カロッタの思惑
――ファルディエーヌ聖騎士団団長、カロッタ=デマイヤー。
ネルの、直属の上司の、女傑である。
現在彼女は、聖騎士という軍人の身でありながら、国の政治の一端を担う立場にある。
具体的に何かしらの役職を得た訳ではなく、やはり公的には「聖騎士団団長」という肩書しか有していない彼女であるが、ここ数年の国内のゴタゴタにて得た権限をこれ幸いとフルに活用し、才能を遺憾なく発揮し続けた結果、今では教会において枢機卿達に次ぐ権力を有し、国王の相談役をも務めるような、国内有数の権力者となっていた。
宗教と政治が絡むこと。
軍人が政治に口を出すこと。
そのどちらも良くないことだとカロッタ自身思っていたが……まあ、使えるものは、何でも使うのが彼女の信条である。
彼女の優れた政治的手腕、部隊を操る能力、そして当人の度胸。
それらが合わさり、現在の立ち位置にまで登り詰めていた。
そんな彼女が考えなければならない問題は数多あるのだが、現在最も頭を悩ませているのが――勇者ネルの処遇である。
ネルという少女。
最初は見た目通りの少女の性格で、色々と甘いところが多かったのだが、ある時を境に実力も度胸もメキメキと発揮し始め、自身ではもはや敵わないところにまで至っている。
元々非常に高いポテンシャルがあると判断されたが故に、次の勇者として育てることになった彼女であったが、今では当初の予想を遥かに超え、人間という枠組みの中では、まず間違いなくトップを争えるだけの能力を有する程になっているのだ。
少なくとも、周辺諸国の人間国家においては、彼女以上の実力を有する人間は存在しない。
人間よりも力の強い他種族においても、ネル程に戦える者が、どれだけいることか。
なんせネルは、軍を派遣して討伐しなければならないような魔物を相手に、「魔境の森の魔物よりは弱いね」などと言って単身突撃し、全く怖がりもせず、なます斬りにするのである。
自身は力が弱く、手数で戦わないといけないから、などという彼女の考えにより、結果生み出されるのが惨殺死体だ。
ちなみにネルは、軍人として見た限りでも、全然力は弱くない。
単純な腕力だけ見ても、あの華奢な腕からは信じられない力を発揮し、聖騎士数人との腕相撲で普通に勝利するので、完全に彼女の私見である。
無駄がないのだろうが、その戦闘方法から実は最近、ちょっとずつ畏怖され始めている面があったりする。
少なくとも、可愛らしい外見から侮る者は、もうほとんどいないと言っていいだろう。
それだけ、戦闘時のネルからは、凄みが出て来ているのだ。
そんな規格外の存在となり始めている彼女だが、その評価に関しては、もう一つ付け加えなければならない非常に重要な点が存在している。
それは、魔王ユキの妻の一人である、という点である。
魔王ユキ。
いや、魔帝ユキ。
ネルは人間という枠組みにおいてトップの実力を有するが、対して魔帝ユキは、さらに大きなヒト種という枠組みにおいてトップの実力を有している。
つい最近勃発した大戦において、彼の一騎当千の働きは広く知れ渡っており、大災害級とも災厄級とも評価されているアンデッドドラゴンを討伐したという話は、未だに語られ続けている。
もはやヒト種においては並ぶ者がいない程の武力を有し、だがそれよりも重要なのが、彼の影響力だ。
魔王から魔帝と呼ばれるようになった彼は、大国『ローガルド帝国』の皇帝として君臨しており、他種族間の交流においての要の存在と化している。
彼と早くから友誼を結ぶことが出来たこの国は、偏に幸運だったと言えるだろう。
「……フッ、最初はネルの従者として現れた男だったのに、随分出世したものだな」
初めて顔を合わせた時のことを思い出し、思わず笑みを溢す。
あの頃から、ただ者ではない雰囲気はあったが……まさか、ここまでになる男だったとは。
それを射止めたネルは、自分よりも人を見る目があったということだろう。
愉快な思いで、一人笑っていたカロッタは、だがすぐに表情を引き締め、思考を巡らせる。
そんな縁をネルが持っている訳なので、彼女には魔帝ユキとこの国との関係を保つことに注力してもらうのが一番だと、カロッタは判断している。
具体的な形としては、アーリシア王国の王都『アルシル』から、魔境の森に接する辺境の街『アルフィーロ』に彼女の勤務地を移し、何か有事の際のみに現場へ向かってもらう、というものを考えている。
アルシルに勤務している時よりは、即応性は失われてしまうだろうが、そのために活用しようと考えているのが、飛行船だ。
現在、この国では飛行船に関する設備が急ピッチで拡充され始めており、国王レイドは、アルシルの次にアルフィーロの航路を充実させようとしている。
彼もまた、自身と同じことを考えているが故の判断だ。
今、ネルがまだ勇者としての仕事を続けてくれているのは、ただただ彼女の厚意によるものだ。
すでに家庭を持った以上、職から離れても良いはずだが、「僕は、この国に育ててもらいましたから! せめて……この国が、安定するまでは」という責任感の強さから、未だ勇者として働いてくれているのだ。
ならば、なるべく彼女の生活を阻害しないために、早々にこの案を形にしたいのだが……それに反対した者達がいた。
――教会のトップ、枢機卿の一団である。
彼らは、「勇者という重要な戦力を、僻地に置くのはどうか」という主張で、ネルがアルフィーロに勤務地を移すのを反対していた。
他種族と関係が改善したことによる対外的な危険の減少や、飛行船により移動時間の短縮等のメリットを説いても納得せず、国王レイドが説得しても「勇者は教会の戦力だから」と首を縦に振らないのである。
確かに、他種族との関係が改善したといっても、それに備えなければならないのは国防の観点からして間違いなく、この国の最高戦力であるネルが王都を空けることに危険があるのも間違いないのだが……彼らの考えは、長らく教会に身を置いているカロッタにはわかっていた。
要するに彼らは、現状に不満と不安を抱いているのだ。
他種族が、幅を利かせ始めた現状に。
昨今問題になっている人間至上主義者程ではないが、信仰が脅かされるのではと、他種族に対し恐怖を抱いているのだ。
だからこそ、アーリシア王国、そして教会における切り札であるネルを、手放したくないのである。
それだけの実力を、彼女は得てしまっていた。
カロッタもまた、その危惧は理解出来る。
が――彼女の芯にあるのは、軍人としての行動規範だ。
動かねばならない時に動くというのは、カロッタにとって当たり前のことである。
今の情勢ならば、言葉は悪いが、勇者のネルを生贄に差し出し、対価としてあの魔王の協力が得られるのならば、安いものなのである。
結局、枢機卿達は、わかっていないのだ。
実感していないのだ。
今、世界は変わりつつあり、否が応でも、自分達もまた変革しなければならない段階に来ているのだということを。
そう、世界は変わりつつある。
ここで取り残される訳にはいかず、アーリシア国王もまた、ここ最近はそのことに頭を悩ませているのを知っている。
「……教会もまた、変革を迎える時、か」
フン、と鼻を鳴らし、カロッタは、うるさい者達に要望を押し通すための策を練っていく。
――結局、彼女が動く一番の理由は、可愛い妹分が幸せを掴もうとしているのに、それを邪魔する者達が許せない、という姉貴分としての思いからであった。
国の方の話はもうちょっと後で。