異変《1》
――我が家にて。
「ぬぐわぁっ! クッ……やるじゃねぇか、レフィ……!」
「クックックッ、お主が上で、儂が下という構図は、もう終わりじゃ! 儂は、お主に勝つために、レイラとしかと戦略を練り、研究したんじゃ! これからお主は、儂の後塵を拝すことになるじゃろう!」
将棋盤を挟んで、対面に座るレフィが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
クッ……コイツが、どんどん侮れなくなってるっつーのはわかってたが、まさかこんな一方的に押される日が来ようとは……!
「や、やるじゃねぇか、レフィ。だが、些か気が早いんじゃねぇか? 勝負はまだ中盤! ここから俺が、魔王の力で盤面をひっくり返してやろう!」
「ほほう、楽しみじゃの! 是非、その魔王の力とやらを見せてみい! 儂が、この覇龍の力で、それがただの幻想じゃということをわからせてやる!」
その後、勝負は終盤まで進み……優勢なのは、やはりレフィ。
このままでは、敗色は濃厚である。
「スゥー……レフィさん、私、大分ポンなあなたを愛しているんですよ。どうです? この際、もうちょっと昔に戻って、ポンなあなたになってみては」
「残念じゃが、我が旦那よ。そのぽんこつな女は、もう死んだのじゃ。ここにいるのは、良妻賢母な、素晴らしい妻! 良かったの、ユキ。自身の妻が、こんなにも優れていて」
「自分で良妻賢母って言います?」
「違うのか?」
「……違くねぇけど」
そう言うと、レフィは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
対面に座るのは、何も言えない、負け犬の魔王。
そんな気持ちが盤面に現れてしまったのか、勝負はそのまま、俺の負けで終了した。
「ぐ、ぐぬぬ……」
「おぉ、おぉ、可哀想な旦那じゃ。実力が下だった者に下剋上されてしもうて。悔しさで何も言えんくなってしもうてるな。どれ、お主の愛するこの妻が、慰めてやろうか? ん?」
「うっさいわ! もう一回だ、もう一回! オラ、さっさと準備しやがれ!」
「仕方があるまいのぉ、旦那がそう求めるのならば、妻として付き合うてやろうではないか。では次は、お主の悔しさを紛らわすため、膝枕でもしながら勝負してやろうか?」
「いらんわ!」
ニヤニヤと、変わらず楽しそうなレフィ。
最近コイツ、こういう妻ムーブを覚えやがったせいで、俺にクリティカルヒットする言動が増えているのだ。
クッ、俺にはめっちゃ嬉しい――いや、嬉しくない!
嬉しくない、全然刺さらない言動をするようになりやがって……!
いつから俺は、レフィにこんな、強く出られないようになってしまったのか。
負け犬か……フッ、今の俺は、まさしくそれが相応しいような、哀れで惨めな存在かもしれないな。
だが……そう、だが、だ。
俺は、魔王。いや、覇王である。
我が妻、覇龍と同じ、覇を頂く王!
この程度で、音を上げてなるものか……!
俺は、意思を新たに、レフィに向き直る。
「さあレフィ! 更なる勝負だ! 認めよう、ここから俺は、挑戦者だ! 俺が求めるのは、ただ一つ! そう、それは――」
「膝枕?」
「違うっつってんだろ!」
そうして、ふざけながら二戦目を始め――だが、その勝負に決着が付くことはなかった。
ローガルド帝国からの、『緊急』を知らせる通信玉が、光ったからである。
◇ ◇ ◇
エンを片手に、俺はすぐに移動し、ローガルド帝国に向かう。
面倒だったが、一応俺の領土だからな。
仮初でも、王は王。
未だに慣れんし、自分が一国の主という意識もちゃんちゃら持てていないが……それでも、最高責任者ではあるのだ。
「――どうした?」
扉を潜った俺は、ローガルド帝国では一つの役職として定着しつつあるらしい、扉前の俺用待機要員に声を掛ける。
「陛下! お待ちしておりました」
待っていた兵士は、そう言って敬礼し、すぐに俺を城内へ連れて行く。
やがて、ローガルド帝国城内部にある、会議室のような場所に案内され――そこで待っていたのは、見知らぬ人間。
精悍な、という言葉が似合うような、若い男だ。
誰だ? という俺の表情を見て取ったその人間は、深く一礼をすると、口を開いた。
「お初にお目にかかります、ローガルド帝国アスカラッド地方を治める領主、ビルラと申します」
「おう、魔王ユキ――いや、今は覇王ユキだ。余計な挨拶はいらん、単刀直入に言え。何があったんだ?」
自分の尊大な口調に笑ってしまいそうになるが、皇帝として絶対にへりくだるな、という風に言われているため、努めて真面目な顔で、問い掛ける。
仮初でも、威厳は必要であるらしい。
威厳が必要になる喋り方をするって、なんか寸劇でもしているみたいで、吹き出しそうになるんだよな。
一生慣れそうにないわ。
「はい、我が領に、とある遺跡が存在しており、前皇帝陛下の時分から発掘を行っていたのですが……何やらそこと繋がっていた、巣を刺激してしまったらしく。突如として出現した『蟲』どもによって、我が領が蹂躙されつつあります。どうか、お力添えを」
遺跡、か。
このタイミングでそれとは、なかなか運命を感じるものである。
ビルラの言葉を、隣で控えていた魔族の、恐らく役人であろう男が補足する。
「現在、ローガルド帝国兵及び、駐留中の各国の兵で対処はしておりますが……とにかく数が多く、どんどん戦線を後ろへと下げている状況です。このままでは、ローガルド帝国全体に広がるのは、時間の問題かと。各国の王にはすでに連絡を取ってありますが、如何せんすぐにこちらへ援軍を送れる状況にはなく」
……マジの緊急事態っぽいな。
俺は、すぐにマップ機能でローガルド帝国を確認する。
端から端まで目を通し――あった。
ここだな。
マップの一区域が、敵性反応である赤で占められており、こうして見ている今でも、それが徐々に広がっているのがわかる。
……しまったな、魔境の森であれば、異変があればすぐにわかるようになっているが、こっちは、そういうアラートまでは設定していなかった。
半ば、俺の失態か。
「わかった、すぐに対処しよう。ちょっと待ってろ」
そう言って俺は、我が家からリル達を呼ぶべく、すぐにローガルド帝国を後にした。