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第二十二話 とある街のとある光景

 俺の名前はバリウス。

 ここ、カシマの街で働くごく普通の市民だ。

 今年で三十五歳になり、仕事は順調そのもの。

 嫁と娘が最近冷たいのは悩みの種だが、俺の人生はおおむね順風満帆と言っていいだろう。

 特に、カシマの街が属するドーフィス王国が、西のほうで国境線を接するガトリング帝国から数年前に宣戦布告されて以来、何でもかんでも飛ぶように売れていき、懐はとても温かい。

 戦争自体は迷惑な話だが、国の東寄りに位置し北の国境線を険しい山脈に守られたこの辺りは平和なもんで、どいつもこいつも戦争様様といった様子だ。

 俺としては今の職人という仕事は気に入ってるので、次々と依頼が舞い込むことは歓迎なのだが、家族と過ごす時間が減るのだけはつらい。

 昔は貧乏ながらも楽しい我が家といった言葉がよく似合う感じだったのに、最近まともに家族と出かけたのはいつだっただろうか?

 それでもギルド長が次々と放り込んでくる仕事は断れねえ。

 下手に断れば、まだようやく工房が軌道に乗り始めたばかりの俺なんかあっという間に干されてしまうだろう。


(すまねえな。我が家族!)


 こうして俺は今日も今日とて朝っぱらからこうして作業場に向かっているというわけだ。

 まだ見習いの頃は作業場に住込みだったから、階段を下りればすぐ職場だったわけだが、下手に郊外の地区に家を建ててしまったせいで、毎日結構な距離を歩かされるのも気を重くする一因かもしれない。

 でも、そんな気の重くなる通勤に、最近ちょっとした変化ができた。


「おっ、やってるやってる。熱心だねえ」


 俺がいくつかの通りを抜けて天空教の教会の近くの公園に差し掛かると、そこには見慣れた二人の姿があった。


「ラーララーラー♪」


 片方の子はいつも通り可愛らしい声で歌っている。

 フードを目深にかぶっているせいでどんな顔をしているかはっきりと見たことはないが、多分成人になるかどうかくらいの女の子だろう。

 マントの隙間から見える褐色の肌はここらへんでは珍しいから、遠くから流れてきた移民なのかもしれない。

 たまに音程が外れていたり、声の大きさがめちゃくちゃになっていたりするが、とても楽しそうに歌っていることが、表情は見えなくてもその声色から伝わってくる。


「ピーヒョロロロー♪」


 もう一人の子は座り込んで、今日も葉っぱを草笛にして音を鳴らしている。

 草笛とは思えないほどの綺麗な響きをしていて、どうやったらそんな音が鳴らせるのか気になるところだ。

 こちらも日によって音がまちまちで、すぐに音が潰れてしまったり、珍妙な音を出していたりすることがある。

 今日はどうやら当たりの日みたいで、草笛にもかかわらず、なんとなく曲になっている。

 こちらの子はとても小柄で、こちらもフードを目深にかぶっているせいで顔がよく分からないのだが、多分まだ幼い女の子なのだろう。

 時々ぼそぼそともう片方の子に話しかける声は、こっちが歌ってもよさそうな可愛い声だったように思えた。

 こっちの子はもう一人の子とは対照的な色白さだ。

 いつも二人でいるようだが、この子たちはどんな関係なのだろうか。


 俺は足を止めて、二人の奏でる音楽に、(しば)し耳を傾けることにした。


 最初に見かけたのは本当に偶然だった。

 そもそも家から職場までの最短ルートは別にあるのだが、気晴らしに違う道を歩いていたところで偶然演奏しているところに出くわしたわけだ。


(変わった音のする草笛だ)


 それこそ最初はそれくらいしか気になるところはなかったのだが、何度か見ていくうちに、少しずつ感心するポイントが見つかってきた。


 まずは聞きなれないその曲調。

 草笛なので、適当に鳴らしているだけなのかと思っていたが、小さい方の子はどうやら特定の曲を奏でているつもりみたいだった。

 特に調子のいい日には、曲になっているということがわかるのだが、これがまた聞き慣れない不思議な曲調だ。

 俺個人としては、仕事に関係する神様の礼拝にたまーに行くぐらいの不熱心な信者だからはっきりと断言はできないのだが、この子がやろうとしている曲は、どの教団とも違う曲調で、初めて聞くものだと思う。

 不思議と、友達と遊び回っている娘の姿を思い起こさせるような、溌剌(はつらつ)とした若さが溢れている曲だ。


 そして歌っている女の子。

 最初は下手くそな歌だなあと思っていたが、徐々に上手になっているのだ。

 そりゃたまに聞く、本物のコンマスやプレイヤーのような、遠くまで美しく伸びていく声や、繊細で複雑な音階を刻む技術というのは全然ない。

 でも、最低限の音程は掴めるようになってきたし、声量も安定してきた。

 まあ、声の大きさだけならプロ並かもな。

 それにこの子の声質は、なんというか、頭の中に妙に残ってなんかむずむずするという不思議な感覚がある。


 俺はなんもしていないけど、こうやって見るたびに少しずつ成長していく様は、子供の成長を見守っているようで少し楽しい。

 俺と同じ考えのやつもいるのか、たまに見る顔のやつがいたりする。


(おっ、あの兄ちゃん昨日もいなかったか?)


 背広を着たひょろっとした若い男性、多分役人か商人かだろう、は俺と目が合うと、恥ずかしそうに視線を伏せ、そそくさと足早に去ってしまった。

 俺が何をしたっていうんだよ。

 別に恥じるもんでもないから俺みたいに堂々と聞いていりゃいいだろうに。

 そう思いながら鼻を鳴らしてみるが、気づけば結構いい時間だ。

 最近はこの子らを見るために少し早めに家を出ているが、それでもそんなに余裕があるわけではない。

 名残惜しいが、俺は懐から小銭を取り出すと、今日も仕事前の楽しみをくれた二人のために、前に設置されたお椀に放り込んだ。

 どうせ最近は稼ぎと使う額が釣り合ってなかったのだ。

 これくらいのささやかな散在は家族も許してくれるだろう。

 そもそも、俺は酒にも女にも金を使っていないのだ。

 誰に文句を言われる必要がある。


 小銭を入れると歌っている子の口元がもっと嬉しそうに、にかっと笑ったのがわかる。

 うんうん。そんなに喜んでくれるなら入れた甲斐があるってもんだ。

 最近のうちの娘は小遣いをやっても当然みたいな顔をするから可愛げがねえ。

 これくらい喜んでくれるならやりがいもあるってもんだがな。

 ちっこい方の娘が顔をあげる。

 フードの奥から一瞬だけ、目線があったような気がした。

 俺を見たのか、それとも俺を透かして空を見たのか。

 そう思わせるような空の色を反射したような空色をしていた、気がする。

 しかし、その子がすぐに視線を下してしまったせいで、また隠れてしまった。

 いや、おじぎしたのか?

 この子は行動の端々に育ちの良さが感じられるな。

 うちの娘にも、いや、あんまり比べるのはよそう。

 こういうところが娘に嫌われているという自覚はある。


 俺は財布を懐にしまい直すと、背中に二人の音楽を感じながら歩き出した。

 それは俺に今日も一日がんばれと言ってくれているようで、自然と足取りが軽くなったようだ。

 そうだ、何を落ち込む必要がある。

 俺は俺の仕事をするだけだ。

 そう思って、後は真っ直ぐに職場へと歩を進めて行った。


「それにしても……世間は厳しいよなあ」


 そんな呟きが思わず漏れる。

 あんなに俺の娘くらい小さい子たちが()()()に身をやつすなんて厳しい世の中だ。

 ちゃんとした家業がある家ならば、あれくらいの年頃になったら、家の手伝いをして稼ぐから、まともな稼業すらない貧民なのだろう。

 俺の予想では、家はスラムのあたりにあって、やせほそった母親が待っているに違いない。

 肌の色が違うから姉妹ではないか?

 いや、スラムで姉妹同然に育ったか、種違いか腹違いの姉妹という線もありうる。

 ちっこい方の娘は栄養状態が明らかに足りていないな。小さすぎる。

 あの白さは病的だ。

 褐色の方の子は肉付きはいいようだし肌艶もいいが、まともな衣類も買えないのだろう。

 古ぼけたマントとフードの下は手足むき出しだったが、こんな冬場にあの恰好は見てるこっちが寒くなる。


『ほら寒いでしょ。あんたは体が弱いんだからもっと服を着なさい』

『でもお姉ちゃん。お姉ちゃんが寒いでしょ』

『私は大丈夫だから』

『ごめんね。だったら私のご飯分けてあげる。私あんまり食欲がなくて』

『食べないと健康になれないよ』

『大丈夫だよ。それよりも今日もお歌を歌いに行こう。 今日はいいお笛が出来たの』

『よし、今日もがんばって歌おうね』


 そんな想像が浮かび、目頭がつんと熱くなってきた。

 所帯を持って歳をとると、こういうのに弱くなるのだ。

 最近はすっかり涙腺が緩んでしょうがない。


 本当は古着や食事を渡してあげたいところだが、街はスラム街や物乞いに対して厳しい姿勢をとっているため、表立って援助することは難しい。

 最近は戦争孤児や十分な補償を貰えなかった戦傷軍人が、安全な東方にやってくる傾向があり、そういう手合いが街に流れ込んできているのだ。

 戦争特需に合わせて規模を広げる街に合わせて、スラム街も拡張されており、怪しげな犯罪組織もできている。

 そんな状況で、下手に物乞いに物資まで渡していたら、そういったスラム街の連中の協力者と思われかねないのだ。

 物乞いに小銭を渡すのは、昔からの慣習なのでぎりぎりセーフといったところだ。

 涙がこぼれないように上を見上げながら俺は決意した。


「明日から渡す額を少し増やそう」


 * * *


「見て見てミュー! 今日も結構入っているよ!」

「そうだね。案外見てくれる人は多いもんだね」


 ココが嬉しそうにお椀の中に入ったお金を見せてくる。

 ひーふーみー……。うん。これでまた細々とした雑貨が買える。

 まだ家から持ってきたお金に余裕はあるけど、節約するに越したことはないからありがたい。

 このカシマの街に到着してから早2月近くが経った。

 晴れて十五歳になった僕とココの二人は、ヨミ様の信者として、大人として、こうやって毎日練習がてらの路上ライブをしながら毎日を過ごしている。

 きちんとした場所を整えて派手なデビューライブができたら最高だったけど、残念ながらまだこの街に詳しくないし、僕もココもまだまだ実力不足なのは否めない。

 こんなんでデビューしたらヨミ様に申し訳ないだろう。

 だからこうしてココにはボイストレーニングと人前で声を出す練習を。

 僕はブライのナイフの実験をしながら、楽器の確保をしているというわけだ。

 本当は、僕はプロデューサーになりたいのであって演奏までしたいわけではないのだけど、僕一人しかいないのだから仕方ない。

 アイドル、ココ。

 プロデューサー兼作詞作曲兼演奏兼演出、僕。

 そのうち人を募集しないとね。

 今はまだ雇える余裕もないけど。


「とりあえずご飯買いに行こうか」

「うん!」


 何はともあれ、今日の糧を得た僕らはウキウキ気分で朝の市場へと向かうのだった。


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