これからする話
まず、これだけは最初に言っておかなければならない。
これは、僕が〈心〉を消し去るまでの物語であるということを。
喜怒哀楽を失えば、人はどうなってしまうのだろう。昔から僕はそんなことを考えていた。いや、昔からという言い方は少々語弊があるかもしれない。昔といっても、僕が小学生だった頃の話だ。けれど、20歳を迎え成人になってしまった僕にとって、それはもう昔の話だ。
それは、小学6年生――卒業を目前にした3月のある日のことだった。
「きみさ」
少女が言った。
「自分の周りにいる人間のこと、ばかにしてるでしょ」
顔も名前も思い出せないけれど、声だけは今でも記憶の中にしっかりと佇んでいる。子供――それも女の子の声というものは、なんとなく鼻から出しているような妙に甲高い音で、僕はそんな音があまり好きではなかった。彼女の声も、その部類の音をしていた。だからきっと覚えてしまっているのだろう。あるいは忘れられないだけなのかもしれない。もっと言うと、あの耳障りでしかなかった少女の声を、忘れたくないのかもしれない。
ばかにしてるでしょ。
不思議とそれは、僕の胸の中にちょうどいい居場所を見つけたかのように抵抗もなくすっと入ってきた。
「そうかもしれない」
身体の芯まで冷やそうとしている夕日を背景に、僕は彼女を視界に入れた。僕にとってのその返事は、肯定でも否定でもなかった。
彼女がどんな表情をしているのかなんてことはよく見えなかったけれど、きっと笑っていたのだと思う。仲間を見つけた。きっと、そんな風に。そのとき僕の相本をすり抜けた微かな風に乗った彼女の声が、そう言っていた。
「テストの点数だとか勝ち負けだとか、そんなことで一喜一憂している意味が、僕にはわからない」
「私にもわからない」
何がそんなに嬉しいのか。何がそんなに悔しいのか。僕にはそれがわからなかった。情緒が不安定であるというわけではない。鈍感。ただ単にそれが行き過ぎているだけなのだと思う。嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい。そういった感覚や感情に、僕自身が気づいていないだけなのだと思う。
「わからないなりに考えてみたんだけど」
彼女が言った。
「人間の感情って、喜怒哀楽でできているなんて言うでしょ? その喜怒哀楽を失ってしまった人間は、きっと誰よりも強く生きられる気がするんだよね」
わからないなりに考えてそういう結論に至った彼女の表情は、背後にあるオレンジが生み出す影によって隠されてしまい、読み取ることができない。
きっと彼女と言葉を交わすのはこのときが初めてだ。こんな考え方をする人話したことがないし、そもそも僕には話せるだけの友人なんていう存在すらいない。彼女の言う「自分の周りの人間」を、まるで僕だけが外の世界にいるかのように見つめるだけだったのだから。その輪に入ろうなんて思わなかったし、友達がいないという状況がつらかったわけでもなかった。
むしろこのままでいいと思っていた。友達がいないから何だというのだろう。友達を持っていなければならないなんていうルールはどこにもないじゃないか。このままでもいいと僕が思っているのなら、それでいいじゃないか。変える必要は、どこにもないんだ。
「きみは、どう思う?」
僕はどう思うのだろう。話題を振られるとは思っていなかったから、僕は思わず、言葉を濁した。
「僕は将来、その答えを知ることになるから、今考える必要はないよ」
その答えを知ることになる。一体どんな根拠があってそんな言葉が出てきたのかは僕自身もわからない。けれど、咄嗟に出てきた言葉がそれだった。なんとなくそうなる気もしていたし、答えを知ることもなく死んでいくような気もしていた。どちらにせよ、今の僕にはどうでもいいことで、今それを考える必要はこれっぽっちもないと考えていた。
どういうわけか彼女が話しかけてきたのはその日だけで、それ以降は会話をするどころか学校で会うことすらなかった。背丈も大きくは変わらなかったし、お互いに敬語を使って話していたわけでもないから、同級生だと勝手に思っていたのだけれど、とにかく彼女は僕の前に現れなくなった。けれど、会いたいと思うわけではなかった。なにせ僕は、20歳になった今でさえ、彼女から投げられたあの質問の答えを見つけることができていないのだから。
思えばあの頃から、僕の未来は決まっていたのかもしれない。
* * *
今考えれば、の話だけれど、僕はひねくれていた。今もひねくれていることには変わりないのだけれど、僕は自分以外の人間はみんなばかだと思っていた。事あるごとに喜んだり悲しんだりするなんてばかげている、そう思っていたのだ。嬉しがったって悔しがったって、それはもう既に終わったことなのだから、ただの結果として受け入れるだけでいいじゃないか、と。
そんな性格だったから、もちろん周りからは「あいつは異常な人間だ」と認識されていたし、一方で僕はというと、「そう考える周囲の人間が異常なのだ」と認識していた。僕も彼らもばかみたいなことばかり考えていた。でも、子供の頃の思考っていうのは所詮その程度で、僕のように少しでも違う行動をしていたり思考を持っていたりする人がいると「あいつは変わっている」とレッテルを貼りたがる。子供という生物は、そして、学校という場所は、「違い」を認めない。周囲の人間と同じように過ごすことを強制してくる。だからきっと、彼らは普通であろうとした。普通であるためには、変わっているというレッテルを誰かに押しつけなければならなかった。
そしてただ、そいつらがそのレッテルを貼ろうとした相手が僕だった、というだけの話だ。
その計画は見事成功したようで、おかげさまで僕はいじめなるものの被害者になってしまったわけだ。子供の考えることは単純なようで、実はこの上なく残酷なのだと学んだ時代だった。
まあそんなことは今となってはどうだっていい。「人をばかにしたような目が気に入らない」と言われ、いじめられた過去なんてどうでもいい。ただそれは、的を射た言葉だったというだけの話だ。実際に彼らをばかにしていたのは事実だし、いじめられても仕方がないという感じだったのだから。
自分に向けられたいじめに対しては思いのほか楽観的にいられたのだけれど、やり方がそれはもうメジャーなものだった。まずは無視から始まって、それがいわゆる仲間はずれというやつにレベルアップしたというわけだ。
楽観的だったとはいえ一番きつかったのは、授業でグループを作らなければならなかったときだった。必ず僕は余りもの。グループをたらい回しにされ続けたあの時間は、とんでもなくつらいものがあった。
そのときになってようやく僕は気づいた。楽観的だった、というのは間違っていたのだと。これは完全に折れたな、とそのときに初めて理解できた。
それでも、彼らを見下すような思考が改善されるわけでもなく、それがよほど気に入らなかったのか、僕に対するいじめはエスカレートしていった。まあ、それに比例するように、僕の考え方も日に日にひねくれていくのだけれど。
仲間はずれの次に彼らがし始めたのは、僕の物を隠すということだった。これもまたありがちなやり方で、まずは上履き。その次に運動靴。そして他にも鉛筆だったり消しゴムだったり、僕のお気に入りの本だったり。酷いときは教科書やノートを隠され、僕が忘れ物をしたと扱われた。
いじめにはいじめられる側にも原因がある、なんて話をどこかで聞いたことがあるけれど、僕はそれを否定するつもりはない。むしろその通りだと頷く。簡単な話だ。
だって、「僕以外の人間はみんなクズだ。僕が一番賢いんだ」なんていう狂った考え方を持ち合わせていなければ、僕はもっともっと平和な小学校時代を過ごしていただろうから。
そうわかっていても未だに直そうとしない僕自身も、おそらくはもうどうしようもないどん底まで堕ちてしまっている。僕はわかっていたのだ。本当は昔から、とっくに気づいていた。
いじめが与える精神的ダメージがこんなにも大きなものだったのだ、ということは実際にいじめられて初めて気がついた。けれど、「他人をばかだと見下す僕自身が最も愚かなのだ」ということに関しては、もうずっと前から気づいていた。そこでこのくだらない性格を直せていたとしたら、僕はきっと、もっとましな人間になっていたと思う。まあ、そんなことを今さら嘆いたって現実が変わるわけではないのだけれど。
ここで幸運だった唯一のことは、「死んでしまおう」という考えが僕の頭の中に存在しなかったということだ。もしかすると思考の奥底にあったのかもしれないけれど、仮にそうだとしてもそれが表に出てこなかったという点においては、僕は幸せだったと思う。
* * *
死を選ばなかった、というよりは、そういう選択肢を持ち合わせていなかった僕だけれど、小学生の頃に受けたいじめのダメージは本当に大きかった。よくあんな状況の中で「死んでしまおう」と思わなかったものだな、と自分でも思う。当時の自分を褒めてやりたいくらいだ。
こういう経緯の中で僕は、自尊心の高い人間になってしまった。ならざるを得なかった、と言っても間違いではないかもしれない。自尊心を高く持つことで、そしてこれまで以上に他人を蔑むことで、自分自身というものを保とうとしていた。
中学生になってもいじめというものは消えなかった。むしろどんどんエスカレートしていった。まあ無理もない。同じ小学校に通っていたやつらが、また同じ空間にいるのだから。そいつらに僕の悪い話(ちなみに僕の短所を盛りに盛った、原形を留めていない話だ)ばかりを吹き込まれたやつらが、その話を鵜呑みにして僕を避け始めた。
そこまではいい。避けたいのなら好きなだけ避ければいい。そっちの方が僕も気が楽だから。だけど、人間という生き物は単純だから、みんなして僕をターゲットにいじめ始めたというわけだ。本当に、ばかなやつらだ。
中学生になると、ばかはばかなりに複雑なことを考え始める。その思考がいじめに向くと、もう止めようがない。仲間はずれ、無視する、物を隠す、なんていうレベルではない。いや、やっていることそのものは全然変わっていないのだけれど、今までのそれらに加えて、新たな技を身に付け始めた。
例えばそうだな。次の授業で使う教科書をそいつらが奪っていく。相手にするつもりは全くないのだけれど、教科書がないとやはり困るので、そいつらの後をつける。やつらは僕の教科書を持ったままトイレに駆け込み、「来られるものならここまで来てみろ」なんて、お前ら幼稚園生みたいだなと思わせる言動を僕に見せつける。やつらと僕の距離がある程度縮まったところで、彼らは僕のそれをトイレに向かって投げる。しかも女子トイレに、だ。こいつら、確実にばかだ。
「あー、投げる場所間違えた」とリーダー格の男子生徒が言う。けれどもその顔は、計画通りだと言っている。ばればれだ。
中にいる女子たちは、その投げられた教科書を拾う様子を一切見せる気配もなく、むしろ笑みを浮かべて、「男の教科書を女子トイレに投げるってどういうこと? 自分で拾いなさいよね」なんて言い出す始末だ。どういうこと? と言うくらいなら、こちらに向かって投げ返せばいいのに、と僕は思う。
結局は誰も拾ってくれないから僕自身が女子トイレに足を踏み入れなければならないわけで。まあ何が言いたいのかというと、問題はそこからだ、ということだ。
さっきも言ったように、拾ってくれる人が誰一人としていないのだから僕が行かざるを得ない。そして女子トイレの領域に一歩足を踏み入れたその直後、僕の後頭部に激痛が走る。蹴られたんだと理解できたのは、痛みを感じてから十数秒後――その時点で僕は逃げられない状況だった。
突然の激痛に膝を床につけてしまったと思えば、今度は背中に重いものが乗っかってきて、顔面から腹部、足のつま先まで床にべったりと密着させられる。激しく鈍い痛みが後頭部に留まって、そのうえ突然のしかかられた衝撃で口の中を切ってしまった。口の中が鉄の味で埋もれていく。自分の肉を食べているような気がして、気持ちの悪いことこの上ない。
この状況に頭の理解が追いつき始めた頃、生ぬるい水が僕の髪から肩のあたりまでをびしょびしょに濡らした。そして嗅いだこともない正体不明のとてつもなく強烈な匂いが僕の嗅覚を狂わせる。床の匂い、使い古された雑巾の匂い、溜まりに溜まった残飯の匂い。そして、どれほどの人間が使ってきたかもわからない便器の匂い。上から押さえつけられているせいで逃げることもできない。
ぐわんぐわんと鈍く響く、後頭部の痛み。このまま意識が飛んでしまえばどんなに楽だっただろう。けれど、意識を失ってしまいたいと思えば思うほど、僕の思考回路は活性化して、僕の見る世界もはっきりと見えた。
僕の上に乗ってケラケラと笑うそいつ。女子トイレに投げられた教科書をまるで汚物を触るかのように持ってそこから出てきた女子たちも、馬乗りにされている僕を見て愉快そうに微笑んでいる。こういう人間は、あれだ。自分より弱い人間をいじめることで優越感を得るようなやつなんだ。そしてそれは、最低な人間がすることなんだ。汚い水でびしょびしょにされた僕を見下して嘲笑うやつらも同じだ。
ほら見ろ。結局はどいつもこいつもばかじゃないか。僕自身がひねくれていることは自覚していたけれど、最もひねくれているのはこいつらの方だ。
負けたくなかった。この程度のやつらに負けてたまるもんか。たぶんこういう感情が、僕に死を選ばせなかったのだと思う。
でも。何も考えないようにしていた僕だけれど、それをずっと維持していくのは僕にとってはどうやら難しかったようで。
最悪だ。こんなやつらに一方的にやられるなんて最悪だ。そう思ったことは今でもよく覚えている。
そんないじめは、高校へ進むとなくなった。いや、なくなったという表現で片付けるのはよくないな。僕は同級生が誰もいない、隣町の高校を選んだのだ。だから僕はいじめられなくなった。
中学3年生になったときには、昼休みになると僕は必ず図書室へ行った。あんなやつらから逃げるような形になるのは気に入らなかったけれど、それでも何事もない生活がほしかった。前にも言ったように死という選択肢を持っていなかったのは、今となってはとても幸せなことだったけれど、やはり当時はあの状況から解放されたかったのだ。
まあそんな図書室での時間のおかげで、僕はやつらよりもずっといい高校に入学することができたのだけれど。同級生が誰もいない高校を選んだということは、こういうことだ。
この僕の選択が正しかったのか間違っていたのかは今でもわからないけれど、知り合い――それも僕をいじめていたやつらがいない環境というものは心地良かった。まああいつらは僕をいじめるのが愉しかったようだから、勉強なんてものに興味を示すことがなかったようだけれど。
けれどもやはり、高校生活というものは実にくだらないものだった。いじめられなくなったのはいいことだったのだけれど、周りのやつらはどうしてかばかしかいない。僕の思考がひねくれているからそう見えるだけかもしれないけれど、高校生になってもなおばかなやつらを見ることになるなんて思ってもみなかった。
何が言いたいかというと、まあこれまでの経緯からして僕は人と関わることを避けてきているわけだから、そんな僕を気持ち悪がって陰口をたたくやつが出たり、あからさまに僕を避けたりと、やはり僕の周りにいる人間は昔から本質は同じだったということだ。まあ、僕自身の本質が変わらないからっていうことでもあるのだろうけれど。
それでもやはり、僕が一番優れていて賢いのだという考え方を、僕は自分の中から消し去ることができなかった。たぶんこれが、僕がいつか〈心〉を捨てなければならない原因になるのだろう。
いや、捨てるというよりは、消去させなければならないと言った方が適切かもしれない。
捨てるのと消すのとでは、意味が全然違う。捨ててしまえば、その後に誰かが見つけて僕の落とし物として拾ってくるかもしれない。でも自らの手で消してしまえば、もう誰も見つけることはできないし僕のもとに戻ってくることもない。
おそらく、捨てようと思う前に消してしまおうという考えが出てきたのは、彼女の存在が最も大きかったからだろう。
これからする話は、僕と彼女の〈心〉の話だ。