リルの番《2》
――なるほど、このヒト種が夫の主なのか。
目の前で、若干恐縮した様子で話すヒト種の雄を、興味深い思いで観察する。
ヒトの小さな身体に満ちる、強大な魔力。
自身よりも強く、自身の夫と同程度の力はあるだろうか。
ただ、それだけの格上でありながら、こうしてこちらに対し恐縮した様子を見せている以上、どうやら力で全てを考えるような類の雄ではないようだ。
――そうか、夫が気に入る訳だ。
見ているとわかる。
よく似ている二匹だ。
醸す雰囲気、話していて感じる印象。
上に立つ者としての風格をしっかりと備えておきながら、どこか抜けたような様子。
種は全く違うが、恐らく自身でなくとも、似た雄達だと思うことだろう。
自らの種は、数が少ない上に同種で群れることもない。
基本的に一匹で生きる種であり、番を見つけるには数百年の時間が掛かってもおかしくない。
故に、放浪を続けた先で、夫となる良い雄と出会えたことは、偏に幸運だったと言えるだろうが……その番が、実は迷宮の番人の一体であり、仕える主がいるという。
迷宮とは魔王の住処であり、魔王は自らの領域を広げるために、他の生物へと戦いを挑む面倒な輩が多い。
自身もまた、それなりの年月を生きているため、幾匹かの魔王と遭遇し、殺したことがあるのでその辺りはよく知っている。
数の少ない種である私を見て、「配下になれ!」と襲ってくる鬱陶しい者達である。
そして、その配下の眷属は、魔王にとってただの手駒であることが多いのだ。
仮に変なのに仕えていたら、どうしたものかと思う面も正直あったのだが――この様子ならば、問題はないだろう。
一度、夫ともその話をしたことがある。
魔王の眷属であるから、ここに留まっているのかと。
すると、普段物静かな夫が、少し怒りながら「魔王の眷属として生まれたことで、彼に付き従い始めたのは確かだ。だが、今もここにいるのは命令ではなく、自身の意思によるものだ」と言ったのだ。
正確に歳を聞いた訳ではないが、夫は自身と比べると、相当に若い雄だ。
まあ、ヒト種ではない我々は、確かな力を持つ夫であれば、その辺りを気にすることはあまりないが……誑かされているのではないかという疑念を、内心で抱いていたことは否めない。
ただ、その考えは、夫の瞳の奥底を覗き、すぐに捨てた。
夫は、自由だった。
魔王の眷属であれど、魂は縛られておらず、ただ自らの意思で番人として生きていた。
眼前にいるヒト種の雄を信じ、慕い、それ故にここで生きているのだという思いが、夫の瞳からはよく理解出来たのだ。
……私は雄ではなく雌だ。雄というものの生態を正確に理解することは出来ない。自身の夫が何を信じ、何に惹かれてこのヒト種の雄に付き従っているのかはわからない。
それでも……夫がこの雄を信じるのならば、私も信じよう。
信じ、受け入れてもらうべく努力するとしよう。
「クゥ」
「はい、ありがとうございます。こっちも、何かあったら、言ってもらえればすぐに対応しますんで、そこは遠慮しないでください。リルの身内なら、俺達にとっても身内みたいなものなので」
と、そんなヒト種の雄、ユキという名らしい彼の言葉に、夫が苦笑する。
「……クゥ」
「……そ、そりゃあ俺だって気を遣うさ。ずっと一緒にいたお前相手じゃねーんだからよ。……う、うるせ。しゃーねーだろ、お前の嫁さん、なんかこう、オーラがあるし」
夫の言葉に、しどろもどろになる夫の主の姿を見て、思わずクスリと笑みを溢しながら、口を開く。
「クゥウ」
「い、いや、勘弁してくださいよ。確かに仲良くなれたら嬉しいですが、奥さんまでリルと同じようにってのは、難易度が高過ぎますって!」
微妙に引き攣り気味の様相になる彼の姿を見て、愉快な気分で笑ったのだった。
* * *
――アーリシア王国。
その、執務室にて。
「……全く、面倒な置き土産を、残してくれたものだ」
書類を確認し、レイド=グローリオ=アーリシアは、大きなため息を溢す。
――人間至上主義者。
その中枢の実体は、他種族というよりもこの国に対し恨みを抱いた者達が起こしたものだったが……その思想は、この国に大きな影響を及ぼした。
中枢の者達は全員捕らえ、一切表沙汰にはせず秘密裏に事を進めたにもかかわらず、完全には思想の伝播を止めることが出来なかった。
日々に不満を持つ者は数多く、そのはけ口として、他種族への悪感情が使われ出したのだ。
どうやら今回捕らえた者達は、捕まった後のことも考え、決して握り潰されないルートでの情報拡散の布石を、幾つか打っていたらしい。
ひっそりと、少しずつ少しずつ囁かれたその思想はここに来て一気に花開き、大規模に広がりを見せているのである。
一過性のものではあるだろうが、しかし今、このタイミングでそれが広まってしまうのはマズい。
……正直なところ、その思想自体は、国が主導で広めていた時期もあった。
いや、この国のみならず、人間国家ならば少なからずどこも同じことをしていただろう。
体制への敵対心を逸らすために、国外の、それも種の違う者達をやり玉にあげ、体制にとって都合の良い『敵』を用意するのである。
だが……もう、二度とそれは出来ない。
もう二度と、やってはならない。
他種族との協調はこの国の決定事項であり、これから先の未来を見るために決して変えてはならない路線である。
この国が――いや、この国を取り巻く世界が、平和へと歩むための道である。
故に自身は、王として決断しなければならない。
王としての、権力の行使を。
弾圧の、決断を。
ここで日和ることは、許されないのだ。
「……もう、ずっと、さっさと引退したいと思っているのだがな」
椅子に深く身体をもたれかからせ、天井を仰ぎ、再度ため息を吐き出す。
――わかっている。
自身は英雄と呼ばれるには程遠い凡才であり、ごく普通の男であるということは。
ただ、王族に生まれたから、王という立場を与えられただけのこと。
それらしく振舞っては来たが、結局器ではなかったというのがここらで明らかになってきた訳だ。
ローガルド帝国元皇帝や魔界王、エルフ女王などが持っている能力を、自身が欠片でも身に付けていれば、もっと上手く政策を進め、未然に被害を防ぎ、魔王の彼にこんな迷惑をかけることもなかっただろう。
自身の無能さが招いた結果だと言われたとしても、否定は出来ない。
「……それでも、ないものねだりをしている暇はない、か」
深く、深く深呼吸をしてから、ゆっくりと前を向く。
手札を増やせないのならば……この身が持つもので、進んでいくしかない。
息子が死した時からもう、嘆いて止まるのは無しだと決めたのだ。
老い始めたこの身体が朽ちるまで、駆け抜けるのである。
そうあってこそ、あの世で息子と出会った際、王として死ねたと胸を張ることが出来るだろう。
と、一人で今後の対応について考えると、執務室の扉をノックされる。
「……陛下。会議のお時間です。皆様すでに待っておられます」
「わかった、すぐに向かおう」
彼は立ち上がり、部屋を出て行った。
――さぁ、戦おう。
リルも捕まえたのは年上女房。
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