能力と冷静さには一定の信頼が持てるのが唯一の救いだった。
(後は、ココとかいう嬢ちゃんを引き下がらせればいいが――)
その途端、フィリップの背筋にゾクリとした悪寒が走る。
それは、長年の冒険で鍛え頼りにしてきた感覚。
ダンジョンの曲がり角に魔物が待ち構えていた時や、仲間が罠に踏み込みそうになった時、自分が引退する羽目になったあの時だって鳴り響いていた警鐘。
それが、なぜこんな街中で感じるのか――。
「ねえ、さっきミューになにしようとしたの……?」
少女らしい華の咲くような愛らしい声なのに、底冷えするように低いところから響いてくる。
自分の隣に一歩進み出てきたソレが一体何なのか、直感と認識のギャップで混乱しそうになる。
「オンビン……、オンビン……。死ななかったらいいよね?」
そう言いながら首を傾げるそれは、間違いなくココという名の、ここまで無邪気そうについてきていた少女のはずだった。
フィリップは無意識のうちに警戒する相手を横にいるそれに切り替えそうになっていたが、慌ててチンピラどもに集中する。
いや、警戒することでこちらまで敵対することになるのではないかと恐怖を感じてしまったというのもあった。
そして、その異様な気配は相手も感じ取っていたようで、さっきまでいきり立っていた五人組は、それぞれ手に刃物などの武器を握りながらも、息をのんでこちらをうかがっている。
そのまま回れ右をして帰ってくれればもっと賢かったのだろうが、彼らのプライドがそれを許さないのか、「な、なんだ手前ぇやんのか!?」という声を各々に張り上げている。
「やる? うん、やるよ」
ココがそれまで被っていたフードとマントを脱ぎ捨てる。
そして、それまで隠れていた姿があらわになった。
「げぇ、魔族!?」
チンピラの一人が驚いたように声を上げる。
声から想像できるとおりの可愛らしい少女は手には何も持っていない徒手空拳。
ただし、その頭には武器よりも恐ろしい異形のものが乗っかっている。
ミューからすれば「かわいい」の一言で済ませていたそれであったが、非力なヒト族からすれば、敵対する相手が備えているものとすれば最悪のものだった。
遥か昔、多くの大陸を支配し世界を覆いつくそうとしていた邪教の尖兵の中でも、特に恐れられていたのがその身に獣を宿した種族。
自分たちと同等の知性があるのに、持つ力は獣のソレと同等という理不尽な存在。
今でこそ、その種族は各地で散り散りになり、少数で細々と生存しているそうだが、その恐怖は今でも言い伝えられている。
曰く、ヒトを食い散らすモノ達と。
白銀の少女が舞った。
地面を蹴った足は、褐色の肌がみるみる間に白い毛に覆われ、鋭い爪が顔を覗かせる。
その手足を力に任せて振り回すだけで、巻き込まれた人間はどんな方向にだろうと180度折り畳まれるだろう。
しかし、ココは一応「オンビン」という単語を頭に入れていたようで、わずかばかりの手心を加えた蹴りを放つ。
ドンッ!
とても肉と肉がぶつかったとは思われない音を放ちつつ、チンピラAは地面と水平に吹っ飛び、木製の薄い壁に突き刺さることで勢いを止めた。
当然ながら戦線離脱である。
「!! 手前ぇよくも……!」
突如として仲間と立ち位置を入れ替えて眼前に立つココにチンピラどもはざわめき、一拍遅れながらも武器を振りかざした。
だが、それを見つめるココの眼は冷たい。
獣のモノへと変貌した腕を無造作に突き出すと、チンピラBの振り回した刃渡りの短いナイフなど白い毛すらを斬ることもなくあっさりと阻まれてしまう。
そして、無造作に繰り出されたココの裏拳であっけなく崩れ落ちた。
そこに至ってようやくこの状況がまずいことに気づいたチンピラC~Eは慌てて言い訳や命乞いの言葉を発しようとした。
しかし、ヒト以上に聞こえるココの耳であったが、彼らの声を全く聴くつもりはない。
「えぅ!!」
気合(?)一閃。
ちゃぶ台返しするように足元から真上へ跳ね上げられたココの腕は、一人の腕と足をあり得ないほうに捻じ曲げ、一人を空中で縦方向に回転させて地面にたたきつけ、残り一人を天井に突き刺したのだった。
後に残されたのはただ沈黙。
さっきまで元気に喚いていたチンピラどもは、揃って痛みや衝撃で気絶し、それぞれの定位置で動かない。
痙攣するように時々体を震わせているので、生きてはいるだろう、多分。
わずか数秒足らずで起きた惨劇に、ただ口を開けて眺めることできなかったフィリップだったが、沈黙の時間がこの自体に至った時間を上回ったあたりで、ようやく我に返った。
「お、おい。嬢ちゃ……、いや、ココ?」
その声にココがくるりと振り返り、フィリップはビクリと体を震わせる。
思わず剣を握る手に力が入ってしまったのも無理はないだろう。
そんな恐怖を知ってか知らずか、ココの口が開かれる。
「ミューは大丈夫なんだよね?」
いつの間にか空間全体に張り詰められていた圧が消え、そこにいたのは仲間を気遣う一人の女の子だった。
目をそらしていなかったはずなのに、いつの間に入れ替わったんだという考えに襲われるフィリップだった。
敵もいなくなったので、フィリップが雇い主の方を見てみると、マーロンは手際よくミューハルトの脈や顔をチェックし、お姫様抱っこで抱え上げた。
これまでの態度を思えば、役得とでもいうように喜びそうに思われたが、マーロンの表情は真剣そのものであり、下心は全く見られないようである。
「差し当たって命に別状はないと思われますが、ミューハルト様が安静にできる場所にお運びしたいと思います。そこで泡を吹いている男性がトライメの責任者なので、適当に介抱したら戻っていただいて結構です。フィリップ、万一もないと思うが、ココ様を頼んだぞ」
そういうと、マーロンはミューハルトを抱えて外に出て行ったのだった。
人の形をした暴風雨のような少女に何を気を付けるんだとフィリップは思ったが、少なくとも道案内と、手を出そうとする阿呆がいたら静止してやる必要はあるかと思って納得する。
ココはてっきりミューハルトについていくと思ったのだが、命に別状はないという言葉に安心した様子を見せると、「じゃあミューが起きたときのためにやっとかないとね」と言って、気絶しているチョビ髭のおじさんの方に歩いて行った。
「おいおい、そのおっさんは殺っちゃ駄目だぜ?」
「えぅ? わかってるよ? 起こすんだよね? あと、ミューのために働いてもらう約束もしとけばいいんだよね」
「いや、その約束は旦那の方からするはずだから、とりあえず起こすだけでいいんじゃないか。その、手荒なことするなよ」
「わかった!」
恐る恐るといったように言ったフィリップだったが、ココは特に反抗する様子もなく素直に頷いた。
そして、地面に横たわっているおじさんを片手でひょいと掴み上げると、もう片方の手を頬に添えて、すっと引き――。
(おいおいおい! 頭吹き飛ばねぇよね!?)
どうやらビンタしようとしている様子にゾッとするフィリップだったが、幸か不幸か、その行動に対する制止をかける前に、建物に響き渡った声によってココの動きは止められたのだった。
「あんたら何しようとしてるんだい!?」