第十八話 踏み出した日
「ミュー。起きなさい」
僕の名前を呼ぶ声で意識が引き戻された。
なんでいちいち意識を失う必要があるんだろうとか、益体もないことを思いながら目を開けると、そこにいたのは母さまと父さまの姿。
僕が目を覚ましたことに安心したのか、二人ともほっとした表情だ。
特に、父さまなんかは目を赤くしていて、お仕事中のキリッとした顔から考えると見る影もない。
こんな表情の父さまを見るのは、ハナ達と泳ぎに行って川でおぼれかけた時と、その後風邪ひいた時と、他にもハナ達と村の外へ抜け出した時と、……僕が心配かけた時は大体そうだったね。
ということは僕は今心配かけてたわけだ。
「よかった目を覚まして。礼拝堂で倒れていたから何事かと思ったわ」
「ごめんなさい母さま」
「ミュー!!!!! よかったー!!!! 私が宴会に行っている間にミューが大変なことになっていたとしたら、私はもう……もう……」
「ごめん父さま。でも抱きつかないで。きついから。色んな意味で」
「アンナさん! 息子が反抗期だ!」
「あらあら。三歳くらいからあなたが抱きついていたら嫌そうな顔してたわよ?」
愕然とした表情でショックを受けている父さま。
極力馴染んでたつもりだったけど、母さまには僕が父さまのハグを嫌がっていたのはばれていたのか。
やれやれ。やっぱり母さまの目はごまかせないね。
と、そこで僕はようやく頭がはっきりしてきて、周りの様子を見まわす。
「っと、そうだ。ココは?」
「もう一人の子かい? それならそちらで寝ているぞ。明らかに問題なさそうだったから後回しにしてしまったけど……」
父さまの指し示す方を見ると、ココが丸まりながら、よだれを垂らしつつ眠っている。
それはもう幸せそうな顔で。「みかん……コーラ……こたつ……」とむにゃむにゃ言っており、誰が見ても問題はないだろう。
「この子に比べて、ミューはピクリともしないし、顔は青白いし、呼吸も浅いから本当に心配したのよ。それにしても、こんなところでどうして寝ていたの?」
その言葉に、僕は気絶する前の出来事を思い出す。
そうだ、まだ実感はないけど僕とココはヨミ様に――。
「ねえ、父さまと母さまにお話ししないといけないことがあるの」
「それはこのココちゃんにも関係あること?」
「うん」
「そう。じゃあさきにお風呂入ってから話しましょう。まだ、農業神の楽団の皆さんは宴会を続けているし、お茶でも淹れておくわ」
母さまはそう言いながら微笑んでくれたのだった。
それから小一時間後。
起こしたココは、こたつがないことにとても寂しそうな顔をしていたが、温かいシャワーを浴びるとすぐに機嫌を直してくれた。
僕と一緒にお風呂に入るとか言いだして一悶着あったが、それはまあ僕の中の紳士が頑張ってくれたので何もなかった。
いや、それなりの欲望はあるんだけど、両親が待っている状況で、一緒にお風呂でキャッキャウフフしてくるなんてどんな鋼のメンタルだという話だよ。
それがなかったら、……いやどのみち僕の中のヘタレが邪魔したかもしれない。
ココには羞恥心がないんだろうか。
それはともかく、お風呂に入ったココは見違えた。
ぼさぼさで灰色がかっていた髪は、エクストラを使った時の白熊な手足と同じく、雪原に溶け込めそうなほど真っ白でサラサラになったのだ。
今までどれだけ汚れていたのかという話だ。
聞けば、夏場とか暑い時に川とかで水浴びするくらいで石鹸とかは当然使っていないし、匂いがきつくなると楽団の人に匂い消しの粉を頭から被せられていたそうな。
元日本人としてはひどい扱いじゃないかと憤慨したのだが、この世界の旅暮らしでそこまで珍しい話ではないらしく、ココ本人があまり水を好きじゃないのもあって気にした様子もない。
毛じらみとか病気とか心配なところだけど、定期的に被せられていた匂い消しの粉はそういったことを予防できると父さまが教えてくれた。
ただ、見た感じ綺麗になっていないというだけ。
ともあれ、ココの顔つきは元から可愛らしいと思っていたけど、石鹸のいい匂いとかも加わって、一段ランクアップした感じだ。
ココの方は、僕のことをあんまり異性として気にしていないみたいだけど、僕の方は急にドキドキしてきた。
まあそれは置いておいて。
「お待たせ」
「うん。顔色もよくなったわね。あったかいお茶でも飲みなさい」
そんなわけで僕とココは、父さまと母さまの待つ部屋でこうやって向かい合っている。
暖炉の火がチロチロと燃え、僕たち4人を温かく照らし出している。
この部屋はヨミ様の部屋と同じくらいの広さではあるが、物が少ないのと、観葉植物が飾られたりしてお洒落にしているせいで広く感じる。
今度ヨミ様の部屋に行ったらお片付けしてあげようと密かに胸に誓う僕であった。
すっかりと夜も更けているが、遠くの方から宴会がまだ続いている音が聞こえてくる。
普段はもう寝ている時間ではあるが、ここからが今日の佳境だ。
「ココちゃん、だったかな? その耳、獣人かい?」
「えぅ……。そうです……」
そう切り出した父さまの言葉に、ココが委縮するように頷いた。
ココは楽団で悪い扱いをされていたせいか、自分の種族についてコンプレックスがあるようだ。
せっかくかわいい耳が付いているんだから、そこはもっと自信を持ってもらえるようにフォローしないと。
「父さまも獣人に対して思うところがあったりするの?」
「うん? いや、別にないな。獣人を魔族と言う者もいるが、そんなことを言ったらエルフもホビットも亜人と呼ばれていたからな。エルフの里にはよく獣人の行商人も来ていたから懐かしいなとしか思わないよ」
父さまの説明によると、魔族も亜人も蔑称的な意味合いが含まれるらしく、知性ある二足歩行の生物は全て人間と呼ぶのが最近の風潮らしい。
その中に、獣人やエルフ、ホビット、ドワーフ、ヒトという個別の種族が含まれるとか。
もっと言うと、エルフの中には、ヒトを耳なしとか呼んで馬鹿にする者もいるので、お互い様なところはあるらしいが。
「まあ、獣人に関しては、遥か昔に大陸一つを支配した邪教で中心戦力となっていたという伝説が差別の大きな原因になっているのだがね。歴史書にも載っていない、事実かも怪しい言い伝えで差別するとは、理解に苦しむところだよ」
「……そうなんだー」
それってヨミ様の教団のことじゃないだろうか、ということは胸にしまっておく。
もしそうだとしても、ヨミ様の話を信じる限りは邪教でもないし、ヨミ様自身が悪いわけでもないだろう。
それに今さら言っても仕方のないことだろうし。
それに、ヨミ様のことだから、獣人のことをスカウトしていたのも、戦力ではなく、ただ単に可愛いからと思っていた可能性が高い。
父さまはほほ笑みながらココに話しかける。
「ミューと遊んでくれていたようでありがとう。ミューも最近楽しそうにしていたから私としても喜ばしい限りだよ」
「いえ、私もミューが友達になってくれて、とってもとっても嬉しかった、です」
父さまの言葉にたどたどしい口調でかしこまるココ。
父さまと母さまも最近楽団のおもてなしで忙しそうだったから、ココのことを詳しく説明していなかったけど、そんなに僕は楽しそうにしていたんだ。
簡単な挨拶が終わったところで、父さまは「さて」とこちらに向き直った。
「それで、話したいことというのは?」
「えーっと……」
何から言えばいいのだろうか。ヨミ様のことを話しても大丈夫だろうか?
旅に出ることを許してくれるだろうか。
よく考えると、女の子2人きりで行くなんておかしいかな。
もし、反対されたら――。
そんなことが頭の中で渦を巻いて、口から出て行かず悩んでいると、ココがあっさりと言った。
「さっき私とミューが神様に呼ばれて、マエストールとコンマスになったの。それで、2人で旅に出て、歌ったり踊ったりしたいの」
だよね?って顔でこっちを見るココ。
またも先に言われてしまった。
その言葉を聞いた両親は、当然ながらも驚いた顔になる。
「ちょっと待て。旅に出るのはともかく、マエストールにコンマス? 神様? どういう事だ?」
そりゃそうだ。事実を簡潔に言いすぎて、父さまは理解が追いついていない様子。
説明はするけれど、その前に証拠を見せておこう。
確か、アルスミサを使わない時でもあの印は出せると言っていたような。
どうしたらいいのかわからないが、とりあえず「出ろー!」って念じながら額に集中してみた。
すると、額がほんのりとあったかくなった気がする。
その途端、父さまがガタンと席を立ちあがって、こちらに近寄ってきた。
「これは……!?」
そういいながら僕の額を凝視する父さま。
うん、顔が近い! しかも、なんで顎くいってするの!
「ミューが困ってるから手を放しなさい」
「ああ、すまない。それで、アンナ。どう思う」
「間違いないわ。神と直接契約した印ね」
「やはりか」
驚いた顔ながらもお互いの意見に頷く父さまと母さま。
納得してもらったところで、僕は先ほどの契約の顛末を説明した。
もちろん、僕の転生話は抜いているし、ヨミ様の経歴や生活はかなり美化させてもらったけど。
元邪神扱いで、現六畳住まいの零落女神なんて説明しにくすぎる。
「まだ肩書のない神様というわけか」
「信じてくれる?」
「ああ。最近はあまり聞かないが、信者が全滅したり、信者が神の意向に沿わない行動をとったことで、全く新しいマエストールを選んだ神の話は聞いたことがある」
ヨミ様の場合は正に前者だね。
また、神様に人格があったら、好き勝手する信者を見限ることもあるのだろう。
信仰力がなくなってしまうので、なかなか大変な決断になるだろうとは思うけど。
父さまはお茶をすすると、ほうっと息を吐いた。
「それで、二人はそれぞれの夢と神様のために旅に出たいというわけだね」
「うん」
「前にも言ったとおり、私はミューが旅に出たいというなら止めるつもりはない」
そう言いながら、目をすっと細めて僕の目を見据える父さま。
「そして、前にも聞いたことを問おう。――その旅は命を賭す覚悟があるものかい?」
その言葉に、ココは不安そうな顔で僕の方を見た。
そんな顔をしなくていいよ。今回は、揺るがない。
なんて言ったって、神様にもう誓っちゃったしね。
「――僕は夢のために旅に出る。死にたくはないけど……夢をあきらめて生きるなんて嫌だ。例え失敗するかもしれなくても、僕は行くよ」
その言葉を聞くと、父さまはふっと微笑んだ。
「わかった。それならミューは自分の行きたい道を行くといい。親にできるのは、伸ばされた手を掴むだけだ。行きたくない方向に引くことはないさ」
普段あんなに過保護な父さまの口から出たとは思えないセリフ。
親としての覚悟がそこにはあった。
父さまの言葉に、母さまも涙ぐみながらもうなずいてくれている。
僕はその二人を見て、この人たちの子供に生まれ変わって本当によかったと思った。
これで、心置きなく行ける。
僕はやっとこの世界に生まれ変わって一歩を踏み出したと思えるのだった。
ありがとう。今、言うと泣きそうになるかもしれないから、出発までには絶対に伝えるよ。
父さまは微笑むと手をパンと叩いた。
「さて、出発するなら早い方がいいんだろう。明日には出発すべきだな」
「もうすぐ一神様の日だし、神事の手伝いだけでもしていってからの方がいいんじゃない?」
「いや。もうお前は天空教の見習いじゃないんだ。ぐずぐずしていると出にくくなるぞ。準備してきなさい。それとココちゃん。ちょっと話があるから残ってて」
部屋を出て行こうとした僕にナチュラルについて来ようとしたココを呼び止める父さま。
一体何の話があるんだろう?
僕も話を聞こうかと足を止めると、父さまはそれを手で制した。
「ミューは部屋に戻っていいよ。ココちゃんの身分についての話がちょっとあるだけだよ。一応は農業神の楽団の預かりになっているから、旅に出るならそこらへんのことを片付けないといけないだろ?」
「それだったら僕も――」
「ココちゃんの身の上にも絡むから席を離しておきなさい。あまり女の子の個人情報を知りたがるものじゃないよ。それにミューに知ってほしいことなら後でココちゃんが話してくれるさ。なあココちゃん?」
「えぅ? うん、ミューになら話すよ」
そんなもんか。まあ、あの団長さんが絡むならあまり愉快な話にはならなそうだ。
僕の転生話みたいにココにも知られたくない話があるかもしれないよね。
この尊敬すべき両親がやることなら、きっと悪いようにはならないのだろう。
そう納得して、僕はそのまま部屋を出ることにした。
さて、もう夜は遅いけど準備することはまだまだあるぞ!