思想の伝播《2》
前回のあらすじ:龍族と会話を楽しんでいたら、後ろから撃たれた。
その瞬間、操舵室の者達は、凍り付いた。
「――どこのバカだ、今のは!?」
激しく唾を飛ばしながら、怒鳴り声をあげる船長。
当然彼は、攻撃の指示など出していない。
念のため、武装を使用出来るようにと整備の指示を出しただけである。
誰がどう見ても、誤解の余地のない先制攻撃。
しかも一発だけではなく、数発連射したところから見て、明らかに緊張からの誤射ではない。
間違えました、では済まされない愚行である。
どうやら、例の皇帝が防いでくれたようだが……仮に攻撃が龍へと当たっていた場合、この船がすでに藻屑と化していても、おかしくなかっただろう。
「さっさと向こうと連絡して、バカタレを捕らえさせろッ!!」
「い、今すぐに!」
兵器の据えられた区画と連絡を取るべく、船員の一人が伝声管を手に取り――だがその前に、別の船員が息を切らしながら、操舵室へと飛び込んでくる。
「せ、船長!」
「何だ!?」
「く、クルーの一人が……反乱を! そして現在、へ、陛下の奥方様と、対峙しています!」
その言葉に、船長の目の前は真っ暗となった。
* * *
勇者として鍛錬を重ねたネルの行動は、早かった。
何が起こったのかを思考する前に、まずユキのいる場所に攻撃が行われたという一点だけを重く注視し、つまり飛行船内に敵がいると判断し、腰に差していた聖剣を抜き放つ。
ユキの様子を見て緊張を解いていたが、再び一気に全身を戦闘態勢まで持って行く。
「護衛兵士さんっ、この船の武装の位置は!?」
「た、確かあちらの通路から行った先にあったはずです!」
そう答えるのは、ユキの護衛であり、現在は彼の妻である二人を守っている、近衛兵士達。
「わかりました、ではリューのことを任せます! ――リュー、ここを動いちゃダメだよ! 何か良くないことが起きてる!」
「わ、わかったっす!」
「お、お待ちください! おい、一人付いて来い、残りはここでリューイン奥様の護衛を!」
『ハッ!!』
そうしてネルは、狭い船内を駆け出す。
――先程の、あの攻撃。
間違いなく、練られた計画ではない。
龍の姿を見て、突発的に行われたものだ。
恐らくだが、あの龍を怒らせ、夫を襲わせようと考えたのだろう。
その後にこの飛行船がどうなるかなど、一切考えられていない、自殺紛いの衝動的な攻撃だ。
だからこそ……対処は、誤れない。
感情的になっている相手は、時として、そんなことは誰もしないだろうということを何も考えずやってしまうことがある。
このように。
「やめろ、どういうつもりだ、お前!?」
「バカな真似はよせッ!!」
辿り着いた先で遭遇したのは、船員らしき者が他の船員の一人を盾にし、その首にナイフを突きつけている様子だった。
斬られたのか、犯人を囲う船員達の中には血を流している者も見え、犯人が相当取り乱していることがわかる。
「う、う、うるさい、何も知らないくせに……ッ!!」
取り乱しているのは、若い男だ。
自身より、数個年上なくらいか。
「――君は、自分がしたことの意味をわかってるのかな?」
冷たい、そのネルの声を聞き、ようやく彼らは彼女の存在に気が付く。
「なっ、お、奥様!?」
「ッ!? 何故あなたが!?」
「僕の旦那さんが狙われました。ならば、その妻として――黙っている訳にはいかないでしょう」
本来ならば、何が何でもこの場から逃げてもらわなければならない程の要人であるが……ネルの言葉に込められた圧力に気圧され、犯人を含めた誰もが何も言えなくなる。
勇者としての、皇帝の妻としての風格が、確かに彼女には備わっていた。
ネルは、素早く周囲を確認し、状況を確認する。
場所が狭く、足場も悪いが……一歩で懐へと踏み込める距離にはいる。
男が人質をどうこうする前に、その腕を斬り飛ばすだけの自信もある。
だが……人命の掛かったことだ。確実を期して動く必要がある。
故にネルは――言った。
「わかってるのかな? いったい君が、誰と敵対したのかということを。それがいったい、どういう結果に繋がるのかということを」
「フンッ、わかっているさ、俺達の国の、て、敵だ!! 俺達の国のために、あの敵は殺すべきだ!!」
「……君は、ローガルド帝国人なの?」
「違う、俺はエルレーン協商連合出身だ!!」
その言葉に、ネルは怪訝そうに眉を顰める。
エルレーン協商連合は、ユキと共に戦列に並んで戦った、戦勝国側の国だ。
そして、その戦争にて飛行船の優位性を大きく知らしめることが出来たため、国の立場を向上させることに成功し、大国ではないものの人間国家の中では頭一つ抜きん出た存在となっている。
飛行船を売り、他種族が住む遠国と交易路を結ぶことで、莫大な権益を得られるようになったのだ。
また、その他種族との結びつきにおいて、現在ローガルド帝国皇帝であるユキの立場は非常に重要なものとなっている。
現在の交流の中心がローガルド帝国であり、さらには彼が戦争の立役者でもあるため、その不興を買ってしまった場合、交流から疎外される可能性があるからである。
ユキ自身が何もしなくとも、だ。
自身の夫の影響力は、もうそれだけの大きなものとなっており、つまりエルレーン協商連合の者達にとって、ユキは敵であるどころか、国全体で歓待すべき国賓なのだ。
その辺りの事情を、ネルはアーリシア王国の勇者として、深く熟知していた。
「……敵、ね。彼は今、君達の国において重要人物であるはずだけど。つまり君は今、国益とは真反対の行動をしているね」
つい少し前、羊角の一族の里へ遊びに行った際に乗った飛行船。
あの時に出会ったエルレーン協商連合の船長と、ユキが仲良くやっており、傍目に見ても夫がエルレーン協商連合という国に好印象を覚えているのがよくわかった。
今回のこれは、その真逆の行為である。
ユキの思いに水を差すような男の行動に、実はネルは内心で、それなりの怒りを覚えていた。
「フンッ、そんな恥知らずな繋がりなど、とっとと断ち切ってしまえばいい!! 最近はどいつもこいつもそうだ、他種族にへこへこ頭を下げ、へらへら笑って!! そ、それが国を破滅させることだと気付いていない!! 他種族は狡猾で、俺達を食い潰す気なのに!!」
「随分ハッキリと断言してるけど、それは君が勝手に『他種族はこういうもの』ってフィルターにかけて、その人本人を見ていないだけでしょ? 君はきっと、同じ人間を相手にしても同じことを言うよ。国籍がどうとか、どんな職に就いてるかとか。たかが種族が違うっていう、些細なことが気に入らない君は、そういうことでも差別するんだろうね」
辛辣な、怒らせるような言葉に、男は表情を激しく歪ませる。
「だ、だ、黙れ!! 他種族に身も心も売った売女がッ!! き、貴様に何がわかるッ!?」
「君よりは色々知ってるよ。何せ僕は、アーリシア王国の勇者だから。むしろ君こそ、何を知ってるの?」
「っ、ゆ、勇者……?」
少女の正体が、皇帝の妻というものだけではなく、もっと予想外のものであったことに、一瞬動揺する男。
「ねぇ、言ってみなよ。君はいったい、他種族の何を知ってるの? 話をしたことはある? 彼らの街へ行ったことは? 殺し合ったことはある? 僕はあるよ。だから、彼らのことは深く知っているし、語ることも出来る」
「ッ……」
男は、何も言えない。
口が動かない。
「何も知らないんでしょ。君は、何も知らない。だから、僕が良いことを教えてあげる。君みたいな人のことはね、世間一般じゃあ『テロリスト』って言うんだよ。どれだけ高尚で、立派な考えを持っていたとしてもね。――一般人を巻き込んだ時点で、ただの犯罪者。君は、決して英雄とは呼ばれないんだ」
嘲笑するように、ネルは、笑った。
「~~ッ!! だ、だ、黙れぇッ!!」
沸点の限界に達した男は、怒りから目を血走らせ、人質を突き飛ばすと、ネルに向かってナイフを振りかぶった。
――よし。
自身へと標的が移ったことに内心で笑みを浮かべ、ネルは迎撃の姿勢を取り――が、結局彼女が動くことはなかった。
その前に、ユキが突っ込んできたからである。
「ウチの嫁さんに何してやがんだボケがぁッ!!」
「あぎィ――!?」
どうやら、いつの間にか船内に戻っていたらしい。
通路の向こうから突入してきたユキは、その勢いのまま、ナイフを振り上げた男の腕を蹴り折った。
バキリと嫌な音が鳴り、あらぬ方向へと男の腕が曲がり、肉を突き破って骨が飛び出る。
カランとナイフが床に転がる。
「うッ!? 腕があああああッ!?」
「うるせぇ、諸共自殺しようとしたヤツが、腕折られたくらいでピーピー言ってんじゃねぇッ!!」
「ぎゅへッ――」
何の容赦もなく、次に腹部を強烈に蹴り飛ばされた男は簡単に吹き飛び、飛行船の壁に激突して停止する。
ベコリと、壁を走っている配管が凹む。
そこまでしてなお、ユキは怒り冷めやらぬ様子だったが、このまま彼が暴れると飛行船の方が持たなそうだと判断したネルは、苦笑して聖剣を鞘にしまい、止めに入る。
「あー……おにーさん、おにーさん。落ち着いて。飛行船の方が、ダメージが酷そうだから」
「フー、フー……フン、お前、ネルが優しくて良かったな! そうじゃなかったら、全身の骨をバキバキに圧し折ってやるところだ」
「残念だけどおにーさん、もう彼、白目剥いてるから、聞いてないよ」
そしてネルは、ユキの意識の矛先を逸らすため、彼の手を両手で握って別のことを問い掛ける。
「それより、おにーさん。あの龍を置いてこっち来ちゃったみたいだけど、そっちは大丈夫?」
「……あぁ。そっちは問題ない。あの龍は、レフィの知り合いの婆さん龍だ。すげー良い龍だから、この後でお前らにも紹介するよ」
「それは楽しみだね。エンちゃんも、お疲れ様。あの龍と話してたみたいだけど、楽しかった?」
『……ん。優しくて面白い、いいお婆ちゃんだった』
ユキにずっと握られたままだったエンが意思を二人に飛ばし、恐らくそこで、彼女にこういう姿は見せられないと思ったのだろう。
ようやくその怒りが薄れていくのを見て取ったネルは、そのタイミングで、ユキの怒りに当てられ固まっていた周囲の者達へと、指示を出し始める。
「兵士さん、あの男の処置をお願いします。船員さん達は、すぐに傷の手当てを。後程お話を聞くことになるとは思いますが、今はまず、治療とこの場の後片付けを優先しましょう」
彼女の言葉に、彼らはハッと我に返り、その場の収拾に動き出した。
その様子を見て、ユキがポツリと呟く。
「……お前、カッコいいな」
「フフ、ありがと。さ、おにーさん、一旦リューのところに行こう。きっと心配して待ってるだろうから」




