閑話:頑張れ、わんちゃん
一旦ね。
――魔境の森にて。
リルは、ユキが連れて来た『ヒュージクロー・ウルフ』を睥睨し、観察していた。
敵の元老院議長に召喚されながらも、ユキには絶対に敵わないと事前に判断することが出来たため、彼に従い、生き残ることが出来た魔物である。
「…………」
「…………」
無言でジッと眺めてくるリルに対し、一切身動きが取れず、冷や汗をダラダラと流すヒュージクロー・ウルフ。
あまりにも大き過ぎる、存在の格の差。
なまじ、ユキよりも近い種であるため、ユキと相対していた時よりもさらに強くそれを感じてしまい、恐ろしさに動けない。
少し前、多数の同格の魔物達と戦った時も修羅場であると感じたが、今と比べれば、それがなんと子供騙しの修羅場であったことか。
その全身から放たれている威圧感に、身が竦み、ここから逃げ出せと本能が命じている。
そんなことをすれば最後、細切れになって死ぬだろう未来が容易に想像出来るため、失ってしまいそうな理性をかき集め、必死に本能を抑えているような状況である。
ただ、そういう判断が出来るからこそ、元は敵の魔物として出現していながら、ユキと対峙して生き残ることが出来たのだと言えよう。
なお、リルの方は別に特に威圧もしておらず、単純に目の前の狼がどれだけの強さなのかを、見極めているだけである。
目の前の狼が自身を恐れているのはわかるが、だからと言って、それを和らげてやるつもりもない。
この程度で逃げ出すようならば、そもそも自分達と暮らすことなど出来ないだろう。
まあ、とは言ってもこの狼に関して言うと、しばらくは面倒を見てやろうという気にはすでになっているのだが。
つい少し前、「コイツ、ウチで面倒見てやってくれ! レベルの割に戦闘技能はイマイチなんだが、お前らの配下の魔物軍団に混ぜてやったら、まあ何とかここでも生活出来んだろ」「……ん。このわんちゃん、弱いけどちゃんと主のために頑張ってた。可愛い子だから、見てあげて」とユキとエンに言われ、それならば、という訳だ。
それに、実際見込みはあるのだろう、というのがリルの評価である。
話は聞いているが、まず自身では何があっても敵わないと、戦う前にそのことを察し、潔く恭順の姿勢を見せられるだけの知能。
そして、恭順の姿勢が本物だと示すために、自身と同格の相手六体に対し、決死の戦いを挑むだけの胆力。
幾らユキとエンがいたとはいえ、そこまでやれるのならば見込みはあるし、多少面倒を見ておけば、ここでも問題なく暮らしていけるだろうと思ったのだ。
「クゥ、ガァウ」
そうして、ある程度の観察をし終えたリルは、この森での生き方に関して、話し始める。
まず大前提として、ヒト種には、こちらから攻撃を仕掛けないこと。向こうが攻撃してきた場合は迎撃して構わないが、特に敵対してこない場合、そのままスルーして逃がすように。
特に、ヒト種の幼体を見かけた場合は、すぐに報告を入れること。
これは勿論、ユキ一家のことが念頭にある。
イルーナ達は、魔境の森に出る場合は必ずユキかレフィ、もしくはネルに同行してもらうということを、強く言われ続けているため徹底しているので、幼女組ならぬ少女組のみを外で見かける、ということは実際にはない。
ただ、リルを頭にした魔物軍団に、自分達の主がヒトの一家である、という意識を持たせるために、この点は必ず伝えているのだ。
それを守れない者は、『敵』と見なして即座に排除する、ということもまた、常に伝え続けている。
まあ、ヒトとは違って魔物達は、上位者の言うことはほぼ必ずと言って良い程しっかりと守るため、今のところリル達によって排除された配下というのは、一匹も出ていない。
リルという絶対的な上位者の威厳が、強く浸透していることの表れだと言えるだろう。
基本的に、ユキが絡まない時のリルは、魔物達の王として相応しいだけの気高さがあるのである。ユキが絡んだ瞬間、中間管理職と言うべき苦労性が一気に出て来るのだが。
次に教えるのは、味方と敵の見分け方。
ダンジョンの、『始まりの洞窟』とでも言うべき、草原エリアへと繋がる扉が置かれている洞窟。
そこから半径五キロ圏内はリル達の縄張りであるため、その内側にいる魔物は味方と判断して構わない。
判断が付かない場合は、自分の名を出して言葉を交わせば、敵かどうかの判別はすぐに付くだろう。
味方とは仲良くしろ。種が違くとも、一つの大きな群れとして過ごしているため、喧嘩するな。
どうしても相容れない種がいる場合、互いに近付くな。そういう時の喧嘩はちゃんとこちらで仲裁するから呼べ。
以上のことを守るならば、この群れはお前を受け入れよう。この森は過酷な環境だ。である以上、生きていくには、助け合わなければならない。
ただ、お前は狼だ。ならば、群れでの生き方もある程度本能でわかるだろう。
と、一つ一つルールを伝えていたところで、リル達の様子に興味を引かれたのか、ユキのペット軍団の内、オロチとセイミが「新入りですかリル様」「新しい子~?」と、それぞれ言いたげに近くにやって来る。
ちなみに、オロチは鳴き声で意思を示すことが出来るものの、セイミは全く喋らないし鳴いたりもしないので、ふよふよと漂うその動きで意思を悟るしかないのだが、普段から共にいるリル達はセイミの言いたいことを問題なく理解することが出来る。
加えて、同じダンジョンの魔物であるため、相手の意思を明確な言葉にせずともある程度悟ることが出来るのだが……リルが個人的に配下にしている他の魔物達はそうもいかないため、セイミの意思を理解することは彼らの必須技能の一つだったりする。
セイミは普段、ただ気ままにふよふよと漂っているだけである。
特に怒ったりするような様子を見せたことは一度もないし、必要以上に配下達に絡んだりすることもない。
が、明確な上位者である。しかも、意思を把握しづらい。
何か不快に思うことをしてしまって、不興を買う訳にはいかないため、皆必死になってその意思を理解しようとするのである。
「クゥ」
リルは頷き、「比較的、我々に近い新入りだ。弱いが、主を守ろうとする気概は持っているようだから、まあウチでもやっていけるだろう」と話す。
その言葉に、意外そうな顔をするオロチとセイミ。いや、どちらもほとんど表情の動きに変化などないし、セイミに至っては「へー」という軽い反応くらいではあるのだが。
「シュウゥゥゥ」
オロチの、「なかなか知能が高いんですね。なら、確かにここでもやっていけそうだ」という言葉の後に、セイミは言った。
動きで感情を表した、と言うべきかもしれないが、とにかく言った。
――じゃあ、一発芸して! と。
まだセイミの意思をよく理解出来ず、困惑した様子を見せるヒュージクロー・ウルフに、リルがそれを翻訳する。
「……グ、グルゥ?」
えっ、と一瞬固まった後、再び冷や汗を流し始めるヒュージクロー・ウルフ。
そんなものは持っていない。
そもそも芸とは。何をしろというのだ。
だが、自身では絶対に敵わない上位者の、要望である。
彼は、その高い知性で、とにかく何か面白いことをしなければいけないということだけを察し、必死に頭脳を働かせ――身体を丸くさせ、言った。
「グルゥ」
毛玉、と。
無言。
停滞する空気。
後、セイミが評価する。
――面白い! と。
「クゥ」
「シュウゥゥ」
リルとオロチの「良かったな、面白かったそうだぞ」「やるじゃないか、新入り」という言葉に、安堵しつつ、ヒュージクロー・ウルフは思うのである。
大変なところへ来てしまった……と。
――理性のある者は、苦労する。
それが、ヒトと違う魔物社会の、ある側面なのかもしれない。




