第三十四話 信者、ゲットだぜ!
なんだかんだで書記官ことマーロンさんとまともに会話できるようになるのに、たっぷり三十分は経ったと思う。
なんせ、マリアさんが話しかけても「ああ」とか「うん」とか生返事しかしないし、僕やココが話しかけると、満面の笑みで意味不明なことを言い出すのだ。
仕舞には、マリアさんがキレて、ココに攻撃を命じてしまい、マーロンさんはココのビンタをくらって地面に突っ伏すことになった。
だが、そのおかげか、しっかりと正気に戻ったようである。
「いやはや、申し訳ない。覚悟はしていたつもりなんですが、神を目の前にすると、人間ってあんなにも簡単に思考を奪われるものなのですね」
そういいながら、にっこりとほほ笑むマーロンさん。
どうしよう。なにを言っているんだかわからない。
やっぱり正気に戻っていないかもしれない。
マリアさんは、行儀悪く頬杖をつきながら、あきれたように言った。
「マーロン一等書記官様や。私の読解力がおかしくなければ、その神というのはここにいるミューハルトとココの二人のことを指しているのかしら?」
「はい! まさしく」
元気いっぱいにうなずく書記官さん。
ええ……。僕はマエストールであっても、神ではないはずだけど。
その疑問はココも同じだったようで、僕が何か言う前に質問してくれた。
「私は神様じゃないよ? 私たちの神様はヨミっていうんだ」
「そうでしたか。でも、自分にとっての神はあなた達です!」
「なんで?」
「よくぞ聞いてくれました!」
そういうと、マーロンさんは朗々と僕たちを神と認識するに至った理由を語り始めたのだった。
まさか自分の生まれから話し始めるとは思わなかったが……。
なんでも、このマーロンさんは下級貴族の家に生まれたのだが、親が厳しい人で、家のためにも必死に努力してきたのだという。
貧相な体格から武官としての道は諦め、その代わり勉強漬けの毎日。そのおかげもあって、彼は一等書記官まで出世したそうなのだ。
平民の僕にはわからないが、マーロンさんの家の格から考えるとかなりのサクセスストーリーらしい。
しかしながら、そこで彼は燃え尽きたそうだ。
目標を達成した後に残ったのは、友も恋人もいない荒れ地のような人生と、退屈な仕事。
「それに気づいた時、絶望しました。このまま人生を歩いていくのかと」
「はあ」
僕はそんなマーロンさんを見ながら、典型的な燃え尽き症候群のようだと思った。
あるよね。目標の大学とか会社に入ることを目標に努力した結果、いざ入った後にやる気とか全部なくなっちゃう人。
でも、このマーロンさんは真面目な人だったようで、今まで仕事自体はしっかり行っていたらしい。
「一時期はすべて投げ出して旅に出ようかと思ったほどです。ですが、家には私の出世を喜んでくれる両親がいた。そうそう簡単に投げ出すことはできません」
「大変ですね」
「ええ。そんな真っ暗な毎日に、ある日天啓が下ったのです」
いきなりぐっと身を乗り出す書記官さん。
顔が近い……。
なんでも、彼が数か月前気晴らしに教会に行こうとしていたところ、二人の子供が歌っていたのだという。
お世辞にも上手というものではなかったが、どこか心を揺さぶるものがあり、気づけば足しげく通うようになったのだと。
その歌は彼を元気づけ、退屈な仕事の最中も、その姿を思い浮かべれば乗り越えることができたのだ。
そしてその子供というのがもちろん。
「僕らだったと?」
「そのとおりです! ですからお二人は私にとって神なのです!」
「とりあえず理由はわかりました」
これはあれだ。
前世の僕と一緒なんだ。僕にとってのアイドルが、彼にとっての僕らの歌だったのだろう。
非常にぐいぐいくる感じがちょっと怖いし、テンションの上がり方に言い知れぬ恐怖を覚えるけど、自分の同類と思えば不思議と親近感を感じてしまう。
ましてや、僕らのファンだと言われれば悪い気はしない。
いや、むしろ素直に嬉しい。
それにしても、このマーロンさんは僕らの路上演奏を頻繁に聞きに来ていたのか。
やっているときは演奏に集中していたし、フードを目深にかぶっていて、来てくれる人の顔までははっきりと見ていなかったけど、言われてみればよく来てくれる背の高い男性がいた気がする。
「そんな時、領主様にあなた達が謁見にいらっしゃった時は運命を感じました」
あの時いたんだ。
あの時の記憶がぶり返して目が泳いでしまう。
結果としては悪いことばかりではなかったし、事実をしっかり受け入れて成長しようと決意したところではあるが、そうそうすぐには飲み込めていないのだ。
横を見ると、ココが心配そうな顔でこちらをみている。
「運命を感じているところ悪いですけど、僕らは失敗してしまって……」
「確かに。普段のノビノビとした歌に比べれば失敗だったかもしれません」
「あう……」
「思わず私の信仰心が暴走し、普段のこの子たちの実力はこんなものじゃないと言いながら領主様に掴みかかるところでした」
「やめてくれてよかったです、本当に」
そんなことされたら、僕らまでとばっちりで処刑されていたかもしれない。
ああ、そうか。ヨミ様の言ってた密度の濃い信仰心ってこの人のものだったのか。
あの時は皆冷たい目で見ていたような気がしたけど、そんな熱い思いで暴走しかけてた人がいるとは全然思わなかったよ。
よっぽど僕の視界が狭くなっていたのか、このマーロンさんの自制心が優れていたのか。
ともあれ、一通り話が終わったところで、マリアさんが書記官さんに尋ねた。
「大体あんたの話はわかったよ。それで、今日は仕事にかこつけて、この子らに会いに来たということでいいのかい?」
「それもあります。それもありますが、それだけではないです」
「それもあるんだ」
素直にうなずくマーロンさんにちょっと脱力してしまった。
初めて見たときはもっと真面目そうな人だと思ったのに。
マーロンさんは僕らに対して優しく微笑む。
「先ほどの書簡をシスターマリアにお渡ししたことで、あなた様方の活動は、この街ではひとまず認められました」
「……そこまで気づいて承認してくれたんですか?」
「多分領主様は気づいていません。そういうのをフォローするのが私たちの仕事なのですが、今回は問題ないと私が押し通しました」
「それは、‥‥‥ありがとうございます」
「いえ、神のためなら」
大仰に手を胸に当て、こちらに一礼するマーロンさん。
僕らとしては感謝する以外ないのだけど、公権力がこうやって堂々と力を貸してくれることに萎縮してしまう僕は、間違いなく根が小市民なのだろう。
「それに、アルスミサ自体があの場で失敗したことも、案外よかったかもしれません。下手に成功していたら、領主様に取り込まれる可能性もありましたよ」
「この町には既に天空教の教会があるのに、そんなことがあるんですか?」
僕が驚いて尋ねると、マーロンさんはこくりと頷く。
「領主様は、我らが国王と同じく、特定の神に肩入れせず、それでいて利に敏いお方です。それが街の発展に役立つと思えば、ありとあらゆる手を使って取り込みにかかります。あなた方にとっては悪いことばかりではなかったかもしれませんが」
「取り込まれたらどうなるんですか?」
「アパスルライツの内容によります。天空教の場合、こうして教会を置く代わりに、街に結界を張っております。ここを拠点に街のためにアルスミサを行うということですね」
それは、そこまで悪いことではない気もする。
今のところ、この街を拠点にしているのは事実だし。
僕がそう思って首を傾げていると、マーロンさんは言葉を続けた。
「この街と添い遂げるつもりならば問題はないです。ですが、この街のお抱えとなるということは、この街と一体となることと等しい」
「それだと、何かあるんですか?」
「まず、他の国や街で活動するのに大きな制約がつきます」
それはちょっと困るのかな。
今のところ具体的な目標はないけど、いずれはあっちこっちに行きたいと思ってるし。
「それと、この街は今のところ平和ですが、国としては隣国と戦争中です。王家から戦争のためにアルスミサを行えと命令が下れば、一領地のお抱えの教団に拒むのは難しいでしょう」
なにかと忘れがちだけど、確かに国としては戦争中なのだ。
このドーフィス王国は、王家お抱えの騎士団と、各領地から拠出した軍、そして、共同戦線を張っている他国の軍とで戦争を行っており、今のところ強制的な徴兵を行ってはない。
だが、もし僕らのアパスルライツが戦争に有用だと思われたら、前線に行かされる可能性もあるという。
僕はマリアさんの方を振り向く。
「天空教も戦争に駆り出されているんですか?」
「いいや、天空教はこの戦争には不介入を決めているよ。天空教はこの国以外にも拠点を置く巨大組織だ。天空教のトップともなれば、この国の王家であろうとモノを言えるだけの力があるんだよ。だが、あんたたちには無理だろうね。命令を拒んだら投獄だって考えられる」
「そんなっ!?」
投獄という言葉に、ココが驚いたように声を上げる。
僕はマリアさんに恐る恐る問いかける。
「もし領主様から気に入られてたら、そういうことになる可能性もあったんですよね? マリアさんはそれを承知で紹介したんですか?」
「なんだい。まるであんたらを戦争に放り込む気だったのかとでも言いたげだね」
「いや、そんな……」
要約するとそういうことなんだけど、マリアさんの迫力ある声色に、思わず言葉を濁してしまう。
まだまだはっきり自分の意思を言えないな、僕。
マリアさんはそんな僕に向かって、フンと鼻を鳴す。
「まあ、そこのマーロン書記官殿の言うような可能性もあっただろうけど、私はそんなに心配していなかったさ」
「それはなんで?」
「あの領主様はこの街の利益しか考えていない合理主義者さ。信者二人の、碌にアパスルライツも発動しない弱小教団を取り込みにかかるわけないじゃない」
「もしかしたら僕らを一目見て気に入る可能性も……」
「自分の子供の誕生よりも街への交易路の誕生に喜ぶようなやつに、そんな情緒があるとは思えないね」
そんな人なのか、領主様。
為政者としては頼れるのかもしれないけど、人としてどうなんだろうか、それ。
マーロンさんは僕らを見て「私は一目見て気に入りましたと」ほほ笑んでいる。
わかったから顔近いって。
「私はともかく、ミューに戦争なんて無理だし、牢屋はもっとだめだよ」
「然り。お二人の意に反してそのようなことをさせるなど、世界の損失ですね!」
ココのほっとしたような言葉に、さらに重ねてくるマーロンさん。
この人たちの中の僕ってどういう存在なんだろうか。
自分でも戦争や牢屋が似合うとは思っていないけどさ。
「話を戻しますけど、マーロン書記官様は、もうひとつお話しがあるとのことでしたが、どのようなもので――」
「そんな! ミューハルト様、私のことはマーロンと呼び捨てにしていただいて結構です!」
「いや、書記官様はお貴族様ですし……」
「神の前に王如きが与えた階級など無意味! なんでしたら、『オイ』でも『下僕』でもお呼びください!」
いや、呼べるかそんなの!
あと、王如きとか言っていいのか貴族様。
「マーロン、おい、下僕」
「だめだよ、ココ! 本当に呼んじゃ!」
「えぅ? だってそう呼んでほしいって……」
何も考えずに言われた通りに言い出すココの口元を抑えてマーロンさんの方を見ると、なぜか今日一番のいい顔をしている彼の姿がそこにあった。
僕とマリアさんはドン引きです。
ココは「喜んでるよ?」と無邪気に聞いてくるけど、流石にココの教育によくないので、他に人がいない時だけは、「マーロンさん」ということで納得してもらうことにした。
マーロンさん、ちょっと残念そうにしないで。
「それで、マーロンさんのもう一つの話って何ですか?」
「はい。これからの興行のことでお困りかと思いまして、僭越ながらご紹介をしようかと」
「本当ですか? ありがとうございます!」
これは思いがけない伝手ができた。
活動は認めてもらったといっても、その活動自体をどうするかという案が白紙に戻っていたのだ。
しばらくは練習しながら考えるかと思っていた矢先のことで、これは幸先がいい。
しかし、それを制したのはマリアさん。
「落ち着きな、ミュー。もう少し人を疑ったらどうだい。本当にまともな紹介だと思っているのかい?」
「えっ、そうなんですか?」
「いや、そんな私は……!」
マーロンさんが何か言うよりも先に、ココの手が一気に熊化すると、マーロンさんの首に手が添えられる。
鋭い爪が生白いマーロンさんの首に軽く食い込んでおり、例え女の子の腕力であっても、爪が突き刺されば怪我してしまいそう。
僕が驚いてココの方を見るが、ココはびっくりするくらいの無表情で、首をこてりとかしげている。
「ねぇ……ミューになんか悪いことしようとしてる?」
ぽつりと呟いた言葉はすごく冷たい。
あの、ココさん?
なんか怖いんですけど、この子こんなんだっけ?
って、それどころじゃない!
「ココ、なんてことしてるの! ごめんなさい、マーロンさん!」
「いえ、このモフモフ具合がなかなか」
「ココ、もうちょい締めていいよ」
「えぅ!」
「やめなさい、あんたたち。こんなのでも貴族殺しは一発処刑の大罪だからね」
マリアさんの言葉にハッと我に返った僕は、慌ててココに手を引っ込めさせた。
なんかここまでのやり取りですっかり扱いが雑になってたけど、マーロンさんは一応貴族で、僕らよりも立場としては上なんだよね。
僕は、マーロンさんが軽く咳込んでいる様子を恐る恐る見る。
「ご、ごめんなさい! つい……」
「いえ、ありがとうございます」
なんでお礼言った。
最悪の事態にはならないみたいだけど、とてもやりづらいことこの上ない。
マーロンさんに話を振るとすぐに逸れるので、なにか知っていそうなマリアさんに視線を向ける。
すると、マリアさんはこめかみを揉みながら嘆息する。
「どいつもこいつも常識はお留守番中かね……。それで、私がこの紹介がまともなものか疑えって言った理由くらいは説明しておこうか」
そう言いながら指をピンと立てる。
「アパスルライツが生活に役立つものなら、領主なり貴族なり、そこいらの金持ちなり、近くの村がお金を集めるなりして呼ぶだろうさ。でもあんたらは違う。そうなったら、考えられるのは、どこぞの劇場でやることだろうけど……」
この街には、領主や商家が運営する劇場があったことを思い浮かべる。
僕たちはお金も少ないし、人ごみに行きたくないから近づいたことはないけど、演劇とかが上映されていたはずだ。
「この街にある劇場での公演には、貴族の役人様方の検査がある。元々は、市民を扇動するような内容じゃないかということを検査するためのものだけど、今じゃあれは上級貴族の利権の塊だ。コネか袖の下がないと検査すら受けられないけど……」
マリアさんがマーロンさんの方を見ると、彼は首を振りつつ、「私の力の及ぶところではありませんね」と言う。
一等書記官であっても、下級の貴族であるマーロンさんが言ったところでどうにもならないのだろう。
「あとは貴族様のお茶会やパーティーの場で公演するという手もあるけど、そんなところで披露しようもんなら、それこそ主催した貴族の手駒だと言うようなもんだね。命運を共にするのが、街じゃなくてその一族になるだけさ」
それだと街に取り込まれるより立場が危うそうだ。
マーロンさんは、「うちみたいな下級貴族じゃ、お抱えにしても守り切れませんね」と残念そうに言っている。
ということは、これも違うのか。
「そこらへんでやったらダメなんですか? 路上ライブみたいに」
「練習程度ならいいけど、信者を増やしたり、アパスルライツを発動させるほどのアルスミサを行ったりしたらトラブルになりかねないから、こうやって苦労してるんだろ」
「じゃあ他になにがあるんですか?」
「それをこの書記官様は教えてくれるんだろう?」
そう言って、マリアさんがマーロンさんを鋭い目つきで睨む。
そうか、そこでやっと話が戻ってくるのか。
確かに、それらの事情を聞くと、果たして貴族であっても家柄の低いマーロンさんにどれほどの紹介ができるのか。
今や自分だけじゃなくてココもいるんだから、ちゃんと考えて話を聞かないといけないと、背筋を伸ばして話を聞く態勢を取り直した。
マーロンさんはひとつ頷くと、おもむろに口を開いた。
「いい興座を知っているんです」