第一話 生まれ変わって、異世界
皆さんは物心ついたときがいつか覚えているでしょうか?
4歳とか5歳くらいとかよく聞いたことがある気がする。
遅い子だともっと後になる子もいるらしい。
とはいえ、物心ついた瞬間まで覚えている人は少ないだろう。
その点、僕の場合は、はっきり思い出せる。
さっき。つい先ほどだ。
歯車が突然噛み合ったかのようにはっきりと自覚した。
それと同時に「なぜ」という気持ちが思い起こされる。
だって、記憶が正しければ日本人男性20歳だったはずの自分が乳幼児になっているのだから。
これはあれだ。
前世で死んだから生まれ変わったんだ。
近所の坊さんが言ってたとおり、輪廻転生って本当にあるんだな。
僕はぼんやりとした頭でそう考えたのだった。
――――――――――――――――
ここはベッドが置かれた寝室。
僕はまだまだぼんやりとした頭で周囲を見回してみる。
さほど広くはない部屋には、やや大き目な両親のベッドと、自分が寝ている赤子用の柵がついたベッドが並べられている。
(転生かー。物心つくまでその自覚がないっていうのは意外だったかな。脳みそがある程度成長しないとそういうことを考えられないのか。よく考えると転生した時の記憶ってどこから来るんだろう)
そんなことに思いを馳せるが、どうせ考えてもわからないし、難しいことを考えられるほどの知識もないのだからと、すぐに考えることをやめた。
そして、次に考えたのは自分の年齢のこと。
ついさっきこうして自分が転生しているんだと自覚はしたものの、この体に生まれてから今までの記憶がぼんやりしているせいではっきり思い出せない。
いや、今まで見たものの記憶自体はあるのだが、まるでお酒で酩酊した時みたいに断片的で繋がりがはっきりしない。
とりあえず起きようと思ってぐっと力を――入らない。
手をついて体をおこそうとしても――できない。
「ふにゅあ~~~」
誰か呼ぼうと声を出そうとしたけど、出てくるのはとてもかわいらしい赤ん坊のぐずる声だった。
何歳かはわからないけど、とりあえず自分で動くこともままならない赤ん坊ということは分かった。分かったのはいいけどこれは困ったと眉を寄せる。
そうこうしていると、部屋の外から優しい雰囲気の女性の声が聞こえてきたのだった。
「あらあら、どうしたの?」
そう言いながら、パタパタと音を立てて他の部屋から入ってきたのは一人の人物。
それは見た目が中学生ぐらいの小柄な女性だった。
ふわふわした栗色の髪を後ろでまとめ、くりくりとした瞳が全体的に柔らかな印象を生み出しており、愛嬌のあるかわいらしい容貌だ。
普通だったら赤子でからすれば年の離れたお姉ちゃんかな、というくらいの見た目なのだが、その女性の顔を見た瞬間、反射的に安堵の笑みを浮かべる赤ん坊。
産まれてから今までの断片的な記憶でもしっかり覚えている。
この人は僕の、今この世界における実の母親だ。
これが前世なら、こんなロリィのが母親なんて犯罪の匂いがするとでも思ったところなのだろうが、今改めてその顔をまじまじと見ると、ある特徴が目についてそれどころではない。
「おなかでもすいたのかな?」
「いじゃぶー(いや、そうじゃないです)」
きちんと返事したつもりだったのだが口から洩れるのは、言葉になってない音。
しかし、小さな母はうれしそうに目を細めて、僕をそっと抱きかかえた。
小さな体でもまごうことなき母親。
その抱きかかえ方は安心を感じられるほど堂に入っており、体を預けることになんの躊躇いもない。
まあ、躊躇おうが赤子に抵抗する術はないのだけど。
「今日のミューくんはおしゃべりですねー」
そういいながら母は赤子をかかえたまま部屋を出て行く。
(「ミューくん」ね。それが僕の今世での名前か)
そう独り言ちる。
外人風になってしまった名前も大事だが、それよりも重要なのは、君付けだから僕の性別は男なんだろうということだ。
前世でも男だったこともあり、ただでさえ大変そうな転生に性別変換までくっつかなくてよかったとホッと一息。
確かに、美少女にだったら生まれ変わりたいという男が一定層いるが、少なくとも自分はうまくやっていける自信はないと、まだふにゃふにゃした首を振る。
(くしゃみをしたり水をかぶるだけで変身するくらいのお手軽さだったら考えるけども)
そんなくだらないことを考えながら母の腕の中に抱かれて移動する。
そう、今はそんなことよりも、母の腕の中ということが重要だと思い直す。
生まれ変わる前の自分だったら、こんな中学生くらいの見た目の女の子に抱きしめられたら、変な汗を流しながら目をそらしただろうが、今は血の繋がりのなせる技か、笑顔を浮かべて顔をじっと見つめることができる。
(転生万歳と言いたいところだけど、この人の顔は……)
僕は母の顔のある特徴に軽く混乱していたのだが、そんな自分の思考を母が分かるはずもなく、母に抱きかかえられて移動した先は本棚が並べられた書斎と思しき部屋。
その部屋はそこまでの広さはないが、壁に作り付けられた本棚には豪華な装丁の本がずらっと並べられている。
そして、本棚の前にはしっかりとした作りの机と椅子が一つずつ置かれており、そこに一人の男性が座って、何か書き物をしているところだった。
(この人も誰かわかる。僕の父親だ)
そう判断したところで、それが正解だと教えてくれるように母がその男性に話しかけた。
「あなた」
母にそう声をかけられると、その男性、父は部屋に入ってきた妻と息子の方に振り向き、満面の笑顔で立ち上がった。
近づいてくる父の姿は、超を5,6個つけてもいいくらいのイケメンだった。
西洋風のほりの深い顔立ちはハリウッドスターもかくやというレベルであり、サラサラ金髪ヘアーと空色の瞳はそれぞれが芸術品のよう。
身長もかなり高く、2m前後はあるだろう。
僕個人の理想の男性像としてはもっと筋肉がついていた方がいいと思うけど、別に痩せぎすというわけではなく、スリムか細マッチョといったところ。
つまりはパーフェクトだ。
前述のとおり、中学生くらいにしか見えない母に手を出したことを思うと通報ものであるが、母の顔と同様にある特徴が目に付いてそれどころではない。
そんな父の笑顔はイケメンなのに残念なくらいデレデレに崩れきって、まごうことなき親馬鹿を体現している。
仕事中のようだったが、先ほどまで握っていたペンを放り出し、低く、だがよく通る声で言った。
「どうしたんだいマイハニー。私たちの天使ちゃんがどうかしたのかい?」
(おおう、鳥肌が立ちそう。家族だけしかいないと思って全開だな、父よ)
「あなた、この子が笑って何か言ってたの。すごいかわいくってあなたにも聞かせたかったわ」
(母もそんなことで僕を抱えてわざわざ連れてきたの?)
呆れそうになったが、赤ちゃんがいる家ってこんなもんなのかもしれないと思い直すことにする。
少なくとも自分の両親の仲がいいというのは悪いことではあるまい。
前世で独身だった僕には縁遠いせかいではあるけど。
「そっか。それは私も聞きたいなあ。ほらミュー、パパだよ。パ・パ」
そう言いながら、父が話しかけてきてくる。
声までかっこいい父のパーフェクトっぷりに驚くが、某ビル〇イツさんの年収に嫉妬しないみたいに、前世の自分の冴えない容貌と張り合う気は特に起こらない。
むしろこの父が実の親だったら、今世での自分のスペックにも期待が持てようというものだ。
(それにしても父の言葉にノってあげたがいいんだろうか)
何が原因でこういう事態になって、今後どうなっていくかはわからないとはいえ、恐らくこれから末永くお付き合いするのだし、当分は文字通りおんぶに抱っこなんだから、家族サービスのひとつもしてあげるべきだろうという結論に至り、覚悟を決めて、彼をパパと呼ぶことする。
「ミャミャ」
しかし、口からこぼれ出たのは、またもよく分からない言葉。
新しい家族に向かって初めて語りかける自分の言葉は、パパとママのどっちを先に言おうかなーという迷いと、そもそもうまく喋れなかったことも相まった結果だった。
気恥ずかしさで顔が赤くなりそうだったが、そんなことはお構いなしに両親の顔はみるみる驚きと喜びに彩られていき、興奮したようにお互いを見合わせて言う。
「あなた! 今『ママ』って言ったわ!」
「いや、おそらく『パパ』って言ったんだと思うぞ!」
「あなた、残念だけど最初に言った単語はママで間違いないわ」
「君こそ強情張らずに素直に認めたらどうだい? 今のはパパって言いたがった言葉なんだよ?」
前世の自分だったら壁のひとつでも殴りたくなるような甘ったるい光景だったが、自分の両親だと思うと不思議と腹も立たず、むしろ微笑ましい。
(そんなことよりも二人の顔はやっぱり……。ということは、ここって――)
そこまで考えたところで、両親の口から決定的な言葉が飛び出した。
「ほら見てあなた。笑っているわ。ピンと尖った耳があなたにそっくり。将来はあなたみたいにエルフよりのハンサムになるのかしらね?」
「いや、耳が尖っているのは君も同じだろ? それよりちっちゃさ具合が君にそっくりだよ。きっと君みたいにかわいらしいホビット寄りのラブリーな感じになるよ」
エルフとホビット。
ある意味、聞きなれた言葉に納得するミュー。
二人の普通ではありえない長い耳やコスプレかと思うような民族衣装風の服装はそういうことだったらしい。
(どうやら僕は異世界に生まれ変わったみたいです)