第十六話 女神降臨と新たな力
「ミュー! 起きて!」
僕の名を呼ぶよく通る声と、激しい振動で僕の意識は急激に引き戻された。
なんだか懐かしいような夢を見ていた気がするが、頭が急激にシェイクされたせいで全部吹っ飛んでしまった。
「ミュー! ミュー!」
「ココ。起きたから。これ以上揺すられると吐きそうだからやめて」
「えぅ!? 目が覚めてよかったよ~」
寝そべった僕の肩を激しく揺すっていたココは、僕の声に安心したように、僕にしがみつきながらえぐえぐと泣いている。
僕は安心させるようにココの頭を撫でながら、上体を起こし、周囲の様子をうかがった。
そこは不思議としか言いようがない空間だった。
何もない、ただただ黒いとしか言いようがない。しかし、黒くはあるが暗いわけではない。
なぜならこうして僕にしがみついているココの姿と、それを撫でる自分の手がくっきりはっきりと見えているのだ。
どこからどのような光源をあてればこんな見え方になるか予想もつかない。
そして、先ほどまでは礼拝室でココと演奏を楽しんでいたはずだが、いつの間にこんなところに来たのかもわからない。
チンプンカンプンの分からない尽くしだ。
「くっくっく。混乱してるようじゃのう。地上の民は矮小でかわいいのう」
そんな僕の混乱を読み取ったかのように、どこからともなく声が聞こえてきた。
それは覚え違いでなければ、ここに来る直前に聞こえてきた声と一致しているように思えた。
僕は突如として聞こえてきた声に警戒しつつも、誰何の声をあげる。
「誰?」
「人に名前を聞くときは自分から……と言いたいところじゃが、お主らのことはよく知っておる。ミューハルト・ループ。そして、ココ・ウナー」
僕の声に応えた。少なくとも幻聴の類ではないようだ。
そして、その声は僕だけに聞こえる声というわけではないようで、いきなり名前を呼ばれ、ビクッと震えるココ。
僕はなけなしの勇気を振り絞って、精いっぱい虚勢を張りながら言う。
「人違いじゃないみたいだけど、そういうあなたは誰ですか? 解放してくれるなら答えてくれなくてもいいですけど」
「ほうほうほう。内心怯えておるくせに立派じゃのう。かわいいのう。そこなココを守るためというのもポイントが高いぞ。よかろう。ならば応えよう!」
その声とともに、僕らの真正面に突如として一人の姿が現れた!
「よく聞け小さき民草よ! そして我が姿をとくと見よ! かつて世界を席巻せし神が一柱。ヨミ・ベルベット・ルーンルーン・トリックスターとは我のことよ!」
背景が真っ黒なのは変わらないが、突如七色のレーザービームがどこからともなく飛び交い、銀色の紙吹雪が舞い散り、ドライスモークのような白煙が足元を漂う。
そして、ご丁寧なファンファーレ鳴り響く空間に表れたのは一人の少女だった。
並んでみたら僕とそんなに差はないだろう幼い姿。
その身にはビビッドトーンの目に痛い生地に加え、ラメやアクセサリーで飾り付けられた緩やかな着物を纏っている。
ただし着物は着物でも、方向性としては、十二単とか花魁とかああいった豪奢な感じだ。
そして、地面にまで届きそうな、ピンクダイヤモンドのような色と輝きをもつ髪をなびかせている。
とても現実ではありえない色味なのに、それを自然と感じさせてしまうのはその美貌。
長いまつ毛も、白い肌も、宝石の様な瞳も、美形は父親で見慣れている僕でさえ息を飲むほどだ。
背丈相応の幼い顔つきにも関わらず、傾国の美女となることが約束されているような、いや、既にそうであると思えるような危うい妖艶さをたたえている。
かと思えば、こちらを見てニィと笑った途端、無条件に心を許してしまいそうなあどけなさが顔をのぞかせる。
その芸術品がそのまま動き出したような姿は、まさに神降臨を地で行くものだった。
さっきまで怯えていたココも魂を抜かれたかのような表情でその姿を見つめている。
僕もただその姿をぼんやりと眺め続けたい感情に襲われていたが、首を一振りすると、先ほどとはまた違う勇気を奮いながら話しかける。
「神様……なのですか? ヨミ・ベルベット……ええっと――」
「よいよい。特別にヨミ様と呼ぶことを許そう」
「あ、ありがとうございます。ヨミ様。それで、ここに僕らを連れてきたのはヨミ様なのですか? ここは……」
「おおっと動くでないぞ! ここは神の座。うかつに動くと危ないぞ?」
「えぅ!?」
そろそろと動き始めていたココが、ヨミ様の声にまた体をビクッと震わせると、僕にしがみついた状態で動きを止めた。
あんまりしがみつくと背中にココの柔らかい感覚が伝わってくるのでちょっと困る。
いつもフードとマントを着ているのでよく分からなかったけど、ココって意外と――。
「む。動いてはいけないと言ったが、我の神の座でピンク色のオーラを出すでない。ピンクなのは我の髪のだけで十分じゃ」
「ごめんなさい。あの、それで僕らはなぜここに……?」
「そうじゃったな。よし。単刀直入に言うぞ。お主ら二人を、我に直々に仕えることを許すと言うために呼んだのじゃ」
「仕える……直々に?」
出てきたのも唐突なら言ってきた言葉も唐突で、僕はそれを理解するのに少し時間がかかった。
神に直々に仕えるというのは、つまりは神との契約であるアパスルライツを直接結ぶ第一の座。マエストールになることを意味するのではなかったか。
僕の父さまや、ココのところの団長でさえもなれていない存在である。
僕も授業や噂でしか聞いたことはないが、神に直接仕えるマエストールが行うアルスミサは、その力も段違いだという。
曰く、天空神のマエストールが歌えば、いかなる悪魔も近寄れず、島を覆う嵐を吹き払った。
曰く、農業神のマエストールが歌えば、ひび割れ汚染された大地が草花で埋め尽くされた。
曰く、時間神のマエストールが歌えば、時の流れさえ変えることができる。
曰く、軍神のマエストールが歌えば、その力はドラゴンでさえも単騎で圧倒する。
真偽が怪しいものもあるが、その力は普通のプレイヤーが行うアルスミサを圧倒的に上回ることは間違いないだろう。
それは異世界生活憧れの魔法使いに近いのではないか。
「どうじゃ? 仕えるのじゃろう?」
「もちろ……はっ!」
そこで慌てて言葉をとめる。
思い出すのは前世の記憶。
あっさり騙されて生まれ変わるに至った原因。
こんなうまい話があるのかという疑問が脳裏をよぎる。
この謎空間と湧き上がる畏敬の気持ちから、目の前の存在が超常のものであることは疑わないが、この取引に何か裏があるのではないだろうか。
ヨミ様は急に黙った僕の様子を訝るように見つめてくる。
「どうしたのじゃ? なんぞ問題でもあるのか?」
「あの、お誘いいただいたのはありがたいのですが、なんで僕みたいな子供をわざわざマエストールに? ヨミ様の今までのマエストールはどうされたのですか?」
「む。ちっこいのに疑りぶかいのう。まあよい。お主らと契約しようとしているのは、お主らの才能に惚れたのじゃ。我はお主らの歌ったような面白い歌が大好きなのじゃ!」
「それはありがとうございます。でも今までのマエストールは……?」
「我は今、マエストールはおらんでのう。だから前任とかは気にする必要はない。神は嘘はつかん」
そういいながら体型通りの平たい胸をふんぞり返るようにして張る。
今の話のどこに偉ぶる要素があったのかはわからないけど、妙に自身満々な態度だ。
まあ、本当に嘘つかないかは分からないけど、目の前から溢れ出るオーラははっきりとわかるくらい本物の神々しさ。
少なくとも悪い大人が騙そうとしているようには思えない。思えないが……。
「僕がマエストールになったとして、なんか条件とか代償とかいりません?」
「条件や代償? お主が歌を歌ったら、我はその歌に応じて力を貸してやるくらいじゃ。他にどんな条件があるというんじゃ」
「寿命が減るとか徐々に感覚が奪われていくとか」
「こわっ! そんなんいらんわ! そんなもんとってどうするんじゃ!」
ヨミ様に軽く引かれてしまった。
ココの方を見ると、「そんな話聞いたことないよ」と小声で言われてしまった。
あれー。僕の予想ってことごとく外れるな。
「強いて言えば、我のマエストールになるわけだから、当然他やつらのマエストールやコンマスやプレイヤーにはなれん。お主が着ておるのは天空神のジジイのとこの衣装のようじゃが、それは諦めてもらうぞ。そっちのケモ耳も農業神のアホのところのプレイヤーは諦めてもう」
「天空教にそこまで執着はないけど……」
「私はどっちみちぷれいやーにはしてもらえないと思うし」
僕とココはあっさりとそれぞれの信仰を放棄するようなことを言った。
薄情に思えるけど、僕の精神のベースは日本人。
なんでもまぜこぜで緩い信仰心は、そうそう変わりはしないのだ。
それにしても、ジジイにアホって口の悪い幼女神だなあ。
さて、口にした天空教に未練がないという言葉は事実だ。
だが、そこでよぎるのは両親の顔。
そこに考えが至った僕に、表情に出てしまったのか、ヨミ様がいぶかしげにうかがってくる。
「なんじゃ。まだなんかあるのか?」
「ええと。天空教に執着はないんですけど、両親が天空教の神父とシスターで、僕もずっとその見習いをしてきたから、その期待を裏切るのは申し訳ないなと……」
「ばかもの!!」
基本的に声が大きいヨミ様だが、より一段と大きい声で怒鳴られた。
しがみついていたココがまたビクッと震えた。
「お主の夢はなんじゃ? 両親を安心させることか?」
「夢ではないけど、両親は大事です」
「子供のやりたいことを妨げて何が親か! そしてそれを気にして諦めるとは何が夢か! お主らの夢はなんじゃ。言ってみろ!」
ヨミ様の剣幕に僕とココは顔を見合わせる。
この世界に来てからほとんど口にしていないし、誰からも理解されない夢。
それは、確かに胸の奥にあった。
いつの間にか、だった15年足らずでしまいこんでしまった夢。
僕の悩みをよそに、ココは決意したような顔でヨミ様に向かって言った。
「いつか私の故郷に行きたい!」
「それだけか? まだ夢の気配がするぞ。とっとと言え! 言うだけならタダじゃ!」
「それと……私、歌いたい! みんなに喜んでもらえるような歌をみんなに聞かせたい!」
「よし! よく言った! ミューハルト。お主はどうじゃ? 女の子に先に言われて自分はだんまりか?」
ヨミ様は挑発するように僕に言う。
その挑発に乗るほどの意地はない。でも、ココの叫びに胸が震えた。
きっと、ここで言わなきゃ僕の夢は一生叶わない。そう、感じた。
「僕は……」
「うん?」
「僕はアイドルプロデューサーになりたい」
「なんじゃそれは?」
こてんと首をかしげるヨミ様。
さすがに神様と言っても知らないことはあるようだ。
僕は説明をする。
「かわいく歌って踊って皆が夢中になって楽しくなれる女の子、アイドルを、世間に送り出す仕事です」
「なるほどのう。人間の身で偶像〈アイドル〉を名乗るのはおこがましいところじゃ。が、我に仕える身なれば、そんじょそこらの神と比べたらよっぽどアイドルじゃ! いいじゃろう。アイドルを存分に送り出すといい!」
ヨミ様は僕らを見据えて、今日一番の笑顔で言った。
この世界に来てから初めてまともに夢を語った気がするが、それを無条件に肯定されたことで、こそばゆいような嬉しいような不思議な気持ちになる。
なんだこれ、消えかけていた夢がしっかり形を得たような。
ヨミ様は僕とココをしっかりと見つめると、嬉しそうに言った。
「最高じゃ! 我の見込んだ通りじゃ! よし、我と契約しろ。お主らはその大きな夢を燃やし続けるのじゃ! 我はその夢に力を与えよう! 我が名は夢神ヨミ・ベルベット・ルーンルーン・トリックスター。お主らの夢を護るものじゃ」
夢。そう、僕らは夢に向かって踏み出しているんだ。
僕とココが大きくうなずくと、ヨミ様は僕らに指をぴっと向けた。
その指先から光線が飛び出たかと思うと、一直線にこちらに伸びてくる。
僕には額に。ココには胸に。
痛みはなかった。ただ、温かさと言葉にできない確かな繋がりを目の前のヨミ様に感じた。
「ミュー。おでこになんか模様が浮かんでいる」
「そうなの?」
当然ながら自分では見えない。自分のおでこをこすってみるけど、とくに何の違和感もなかった。
ココははっとしたような顔で、何かに気付くと、一気に自分に服をまくり上げた。
そして目に飛び込んできたのは、胸の中央に浮かび上がる翼をかたどったような光る幾何学模様。そして、その左右に並ぶ、服をまくった勢いで上下に揺れる、柔らかそうなふくらみと、その頂上で存在感を主張する、褐色の肌ときれいなコントラストで浮かび上がる桜色の……ってわわっ!!
「見て見て! 私の胸にもミューと同じ模様が出てる! おそろいだね!」
「隠してココ! 見てない、見てないよ!」
「えぅ? ほら、おそろいだよ! ねぇってば!」
慌てて自分で自分の目を隠してみてないアピールをするが、ココはそんな僕の手をグイグイ引っ張って見せようとしてくる。
これは見ていいのかな? いいのかな? 怒られない? 捕まらない?
僕がそんな激しい葛藤にさいなまれていると。
「これこれ。さっきも言ったが、人んちの神の座でいちゃつくでない」
当然ながらまだ目の前にいたヨミ様に冷静につっこまれてしまった。
その表情はどこか呆れたような半笑い。
色々と恥ずかしくなって、自分で顔が真っ赤になるのが分かる。
「あっ、模様が消えた」
「それはマエストール、コンマスといった神と直接契約を交わしたものの印じゃ。アルスミサをする時や本人の意思でまた浮かから安心せい。マエストールは一人しか選べんから、ミューハルトをマエストール、ココをコンマスにしたが問題なかろう?」
「うん。ミューの方がすごいんだから、ミューがマエストールでいいよ!」
そう言うとココの方からパサッという衣擦れの音が聞こえてきたので、僕は恐る恐るココの方を見る。
そこにはいつもの姿のココ。
ほっとしたような残念なような……。
それにしても僕がマエストールか。勢いでまたやっちゃった気がするけど、なんかすごいことになったなあ。
「さて、無事契約も結べたことだし。簡単にいくつか説明しておこうかの。我は寛大な神じゃから信者には優しいぞ」
別に後悔はしないけど、説明することがあるなら事前に教えてほしかったという言葉は飲み込んでおくことにする。
ヨミ様が指をパチンと鳴らすと、真っ黒だった周囲が急に明るくなった。
「こ、これは……!」
「これが、我が神の座の全貌じゃ。ようこそ、我が信者、いや我が子供達よ」
そこには、全く予想もしていない光景が広がっていた。