死者は沈黙し、されど生者は死者の声を聞く《7》
――その後、すぐにネルを中心とした人間の部隊が屋敷を包囲、俺が気絶させていた中の全員を連行したことで、事件は終息した。
アーリシア国王と少し話をした後に、事件解明のために残ったネルを除き、俺達はすぐに帰宅した。
だから、事件の背景が全てわかったのは、後日のことだ。
老婆達は、テロを起こすのが目的で俺を誘拐したようだ。
どうやらあの翌日に行われる予定だった、慰安コンサートに俺を放って民間人を襲わせ、和らいでいた魔族への悪感情を高める作戦だったらしい。
騒ぎを起こす、という程度に留めるつもりはあったようだが……仮に、そこで俺の制御が外れようものなら、最悪だったな。
自意識がない時は理性が飛んでいたようなので、情け容赦なく虐殺を行っていた可能性は高い。
……いや、あの老婆は、それでも構わなかったのかもしれない。
実際に会ってよくわかったが、彼女はもう、復讐心が募り過ぎて、何もかもが憎く見えるようになっていたように思う。
彼女にとって、国の思惑に従う者は敵だし、平和にのほほんと過ごしている者も敵だったのではないだろうか。
そうでなければ、もっと単純に、俺を使って政府要人を襲うような作戦を立てていたことだろう。
何も知らず、平穏な日々を過ごす者達を見て、理不尽だと自分でも理解していながらドロドロとした感情を抱いていたのだと思われる。
……恐らく死者は、老婆達にこんなことをしてほしくはなかったはずだ。
彼らにもきっと矜持があり、誇りに思ったことがあり、そして死んでいったのだ。
だから、自分達の思い、そして願いを踏みにじるようなことはしてほしくなかっただろうし、家族には平和に幸せに日々を過ごしてほしいと思っていただろうが……それでも残された者は、ただ死者に生きていてほしかったと思い、大事な者達が死した原因に憎しみを覚えてしまうのだろう。
そうして募った深い愛情が、丸ごと憎しみへと転換してしまうのだ。
――今回事件を起こした者達には、極刑が下されるそうだ。
嫌な気分だが、妥当な刑罰なのだろう。
俺は魔王であるのに加え、名目上でローガルド帝国皇帝であるため、そんな俺を襲った彼女らは一族郎党処刑してお家断絶というのが相応しい罰になるということだったのだが……それはちょっと嫌だったので、アーリシア国王に、極刑になるのは本当に関係のある者のみにお願いしておいた。
流石に、寝覚めが悪いからな。
恐らく俺への機嫌取りという部分もあるのだろうが、そこは代わりに、復讐の方向がネルへと向かわないよう尽力してもらうことで、話を付けた。
ちなみに、俺と魔族達の泊まった宿は、シロだったそうだ。
料理に痺れ毒を混ぜたのは宿の従業員ではなく、客として忍び込んでいた工作員が、彼らの目を盗んで料理に仕込んだそうだ。
多分、俺達があんまり気にせず料理を食えたのも、従業員から欠片も敵意を感じられず、こちらに対する協力姿勢が見えていたからなのだろう。
襲撃が起きて俺達が連れ去られた後は、従業員達はすぐさま行動に移し、あの街の衛兵に連絡していたそうだが……逆に衛兵の方は、人間至上主義者の息が掛かった者だったらしい。
故に連絡が故意に滞ることとなり、彼らもその一味と見なされ、少しの間獄に繋がれることになったそうだ。
あの店の店長が、顔面蒼白にし、唇を震わせながら経緯と悔恨を語ったことで裏が明らかになったそうだ。
彼らはシロだが、しかし今回の事件がそこで起きたため、何らかの罰則は受けることになるとネルから聞いた。
巻き込まれ損、といった感じだが……あそこは国側が俺達のために用意し、つまり政府要人が使用しても大丈夫だと判断される宿泊施設であり、そこでこんなことになってしまったため、可哀想だが多少は仕方ないのかもしれない。
「――のう、ユキ」
「……ん?」
「こちらに来い」
ダンジョンにて、レフィはその場に正座で座ると、ポンポンと自身の膝を叩く。
「……な、何だよ、急に」
「いいから。ほれ、はよ来い」
「…………」
少し戸惑った後、俺は身体を横たえ、促された通り彼女の膝に頭を乗せる。
心地良い、太ももの感触。
彼女の香りに包まれ、俺の気分が勝手に落ち着いていく。
するとレフィは、まるで子供をあやすかのように俺の頭を撫で、言った。
「ユキ。胸の内につっかえておるものがあるのならば、儂が聞こう。何も言いたくないのならば、ただ黙ってお主と共にいよう。じゃから……そんな顔で、一人でおるでない」
……俺のことは、コイツにはお見通しか。
俺は、何と言うべきか少し悩んでから、口を開く。
「レフィ」
「うむ」
「俺は……平和ボケし始めてんのかね」
今回は、特に怪我もせず、無事に帰ってくることが出来た。
だが、次回も同じようにいくとは限らない。
意識がない時も俺は反抗していたようだが、それでも今回、相当危なかったことは間違いない。
それも、俺よりも圧倒的に弱い人間にやられて、だ。
多分……黒龍と殺し合いをした頃の俺であれば、毒も回避出来ていたのではないだろうか。
俺は、弱くなったのかもしれない。
いや、ステータス自体は相当に伸びている。
黒龍よりもさらに強かった冥王屍龍を倒すことも出来たし、この魔境の森でも、魔物が最も強い西エリアの、浅層の魔物ならば一人で殺すことも出来るようになっている。
だが、そうしてある程度の強さを得たことで、警戒心が薄くなったのではないだろうか。
慢心、とはちょっと違うな。
慢心など出来ようはずもない。
俺は自分のことを強者だと思ったことはなく、そんな環境にもいないのだから。
だから、平和ボケだ。
ここの皆との、愉快で、のんびりしていて、平和で、どうしようもなく幸せな日々に感覚が鈍って来ているのではないだろうか。
こちらの世界が、危険なのだという感覚が。
俺は、ここの主であり、唯一の男だ。
似合わないと自分でも思うが、言わば一家の大黒柱と呼ばれる存在であり、そんな俺が腑抜けていては、支えなきゃいけないものも支えられなくなってしまうのではないだろうか。
今回の件を通し、昔と比べて俺は、甘くなっているのではないかと思ったのだ。
そんな内容のことを、ポツポツとレフィに語り――だが彼女は、慈愛の感じられる表情で、クスリと笑う。
「何じゃ、珍しく気落ちしておると思ったら、そんなことを考えておったのか」
「……あの婆さんの姿を見て、ちょっとな。それに今回は、俺の失敗でお前らに迷惑掛けた訳だしよ」
俺の身に同じことが起きたら、きっとあの婆さん達みたいになる。
彼女にあまり怒りが湧かなかったのは、それが理由だ。
鏡に映った自分の姿を見て感じるのは、己の欠点や不甲斐なさだろう。
「カカ、表では平静を装っておったが、やはり内心ではそれなりに気にしておったのか」
「……そりゃ、気にするさ。自力で逃げ出せたとはいえ、今回は場合によっちゃあ死んでたしな。そうなったら、このダンジョンがどうなるかもわからないし、何よりお前らと二度と会えなくなってた訳だ。考えただけで、ゾッとする」
「うむ、それは嫌じゃな。じゃから儂も、ユキを誘拐されて本当に怒りが湧いたし、気を抜くなとお主に怒った。して、お主はそれで反省しなかったのか?」
「いや、反省はしたけど……こうしてお前が気に掛けてくれるくらいにはな」
俺の言葉に、レフィは子供に語り聞かせるような優しげな口調で、言葉を続ける。
「ならば、この話はもう終わりのはずじゃ。たらればを語るのは、意味がないぞ、ユキ」
「……気にし過ぎ、っつーことか?」
「反面教師としてあの老婆を見るのは良いが、それで気落ちしておっては駄目じゃ。確かにお主は、以前より少し警戒心が弱まったかもしれぬ。それは、皆との生活で心から幸せを感じておるからこそじゃろう。しかし、それは悪いことではないはずじゃ」
「……けど、この世界じゃあ、危機感は持っていた方がいいだろうさ。俺もある程度は強くなったが、ある程度だ。油断したら簡単に死ぬ。だろう?」
「別に、お主が致命的に甘くなったとは思わんがのう。……ま、月並みなことしか言えぬが、思うところがあるのならば、今回の失敗を糧にし、次に活かせば良いじゃろう。お主は生き残り、こうして家に帰って来れたのじゃから。そうじゃろう?」
「……あぁ。とりあえず、毒対策はしないとなって思ったよ」
「カカ、そうじゃな。お主は体内魔力が通常のヒト種より高い故に、そういうものは弾きやすいが、高品質の毒となると今回のように不覚を取ることもあるからの。……それにしても、お主がそこまで今回のことを気にするとはのう。儂も、怒った甲斐があったというものじゃ」
「……うるせ」
レフィはからからと笑った後、膝枕している俺の頬をちょんちょんと指で突き、そしてグニグニと引っ張り始める。
「……うむ、あれじゃな。お主の頬は、特に触り心地は良くないの」
「良くないんかい」
「じゃが、多分儂は、一生触り続けておっても飽きんじゃろうな」
微笑み、俺の顔を覗き込むレフィ。
「……でも、一番は翼だろ?」
「よくわかっておるではないか! ほれ、愛する妻のために翼を出さんか。儂が存分に触って、愛でてやろう」
「お前、俺を励ましてたんじゃないのか?」
「そうじゃぞ? お主が大好きな儂の元気な姿を見れば、お主も元気になるじゃろう? 故にこれは、お主を励ますための提案という訳じゃ」
「すごい自分本位な暴論を言い放ちましたね、あなた」
俺は苦笑を溢し、だが彼女の心遣いに、確かに気分が軽くなっていくのを感じていた。
「……よし、レフィ。俺は元気になりたいから、付き合ってくれ」
「仕方がないのう。儂はお主の番故、お主が心ゆくまで付き合ってやろう」
俺は、意識してニヤリと笑みを浮かべ、身体を起こす。
「じゃあ、今から一緒に風呂に入ろう。んで、存分にエロいことをさせてくれ」
「うぬっ……ま、まあ、構わぬが。ま、全く、愛される身は大変じゃな」
「おう、俺はもう、お前への愛が迸ってどうしようもねぇんだ」
「……その言い方は卑猥に聞こえるから、やめんか阿呆」
顔を赤くし、パシッと肩を叩いてくるレフィに、俺は笑ったのだった。
アーリシア王国視点は後日。