第三十六話 スラムへ行こう!
「うう、緊張するなあ……」
「大丈夫大丈夫! 私が守るから!」
「ありがとう。でも、まずは穏便に、だからね?」
マーロンさんとの話し合いから数週間後。
僕らは教会の前で待ち合わせを行っていた。
よく晴れたうららかな昼下がりであり、最近では被っているフードも少し暑くて鬱陶しさを感じる季節となってきたと思う。
今日は遂に新進気鋭の興座、トライメに面会する日だ。
相手は貴族様とかではないので、すぐに会えるかと思ったのだが、マーロンさんが日程調整をしてくれたところ、意外と間が開いてしまった。
その間は、相変わらず路上ライブで歌の練習をしつつ、体力づくりやマリアさんのお手伝いをしていたのは今まで通りだけど、それに加えて、路上ライブの後の反省会と技術指導も日課に加わったのだった。
素人の僕が誰かに指導するなんてという引け目はあったのだけど、僕以外に理想像を伝えられる人がいないのだからと頑張ってココに伝えてみたのだが、ココは僕の言うことに素直に従ってくれるのだから非常に助かる。
少なくとも、歌と踊りに関しては真面目に取り組み、また、それを支えるだけの体力と身体能力があるのだからメキメキと上達していったと思う。
とはいえ、まだ数週間しか経っていないし、まだまだ成長の余地はあるんだけどね。
僕の方も、ココの歌に負けないようにマリアさんに楽器の演奏を学んでいた。
さすがコンマスというべきか、マリアさんはピアノに似た魔道具であるチアリュート以外にも、笛や琴みたいな楽器も堪能で、基礎を学ぶことができた。
「他のはまだまだだけど、チアリュートはまあまあだね。レミアヒムとアンナのやつに教わっただけあって、地方の村の神父をやる分には問題ないレベルになっているよ」
「う。それなのに天空教を抜けてごめんなさい……」
「それはもう終わった話だからいいよ。学びたいやつがいて、教える技術があるなら、助けることに理由はいらないさ」
といったやり取りがあった。
マリアさんには両親の恩も含め、一生頭が上がらないな。
ともあれ、そうやって準備を進めつつ当日となったわけだ。
ステージ衣装でも着て行こうかと思ったけど、マーロンさんからの事前の連絡では、できるだけ地味で普通な恰好をしろと言われたので、古着屋で買った衣装を着ている。
どうも、トライメの拠点がスラムの中にあるため、下手に高価な服は着ていかないほうがいいのだとか。
いい機会だし、この街の構造を簡単に説明しておこう。
街は城壁でぐるりと囲まれており、増改築のせいで多少いびつにはなっているが、大体円形となっている。
そして、城壁の南の方に、僕たちも通った一番大きな門があり、そこから街を南北を貫く大通りが走っている。
大通りを北に進むと、街の北側を占める貴族街が、そして、そこから更に進むと丘の上に領主の城がある。
貴族街以外の場所は、平民が住む下町ということになる。
ただし、下町の中でも、街の西側にある一区画には、スラムと呼ばれる場所がある。
そこには貧民や孤児が多く住み、同じ街にあって一種独特の雰囲気を作っている。
ただし、あまり貴族が近寄りたがらないのをいいことに、表立って営業できない賭場や怪しげな店も集中しており、普通の平民も来ることがあることから、特別に危険地帯という訳ではないらしい。
噂によると風俗街もあるとかで、健全な男子としてはちょっと興味がなくはないのだが、ココが一緒にいる以上、迂闊なことはできないと思い、近づいたことすらない。
特別に危険地帯というほどではないといっても他の場所に比べて治安がよくないのは事実であるため、僕みたいな小さいのが近づかないほうが無難というのもあるのだが。
ちなみに、僕とココはこのスラムから物乞いに出てきていた子だと思われていたそうな。
「そういうわけで、もしかしたらちょっと危ない目に遭うこともあるかもだけど、マーロンさんの雇った護衛の人もいるらしいし、ココも穏便にお願いね?」
「分かったよ。オンビン、オンビンね。……ところでオンビンってなあに? 狩りの方法?」
「違うって! ええと、平和的に、冷静に、みたいな」
「うーん?」
いまいち分かってなさそうに首を傾げるココ。
この世界に穏便に相当する単語がないという訳ではないのに、なぜわからないんだろうか。
うーん、アイドルの訓練の他にココの勉強も行うべきだったか。
「具体的に言うと、相手から攻撃されたりしない限りはやり返さず、あと、大事になるような死傷者をださないこと。わかった?」
「そうしたらミューはうれしい?」
「うん。穏便が一番だよ」
「えぅ! わかった、オンビンにがんばる!」
どうやら納得してくれたみたいで、小声で「オンビン、オンビン」と呟いている。
マーロンさんの時は相手がよかったから無事で済んだけど、あんなに脳筋につっこまれたらココの方が危ないからね。
ましてや、ココは女の子とはいえ獣人なんだし、下手に刺激するようなことをしたらどうなるかわかったものではない。
一応冒険者ギルドに所属しているけど、こういうところまで冒険する必要はないよね。
僕とココが教会の前でそんなやり取りをしていると、通りの方から声が聞こえてきた。
「ミューハルト様、ココ様、ご機嫌麗しゅう。本日も神々しいです」
そう言いながら、流れるように目の前に平伏してきたのは、この街の貴族であり、一等書記官でもある、マーロンさんその人だった。
「マーロンさん! 人通りがあるからやめて、っていうか僕ら相手にそういうことはやめてください!」
「では、どのように神に祈りを捧げれば?」
「普通の挨拶で十分です!」
そう言うと、ちょっと不満そうにしながらも、「神がそういうのであれば」と、マーロンさんは立ち上がって、胸に手を当てながら頭を下げる、丁寧な貴族らしい挨拶をこちらにしてくるのだった。
相変わらずぶっとばしてるなあ、この人。
そんなマーロンさんの後ろには、四十代くらいの大柄な男性が、信じられないものを見るような目でマーロンさんを見ている。
体格もよく、腰に小ぶりな剣も帯びているが、この人がマーロンさんの言っていた護衛の人だろうか。
「ん? ああ、俺がマーロンの旦那に雇われている護衛のフィリップだ。……いつも冷静な旦那がこんなになっているを見るのは初めてなんだが、あんた達はなにをやったんだ?」
「フィリーップ!!! ここは下町だから、ある程度砕けた言葉遣いは許しているが、神に対してなんだその言葉遣いは!!!」
「マーロンさん、僕も同じ言葉遣いにしてもらいたいので、少し黙っててください」
「はい、喜んで!」
「本当に何をやったんだ?」
護衛ことフィリップさんは恐ろしいものを見るような目でこちらを見てきた。
そんなのはこっちが聞きたいくらいだ。
「って、あれ? マーロンさん、服装がなんかラフですけど、まさか着いて来る気ですか?」
「ええ、もちろん。そのための日程を調整するのに苦労しましたが。時間が空いてしまい申し訳ありません」
時間かかったのって、マーロンさんの都合だったのか。
「いえ、時間がかかったこと自体はいいんですけど、今から行くのってスラムですよ? 貴族のマーロンさんに来てもらうような場所じゃ……」
「なにをおっしゃいますか! 神の御幸にご同行しないなんてありえません!」
僕がフィリップさんに助けを求めるように目線を向けると、彼は諦めたように首を振っている。
「いつもはスラムの連中に用がある時は俺を遣いに出しているんだけど、今回ばかりは自分が行くって聞かなくてな。貴族様と子供二人の護衛なんて気が重くてよ……」
「それは、大変ですね」
僕が同情すると、彼も「わかってくれるか」と、力なく微笑んでいる。
一応成人してますと言おうかと思ったが、護衛する面からすれば僕は子供と同等だろうし。
負担をかけて申し訳ないけど、今回はフィリップさんには全力で頑張ってもらうしかあるまい。
当のマーロンさんは「神との初ご同行嬉しいな」と呑気に喜んでおり、ココが「ミューとは私の方がよく出歩くもん」と妙なところで張り合っていた。
「じゃあ少し歩くぞ」
フィリップさんのその言葉に僕ら四人は歩き出すのだった。
貴族といったら、下町では馬車とか人力車みたいなもので移動するものかと思っていたが、フィリップさんによるとスラムまで馬車で行ったらスリやら誘拐のターゲットにされて厄介事を呼び込むことになるそうな。
だからこうして歩いているわけだが、マーロンさんは特に気にした様子もなく上機嫌のようだった。
「まあスラムは初めてだが、マーロンの旦那は俺を伴にして下町にはよく来てるんだ。貴族様にしては平民との距離が近いという変わりものなんだよ」
「情報を集めるのも、人を動かすのも、自分で直接やるのが一番ですからね。それを嫌がるような余裕は我が屋にはありませんでした」
他の貴族様なんて知らないけど、当然のように言うマーロンさんに、ここまでのし上がってきた実力の一端を見た気がする。
遠山の金さん的な感じだろうか。
お忍びで出歩くお偉いさんって、それだけで好感度高くなるよね。
「俺も下町をぷらぷらしてたらマーロンの旦那にスカウトされた口さ。仕事はたまにしんどいのもあるが、金払いはいいし、窮屈さはないから感謝してるんだぜ」
フィリップさんは元Dランク冒険者だったそうで、加齢と怪我が重なって引退したのだが、貴族の護衛ともなれば引退後のキャリアとしてはまずまずとのこと。
本人の変わり者っぷりも、自分みたいなのを雇ってくれるとあれば多少は我慢すると、道すがら聞いた。
そんなことまで正直にマーロンさんを前に話して問題ないかと思ったが、フィリップさんがこれくらいの事で気にしていたらとっくの昔に処刑されていると言っているので、結構な信頼関係なのだろう。
「そんなところで、さっきは初めて言葉遣いについて怒られたからびっくりしたぜ」
「なんか申し訳ないです……」
そんなことを言いつつ歩いていると、レンガや漆喰で固められた街づくりは、簡素な木製ののあばら家が目立つような風景に変わってきた。
はっきりと境界線があるわけではないが、いつの間にかスラム街に入っているようだ。
思い込みかもしれないが、行きかう人の目つきも、どことなくすさんだ人が多いような気がする。
この雰囲気、前世で初めて歌舞伎町とか歩いた時のことを思い出す。
道行く人が裏社会の人間ばかりな気がして怖かったなあ。
この世界は確実に日本より治安が悪いし、元から強くもなかったけどより貧弱な体格になった今はもっとドキドキもんだ。
そんなことを思っていると、ココが「大丈夫?」と言いながら手を握ってくるじゃないか。
嬉しいやら恥ずかしいやらではあるけど、心強いのは事実なので遠慮なく握り返して頷いておくことにした。
後ろを歩く貴族様から、「尊い……」とか声が聞こえてくるけど、それは断固として無視しておくことにしよう。
そんなドキドキものの街歩きではあったけど、即座に事件に巻き込まれるということは起こらなかった。
いつもならちょっと怪しいフードも、この街の中には似たような恰好をした人も多いので特に目立たない。
むしろ、古着を着ているとはいえ佇まいに気品を漂わせているマーロンさんの方が浮いているくらいだ。
それもフィリップさんが睨みを利かせているので絡んでくる輩はいないが、もしかしなくても連れてきたことは失敗だったかもしれない。
そんなことを思いながら歩いていると、最後尾を歩きながら周囲を見回していたフィリップさんが声を出した。
「ほれ、着いたぞ。ここがトライメの拠点の賭場だ」
その言葉で視線を向けると、そこにあるのは予想外にこじんまりとした木製の建物。
興座という組織の拠点なのだから、もっとセキュリティが厳重な屋敷か、怪しげな地下室みたいなものを想像していただけにちょっと拍子抜け。
外観のイメージとしては、西部劇に出てくる酒場みたいな感じだろうか。
大きさとしてはコンビニくらいしかないと思われる。
さあ、これからが本番だ
深呼吸をして扉に手をかけて――。
「てめえふざけてんのかっ!! ああっン!!」
「ごめんなさい!」
突如屋内から聞こえてきた声に、僕は咄嗟に謝りながら身を縮こまらせてしまったけど、今何もしてなかったよね?
もしかして、ノックとか呼び鈴とかあったりした?
僕が答えを求めて後ろを振り返ろうとすると、視界の隅を白い影がよぎり、盛大な破壊音と共に建物の中に入っていく気配がした。
「フィリップ! 行け!」
「あいよっ!」
それに続いて、フィリップさんがマーロンさんの命令に従って踏み込んで行く。
その姿を目で追って気づいたのだが、僕がさっきまで手をかけていたはずの木製の扉は、屋内の方に向かってへし折れたように破壊されており、フィリップさんはそれを乗り越えて侵入していったようだ。
「今何が起こったんですか!?」
「ココ様が扉を蹴破って入っていきました。フィリップに行かせたので、ミューハルト様はこの場に――」
「そんなっ!?」
ココはなにやってるのさ!
ただでさえ危なそうな状況で、ココがエクストラ使って正体がばれたらどんな目にあうか――。
僕はそこまで考えると、反射的に足を動かした。
少なくとも僕が言えば聞いてくれると思いたい。
「早まらないでね、ココ!」
「お待ちください!」
後ろにマーロンさんが駆け寄ってくる気配を感じつつ、僕は建物の中に足を踏み入れたのだった。