エルドガリアによる弟子観察日誌
ちょい遅れた! すいません!
我が弟子、レイラが里を出てから、すでに数年となる。
魔族の生としては、十年にも満たない年月とは短いものであるが、もう何だか、彼女がここを去ったのが随分と昔のことのように感じられる。
それは恐らく、再会した弟子が、自身の想像の数倍成長していたからであろう。
世界でも頭一つ抜けて先進的な研究が行われていると、客観的な事実として語ることが出来るであろう羊角の一族の里に弟子は飽いて、更なる未知を求めて出て行き――いつの間にか、魔王の使用人となっていた。
いや、今では、妻か。
実際のところ、里から出る羊角の者は少なくない。
幾ら里で研究が進められているとしても、知識の収集が進んでいるとしても、新たな知識を得るためには外に出なければならないからだ。
無論、学問にもよるが、フィールドワークを欠かしては研究とは成り立たないものだ。
新たな魔法を知るには、まず新たな魔法と出会わなければならない。
我が弟子、レイラは特にこれ、といった分野の研究をしていた訳ではない。興味を引くものは全てが研究の対象であり、浅く広く――いや。
深く広く、が我が弟子の研究のやり方だった。
世界の根源を、何か一つでも解き明かしてみたい、という思いが根本には存在していたようだが、それに近付くために手あたり次第知識を求めていた訳だ。
特に興味があるものは魔法であったようだが、好奇心がくすぐれば、関係なく何にでも手を出すような子であり、逆に興味が引かれなければ、淡泊さを見せる面もあった。
日々研究に打ち込み、友人を作ったりすることもほとんどなければ、怠惰に過ごすこともない。
別に社交性が無い訳ではなく、私に対する師への尊敬は感じられたし、血の繋がらない妹のエミューに対する愛情も感じられた。
しかし、レイラの生き方は、少々変わっている我々の生き様の中でも、とりわけ極端であったと言えるだろう。
そんな、羊角の一族が持つ、知識への欲求が凝縮されたような我が弟子は、どういう心境の変化があったのか、今では家庭を持った妻である。
しかも実子ではないとは言え、生まれた赤子達をあやしている姿などは、母そのものであった。
私の知らないところで、その知識だけでなく、心身も共に成長していたのだ。
元々、要領の良い弟子だ。
何事もそつなく熟すことが可能な器用さがあることは知っていたが、あんなに母としてしっかり世話が出来るようになっているとは。
我が弟子のあのような顔を見た時は……不覚にも、涙腺が緩むものがあった。
こういう時に、自らの歳を感じるものである。
歳を取ると、涙もろくなっていけない。
羊角の一族の中でも、ひと際浮世離れしていた我が弟子の、幸せそうな様子とその家族。
あの魔王の力によって『扉』が設置され、行き来出来るようになった今、もはや彼らは隣人であると言えよう。
であるならば、今後ともあの子達とは、仲良くしていきたいものである――。
◇ ◇ ◇
日記にそこまでを書いたエルドガリアは、その時部屋の扉が開かれる音を聞き、ペンを置く。
この家で、エルドガリアの部屋の扉を開く者は、今は一人しかいない。
「どうしたんだい、エミュー?」
振り返ると、そこにいるのは眠そうな表情のエミュー。
「ししょぉ~……手紙が届いてましたよ……」
「お、そうかい。ありがとうよ。ふむ……あぁ、仕事の依頼かい」
エルドガリアは、手紙を読み進めていく。
彼女は、羊角の一族の中でも、とりわけ有名な導師である。
分析力、解析力、推理力、それらにおいて卓越したものがあると里のみならず外の世界にも広く知られ、故に彼女の力を借りたいという依頼が、時折舞い込むのだ。
「ふぅん……? 遺跡調査かい、面白そうだね」
今回の依頼内容は、羊角の一族が主導して発掘作業を進めていた、とある遺跡の探索の手伝い。
遺跡と言っても、迷宮のような場所ではないことはわかっているようなのだが、その道に進んだ羊角の一族の者でも見たことのない建築様式で――つまり、完全な未知の文明によって造られた遺跡であるということが現時点で判明しているようだ。
どうやら、遺跡を数百年に亘って保たせるための、魔法的な仕掛けは風化して作動しておらず、あまりにも長過ぎる年月により崩れたようで出土品等も一切見つかっておらず、ただ砂と埃だけの部屋が三つだけ遺跡内部に見つかっているらしい。
しかし、遺跡のサイズからして、内部に存在する部屋が三つというのはあり得ないのだそうだ。
また、発生元の掴めぬ謎の魔力が遺跡内部からは感じられているようで、故に魔法的な何かによって、まだ奥に部屋が隠されているのだろうと考えられており、その解析のために自身に白羽の矢が立ったようだ。
なかなか、面白そうだ。特に、全くの未知であるというのが素晴らしい。
それに心躍らぬ羊角の一族など、存在しない。
「またしばらくの遠出ですか、師匠?」
「そうなるね。どれだけの期間になるかわからないけど、それなりに留守にすることになると思うよ。ま、今は例の飛行船があるから、行き来は今までより楽になって助かるってもんだ」
まだまだ子供であるエミューを一人残すことは、特に問題ない。
弟子一号程ではないが、ずっと手ほどきを受けていたため、この子もまた家事炊事は問題ないレベルにあるのだ。
「……そうですか」
と、少しだけ寂しそうな声音の弟子に、エルドガリアもピンと来る。
――あの家族を見た後だから、かねぇ。
無理もない。
弟子一号もそうであったが、エミューも物心付く頃には両親と死別し、そして自身に引き取られた。
そういう子供は、多くはないが珍しくもない。それだけこの世界で生きることは、過酷である。
レイラがいた頃は彼女に甘えることも出来たが、彼女がいなくなった後は「もう子供じゃないです!」と強がってはいたものの、やはり寂しそうにしているところは何度も見ている。
淡泊ではあっても他者と距離の取り方が上手かった弟子一号と違い、この子は人付き合いが得意な方ではない。
最近こそイルーナ達と知り合いになったことで親しい友人が出来たが、それまではロクに誰かと遊んだりすることもなかった。
他の子より、なまじ頭が良いせいで話が合わないようなのだが、イルーナ達は全く別の価値観で生きる子達であったため、考え方から何まで違ってそれが理由で上手く付き合うことが出来たようだ。
そんなレイラがいない寂しさも、慣れて日常の中で薄れて行ったのだろうが……今日あの家族の姿を見て、ぶり返してしまったのだろう。
エルドガリアはクスリと笑みを浮かべ、弟子二号に言葉を掛ける。
「そうだ、エミュー。アンタもそろそろ、実地研修に出ても良い頃だ。どうだい、今回の遺跡調査の依頼、アタシに付いて来てみるかい?」
「! いいんですか?」
「あぁ。他の子ならちょっと早いだろうけど、アンタなら今行っても無駄にならないだろうよ。こういうのは、何事も経験が重要だ」
「や、やったです、行きます行きます! 遺跡行きたいです!」
一気に眠気が覚めたようで、ブンブンと首を縦に振る弟子に、笑ってエルドガリアは言葉を続ける。
「遅くとも今週中には里を出るから、アンタもそのつもりでいな。学校にはアタシが連絡してやるから、出されてる課題等はそれまでにちゃんとやっておくんだよ」
「わかったです! うおー、こうしてはいられません、さっそくつまんない宿題全部やって、備えなきゃ!」
「いや、流石に今日はもう寝た方が――って、あぁ、行っちゃったかい。あの子も着実に一族に汚染されて……今更か」
子供であっても我が一族。
自分らを見て育っている以上、このように育つのも、まあ、仕方ないのだろう。
明日、きっとフラフラで起きて来るであろう弟子二号の姿を思い、エルドガリアは苦笑を溢し、それから再び執務机へと向き直った。




