第二十話 いい日旅立ち
「いい朝だな」
僕はそう言いながら家の前で大きく伸びをした。
青空も白っぽい大地はいつもと変わらないはずだが、その光景に今は寒々しさは感じず、ただ、この先に続く光景に思いを馳せるばかりである。
ついに僕は旅に出る。
そう噛みしめると、体の奥からワクワクとドキドキが湧き上がってきて、いてもたってもいられなくなりそうだ。
「ミュー。準備できたの?」
「もうできてるよー」
家の中から聞こえてくる母さまの声に僕は返事をする。
こんな風にやりとりできることももう当分ないと思うと、寂しさで息苦しくなるけど、僕はもう決めたんだと、その思いをふりきる。
さあ、もうすぐ出発だ。
その日の僕は、村の皆に別れを告げるため仲のよかった家には挨拶をして回るところから始まった。
本当ならもう少し早いタイミングでお知らせしておいて、送別会をやるということもあるんだけど、なんせ僕の旅立ちが決まったのは昨日だ。
村の誰もが、唐突な僕の出発に驚きつつも、餞別の品をくれたのだからありがたい話だ。
昨日の宴会のせいで頭痛を押さえながらも笑いながら見送ってくれたおじさんや、涙ぐんで別れを惜しんでくれたお姉さんと、反応は様々だ。
ボーイのおばちゃんは、僕に日持ちのする食料と一緒に手紙を渡し。
「うちのバカ息子に会うことがあったらこの手紙を渡しておいてちょうだい。ミューちゃんはずっと村にいてくれると嬉しかったけど。まあ、若者らしく無茶してきな」
と言われたのが特に印象的だった。
思えば十五年近くこの村にいたのだ。
気づけばしっかりと故郷になったんだとしみじみ実感する。
村の神父にならなかったのでその点では申し訳ないなと思ったのだが、村長からは。
「どうせレミアヒムのやつはエルフだから、あと数百年は生きるじゃろ。問題ないわい」
と言われてしまった。
たしかに、それを考えると果たして僕が後を継ぐ必要があったのかとさえ思えてしまうよね。
やっと家に戻ってきた時には、すっかり昼を回ってしまった。
家の前にはいつから待っていてくれたのか、両親とココの姿があった。
「村の皆には挨拶できたかい? ずいぶんと荷物が増えたね」
「みんな色々とくれたんだ。これを持って旅をするのって大変そうだよ」
「それだったら馬車に積み込んでおくといい」
父さんがそう言いながら教会の脇を指し示した。
そちらの方に視線を向けると、そこには栗毛の馬が一頭と、その馬に繋がれた幌付きの小さな荷台が括り付けられていた。
それは村の人が、年に何回か街に行く必要がある時に使う、村の共有として使っている馬車だった。
「これ使っていいの? うちのものじゃないでしょ?」
「いい加減ぼろになってきていて今度作り変える予定だったから貰ってきたのさ。ミューのためって言ったら村長も快く了承してくれたよ」
「僕のためだからって脅してないよね?」
「いや。こればかりは本当に素直に了承してもらえたんだよ。愛されているな、お前は」
父さまの言葉は信用ならないことがままあるのだが、その表情からすると、どうやら本当らしいということが読み取れる。
村長には迷惑ばかりかけて、事あるごとに怒られてばっかりだったけど、嫌われていたわけじゃなかったんだね。
村長さんには感謝しておかないといけないな。
もし僕が成功したら、豪華なお土産でも買って帰ることにしよう。
僕はココの方を向くと唯一の懸念を尋ねる。
「ココは楽団のみんなにお別れした?」
「うん。特になんも言われなかった」
「そっか」
そんな言葉をあまりにもあっけらかんと言うのもだから、僕も拍子抜けしたようなことしか言えなかった。
僕としては、寂しいような、揉めなくてよかったような、微妙な気分だ。
父さまが隣で、無言で肩をすくめているが、あちらの団長とどんなやり取りがあったのだか。
でも、ココが嬉しそうな顔をしているからこれでよかったのだろう。
これからは、僕が仲間なのだから。
僕が村の皆からもらった荷物を馬車に積み込んでいると、父さんが近づいてきて荷台に一枚の紙を広げた。
それは、今まではあまり必要性も感じてなくて、勉強の際にちょっと眺めただけであった、この国とその近辺の地図だった。
「ミューは最初に行く場所は考えているかい?」
「とりあえず、近場の街に行こうと思っているけど」
地図上でドーフィス王国と書かれた領土には、ザックリながらもいくつかの都市が書き込まれている。
このドーフィス王国は四方を他の国に囲まれた大陸国家だ。
国の中央からやや南東よりに首都があり、僕の住むクーガ村は国境に割と近い国の北東に位置している。
「それなら街道沿いに西に行ったところにあるカシマという街に行くといい。街の規模もそこそこ大きいから何をやるのにも便利だろう。それに街道沿いなら比較的安全だ。本当は農業神の楽団について行った方が安全だったんだろうが、あいつらは東の国境を越えてスクルト王国の方に行くと言っていたからな」
安全かもしれないが、ココのことを考えると、楽団の人たちと一緒に行動することにはちょっと抵抗があったから助かったと思った。
ちなみに、スクルト王国はドーフィス王国と友好関係にあるが、それでも通行手形が必要であり、僕らが付いて行っても通れないのだ。
もし、通行許可が必要ならば、それこそ国内の大きめの街に行かないといけないということらしい。
最初は国内で地道に活動するつもりなので、いきなり隣国に行くつもりはないが、いずれ行ってみたいな。
次に母さまも近づいてくると、地図とは違う紙束を僕に手渡した。
それは蝋で封をされた手紙のようであった。
何枚もある手紙には、それぞれ違う宛名が書かれている。
僕は見覚えのない名前の書かれた手紙に首をかしげる。
「これは誰かに渡しておくもの?」
「そうね。これは私とレミアヒムの顔が効きそうな相手に対するお手紙よ。昨日せっせと書いておいたの。封筒に書かれた人に会うことがあれば渡しておくと、少し優しくしてもらえるかもしれないわ。あまりたくさんはいなくて申し訳ないけど」
「ううん。ありがとう。十分だよ」
つまりは紹介状みたいなものか。
裸一貫で頑張るつもりだったけど、コネはあればあるだけいい。
それは前世でもよく実感していたことだ。
それをセコいと言う程、純粋さも余裕もないつもりだ。
封筒の宛名を見ると、天空教の支部を始めとして、エルフの里やホビットの里宛てのものもある。
エルフやホビットって多分両親の故郷なんだと思うけど、駆け落ちした実家に行っても大丈夫なんだろうか?
まだ見ぬおじいちゃんおばあちゃんに会うとか、ちょっと気が重いような。
地名を見る限り、結構遠いから当分会うことはないと思うけど。
「あと、最後にこれを。流石にチアリュートは持っていけないからな。教団を作るなら楽器は必要だろ?」
そう言って父さまが懐から取り出したのは、三十センチ程度の細長い包み。
受け取ると、予想以上のずっしりとした重みが伝わってきた。
布の包みを解くと、それは鞘に納められた一本のナイフだった。
鞘から抜くときらりと輝く美しい刃。
刀身は薄らと緑色が混じっているだろうか。表面には複雑な文様が刻まれている。
柄の部分はい草のような植物の編みこまれたもので覆われており、先端には魔石をはめ込まれている。
僕が握るとぼんやりと光ったように見えたのは、精霊が寄ってきたせいだろうか。
楽器というからにはナイフ自体が笛にでもなっているのだろうかと思ったが、特に吹き込み口も見当たらない。
ならばと軽く振ってみたが、特に音もしない。
「どうやって使うのこれ?」
「それはブライのナイフと言って、それで切った植物が楽器になるんだ。アルスミサに耐えうる草笛みたいな感じだな。楽器になった植物はそれほど長持ちはしないが、どこでも簡単に楽器が確保できるという便利な代物だ」
「すごい便利だね!」
試しにと辺りを見回したが、季節が冬なこともあって、目につくのはひょろひょろとした雑草ばかり。
それでもと一本ナイフで切ってみると、ただの雑草が淡く光を放ち始めた。
唇を付け、息を吹くと、ただの草とは思えない透き通った音が響いた。
しかし、草はその一回だけですぐに光を失って、音も出なくなってしまった。
「あれ? こんなものなの?」
「そうだな。エルフの里と違って、ここら辺の植物じゃ大した楽器にならないのは難点だな。それでも植物の種類によってはいい楽器になるものもあるから探してみるといい。これでも一応私の実家の家宝だったのだからな」
「それにそんなものを僕に渡していいの?」
「問題ないよ。もはやこの村じゃ使い道がないしね」
そんな高価なものをポンと託してくれたことに感謝しつつ、僕は腰のベルトにナイフを装備した。
楽器の魔道具ということはわかっているが、こうやって武器を装備するとちょっと心強く感じるから不思議だ。
もっとも、僕がナイフを振り回したところで、大した戦力にはならないのであろうが。
さて、これで準備も完了だ。
僕は馬車に乗り込む前に、父さまと母さまに向き直って言った。
「もう行くね」
「ああ」
「ええ、気を付けてね」
二人はそう言いながら、優しい笑顔で返してくれた。
どこかで反対されるかと思ったけど、結局二人は僕のやりたいことに反対することもなく背中を押してくれたのだ。
ふいに、僕の頭の中にこの村で過ごしてきた十五年のことが流れ、目頭が熱くなる。
それを隠すように僕は二人へ抱き着く。
どうやら僕は本当にこの二人をきちんと心の底から親だと思えていたんだ。
そんな事実に今更気づいたのが旅立つ日なんだから、人生ってままならないものだ。
「父さま、母さま。今まで……ありがとう」
「体に気を付けてがんばるんだぞ」
「つらくなったらいつでも帰ってきていいからね」
顔は見なかったけど、父さまと母さまの声も少し震えていたかもしれない。
それでも僕は出そうになった涙をぎゅっと目の奥に押し込むと、温もりから身を引き離し、勢いをつけて馬車に飛び乗った。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「「いってらっしゃい!」」
僕が手を振ると、ココが手綱を握り、馬がゆるりと歩き出した。
僕は見えなくなるまで村を見ていようかと思ったが、いつまでも引きずってられないと視線をまっすぐに戻した。
横を見るとちょっと心配そうな顔でココがこちらを見ている。
いけない。心配させるようじゃ旅の仲間失格だ。
「楽しみだね、ココ」
「うん。……うん! そうだね!」
「さあ行こう!」
「えぅ!」
ゴトゴトと馬車を揺らしながら僕たちの旅は始まった。
空は透き通るように青く、道はどこまでも続いている。
この旅が皆を驚かせる伝説の始まり!になったらいいなあ。