閑話:???
間に合った。
エイプリルフールは午前中までという意見は受け付けません。
――晩飯を終えた後。
「フゥ~……良い湯じゃった。お主のところに来て、最も良いのは風呂に毎日入れることじゃな。……いや、三食美味い飯が食えることもそうか。クッ、悩ましいの。果たしてどちらが上か……」
風呂から上がったレフィが、身体から湯気を立ち昇らせながら、狭いボロアパートの居間に戻ってくる。
そんな彼女に、俺は何となくでテレビを見ながら声を掛ける。
「どうでもいいが、髪乾かせよお前。濡れたままだと良くないぞ」
「わかっておるわ。全く、お主はあれこれとうるさいのう。小姑か」
「あらやだ。私、レフィさんのためを思って言っているのに、その言い草。失礼しちゃうわねぇ。これは優しさなのよ、優しさ」
「殴るぞ」
拳を固めるレフィに対し、俺は両手を挙げると、彼女はフンと鼻を鳴らして腕を下ろし――と、次に何故か、ニヤリと笑みを浮かべる。
「?」
同居人のその表情を訝しんでいると、彼女は洗面所からドライヤーを持ってこちらに戻り、そのままドシンと俺の膝上に乗った。
柔らかい、少女の身体の感触。
「お、おい」
「優希、儂の髪を乾かせ」
「な、何だよ急に」
「ただの気分じゃ。ほれ」
妖艶に笑い、ドライヤーを渡してくるレフィ。
「……まあ、いいけどよ。膝じゃなくて一個前座れ。近くて普通に使えん」
「うむ」
俺は内心を隠し、わざとらしくため息を吐いてドライヤーを受け取った後、腕を伸ばして近くのコンセントへプラグを指すと、レフィの髪を乾かし始める。
非常に触り心地の良い、滑らかで美しい銀髪。
そこから覗く艶めかしいうなじと、赤く火照った肌。
彼女の香りに石鹸の香りが合わさり、ふわりと鼻腔をくすぐる。
……頭が茹だちそうだ。
俺は気分を誤魔化すため、口を開く。
「お前くらいの長さになると、手入れは大変だろうな」
「ま、そうじゃの。儂自身、自身の髪がこんなに面倒なものだとは思わなんだ」
「けど、グータラで面倒くさがりなお前にしては、髪の手入れに関しては結構ちゃんとやってるよな」
「それは勿論、お主がその方が好きじゃろうからな」
俺の憎まれ口に何も反応せず、サラリとそう答えるレフィ。
「……そうか」
「どうじゃ、天にも昇る良い触り心地じゃろう?」
「自分で言うのな」
「うむ、自慢の髪じゃからの」
「……まあ、お前の髪が、すげー綺麗だってことは、否定しないでおこう」
「カカ、素直になれん男じゃのう」
それからは、互いに何も言わない。
響く、テレビの音とドライヤーの作動音。
何気ない日々の、ひと時。
「……ん、終わったぞ」
「なかなか良かったぞ。これからはお主にやってもらおうかの」
「たまにならな」
ドライヤーを脇に置くと、レフィはそのままコテンと横になり、俺の膝上に頭を横たえる。
手を重ねる。
指を絡め、ギュッと握ると、彼女もまた同じように握り返してくる。
「ゴツゴツしていて、寝心地の悪い枕じゃのう」
「おう、悪いが、別にそこは目指してないんだ」
「では、今後は儂のために、心地の良い膝枕道を究めると良いぞ」
「膝枕道て」
そんな軽口を言い合いながら、だが決して離れず俺達は、特に見てもいないテレビの前に居続ける――。
* * *
目が覚める。
「はー、いいお風呂だった! 疲れが吹き飛んで、今からまた元気いっぱいでいられるよ!」
「きもちよかったね! シィの、しんちんたいしゃもかんぺき!」
「……お風呂は良かったけど、晩ごはん食べないと、まだ元気は出ない」
「むむ、そうだね! ごはんもたのしみ」
「今日のご飯はなんだろうねー!」
「ちと待て、お主ら。髪を乾かさんか。濡れたままじゃと、風邪引くぞ」
どうやら滝温泉から戻ってきたらしい幼女達とレフィが、そんなことを話しながらいつもの生活空間である真・玉座の間へと戻ってくる。
「はーい!」
「……はーい!」
「へへん、シィは、かわかすひつようがないから、さきにいってるネ!」
そうしてイルーナとエンがドライヤーで髪を乾かし始め、ウチにあるドライヤーは二台だけなので、彼女らが使い終わるのを後ろでレフィが待ち――というところで、我が嫁さんが俺の様子に気が付く。
「む、何じゃ、うたた寝しておったのか? 今ひと眠りしてしまうと、夜が眠れんくなるぞ」
「ん、あぁ……」
今の時刻は、晩飯前の夕刻だ。
何となくで玉座に座っている内に、眠ってしまっていたらしい。
……この玉座にも、もしかすると何かがあるのかもな。
まあ、ただの椅子でないことだけは、確かだろう。
何度か見たことのある今の夢は、間違いなくただの夢じゃないだろうからな。
全く、このダンジョン――いや、世界には謎が満ち溢れている。
「よし、終わり! はい、お姉ちゃん、ドライヤー交代! それで、ご飯の用意はー……まだかぁ。お腹空いちゃったなぁ」
「……お手伝い行こう。すぐに食べられるように」
「そうだね、そうしよっか!」
と、パパっと髪を乾かし終えたようで、イルーナとエンがその場を立ち上がってキッチンへと向かって行き、交代でレフィがドライヤーを手に取る。
「……レフィ、俺が乾かしてやろうか」
「む? ……ふむ、ではお願いしようかの」
俺は彼女の近くに腰を下ろすと、ドライヤーを受け取り、その銀色の髪を乾かし始める。
初めて魔法を覚えた頃に、ドライヤー魔法を作りはしたが、あれより機器の方が普通に性能が良いので、実はもう使っていなかったりする。
「今更じゃが、ここには便利な道具が多いのう。わざわざ髪を乾かすだけの魔道具など、外には存在せんじゃろうからな」
「おう、科学とか魔法とかが、戦いの道具じゃなくて生活の向上のために使われ出したら、こういうのが生まれるんだ」
「ふむ……お主の前世じゃなく、こちらの世界でもその世が見られるようになれば、嬉しいものじゃな」
「そうだな」
夢と全く変わらない、非常に触り心地が良く、美しいこの髪。
風呂上がりの彼女の香りまで、全く一緒だ。
何だか面白くなり、思わず笑みを溢していると、レフィは不思議そうな声音で口を開く。
「どうした?」
「いや……お前の髪、綺麗だなと思って」
「うむ、儂がお主のためを思って、丁寧に丁寧に手入れをしておるからの! もっとありがたがると良いぞ」
わざとらしく「丁寧に丁寧に」の部分を強調し、そう言う同居人――いや、嫁さん。
冗談めかしているが、もうそれなりの付き合いなので、内心で喜んでいることがよくわかる。
「さ、終わり! 俺達も手伝い行こうか」
「そうじゃな。この匂いからしてー……今夜はチンジャオロースじゃと見た」
「お、随分ピンポイントで来たな。いいぜ、勝負な。俺は、ホイコーローと見た」
「ほほう、近しいものであることは間違いなさそうじゃな。では、負けた方が明日の洗濯物干し係を――」
この世界線は、どこまで進展するかな……。