死者は沈黙し、されど生者は死者の声を聞く《6》
優しげな眼差し。
恐らく歳は七十を超えているだろうが、背筋が真っ直ぐに伸びており、毅然とした態度から歳よりも意思の強さを感じさせる女性だ。
この世界では、相当な長生きだろう。
……ネルが言っていた。
人間至上主義者は、今まで大きな活動をすることはなく、ただ裏からそっと思想を伝播させるだけだと。
長く生き、様々なことを経験し、だからこそこの老婆は強かな立ち回りをすることが出来たのだろう。
焦らず、じっくりと、不安だけを伝播させていくのだ。
「あなたがここに来たということは、私の友人達は皆死んでしまったのでしょうか? まあ、あなたにしたことを思えば、その報いとしては相応しいのかもしれませんが……」
「……牢で俺を監視していたヤツらは全員殺した。ただ、この屋敷にいたヤツは気絶してもらっただけで、殺してない。本当に一般人っぽかったからな」
俺は、険しい表情のまま、問い掛ける。
「端的に答えてもらおう。誰のための、何に対する復讐だ?」
「あらあら、せっかちな方ですね。まあ、いいでしょう、ご迷惑をお掛けした詫びです、お話ししましょう。――夫と、息子と、孫のための、この国に対する復讐です」
魔族ではなく、この国。
アーリシア王国に対する復讐。
てっきり、俺のような他種族を恨んでいるのだろうと思っていたので、少し意外に思いながら言葉を返す。
「……その三人は死んだのか?」
「えぇ。皆、軍人でした。夫は国境沿いで魔族との戦闘に駆り出され、息子は獣人族との諍いに部隊で向かい、そして孫は、一年前に王都にて内乱騒ぎがあった際、その争いに参加しました。結果、三人とも死にました。……いえ、MIAと言うのでしたか? 遺体は見つかっていないので、もしかしたら生きているかもしれませんね」
だが、もう三人の生存を諦めてしまったくらいには、ほぼ死亡が確定的なのだろう。
他の二つは知らないが、この老婆の孫が参加したという内乱騒ぎは、俺がネルに連れられ、初めて王都アルシルに訪れた時のことか。
あれも、裏では魔族が関わり、その者達によって引き起こされたものだったな。
……それが、恨みの理由か。
三世代で家族が死んだとあれば、確かに恨みの理由としては真っ当なのかもしれないが……。
「言いたくはないが、軍人なら死も仕事の内のはずだ。その覚悟をしていないというのは、甘い話だろう。それで国に復讐ってのは、理不尽じゃないのか?」
「勿論、そこはわかっていますよ。三人とも自ら軍人となる道を選んだ以上、当然悲しみはあれど、私はそれを尊重しなければならないでしょう。戦死は、受け入れなければならないでしょう。……問題は、その死をこの国が、無駄にしたことにあります」
…………。
「少し前の大戦を機に、争いのあった種族とも手を組み、特に魔族との交流を増やし始めています。――ならば、何故最初からそれを選ばなかった!?」
彼女の優しげな瞳に、憎悪が映る。
憎々しげに歪められた表情に覗く、狂気の色。
「今更和平など、何を言う!? つまりこの国は、その気になれば無駄な争いなど、しなくても良かったということです。これでは三人は、私の大事な人達は、無駄死にしただけではないですか! 何の意味もなく、何の価値もなく! 何も成し遂げられずに!」
……その死があって、今の結果がある、なんて言っても、この婆さんには鼻で笑われるだろうな。
実際、彼らの死に大きな意味はなかったのだろう。
長らく続いた対立で、惰性的に発生した戦闘に巻き込まれ、死んだのだと思われる。
こちらの世界では、そういうことがよく起こっていることは知っている。
老婆の孫の死も、あの内乱はほぼ俺達が解決したようなものなので、その最中で死んでしまったのならば……正直大した意味はなかったのかもしれない。
「戦う気がないのならば、最初から戦などしなければ良かったものを。私に協力していただいている者は、皆が私と同じ境遇。私達の大事な人の死を、全て無駄とした訳ですよ、この国は。……ならば、それなりの報い受けさせてやらねば、死者に合わせる顔がないというものです。あなたをそれに巻き込んだことに関しては、深く謝罪させていただきます」
この老婆のせいで、俺はかなり危険な目に遭い、ロクでもない何かの作戦に従事させられる一歩手前の状況に陥った。
明確な、絶対に許容出来ない敵。
だが……こうして実際に相まみえ、彼女に対する殺意は、俺の中には湧いて来なかった。
――そうか。
普通の人なのだ、この老婆は。
皆と同じ、ごく普通の一般人。
だからこそ、家族が死んで怒りを覚え、どれだけ理不尽と思われようとも、復讐を決意した。
誰もが、この老婆になり得る可能性がある。
一般人と違うことと言えば、この老婆には怒りを行動に移すだけの、能力があったことだろう。
恐らく、ここで俺が何を言っても無駄だろう。
物語じゃないのだ。
誰かが、全てをわかったかのような顔で「それは良くないことだ。死者はそんなことを望んでいない」なんて説得しても、都合良く相手が改心するなどということはあり得ず、仮にそれで納得しようものなら、そもそもこんな面倒は起こしていない。
俺達は、『人』なのだ。
幾ら理性が止めても、他者が止めても、身を焦がす強烈な感情に抗うことは出来ず、それが破滅とわかっていても突き進むのである。
「私を殺したければ、殺しなさい。あなたにはその権利がある。ですが、その場合、無辜の民を魔族が殺害したというニュースが市井に回ることになっています。逆に殺さずに生かせば、私が主導して他種族への悪感情を流し続けます。どの場所でも、どんな扱いをされても」
「随分と迷惑な話だな」
「えぇ、私は嫌な女なのです。身勝手な老婆に関わってしまい、気の毒でしょうが……どちらにしろあなたは、この国と深い縁があるのでしょう? この国に関わる以上は、付き合っていただきましょう」
静かな声色で、老婆は微笑む。
俺に対する敵意はない。
ただ、為すべきを為すだけ。
あるのは、強い意志だけだ。
少しの間黙ってから、俺は言葉を返す。
「……俺は殺さない。婆さんを裁くのは、この国の法だ。余生を牢屋で暮らしな」
「そうですか。まあ、構いません。どうせ死に掛けの老いぼれです。お好きになさい」
表情が崩れない彼女に、俺はため息を吐く。
「アンタの話はわかった。ただ、これは親切心から言うことだが……巻き込む相手は選んだ方がいいぜ、婆さん」
「それは、あなたが報復にこの国で暴れる、ということでしょうか?」
「いいや、俺じゃない。俺の家族さ」
「? どういう――」
彼女が怪訝な表情を浮かべた、次の瞬間だった。
――轟音。
バギリ、と天井の全てが吹き飛び、夜の空気が部屋の中へと入り込んでくる。
そして、夜空に浮かぶ星々に混じり、浮かぶ影が、一つ。
「――ここにおったか、ユキ」
空から降ってくる、俺が大好きな、いつまでも聞き続けていたいその綺麗な声。
「全く……お主はまた面倒ごとに巻き込まれたようじゃな。外傷は……無いの。魔力の流れも正常、服の血は返り血じゃな。無事じゃな、ユキ?」
「あぁ、大丈夫だ。悪い、レフィ。心配かけたな」
外から俺の隣に降り立ったのは、レフィだった。
――彼女の気配は、この屋敷を発見した辺りから、感じていた。
だからという訳ではないが、それなら何があっても大丈夫かと考え、この屋敷へと殴り込みを掛けたのだ。
「して……随分とやってくれたのう、お主。ここまでの怒りを感じたのは、数世紀ぶりじゃ。誇ってよいぞ、人間」
レフィが視線を向けるのは、唖然と固まっていた老婆。
我が嫁さんの威圧を一身に受けた彼女は、わかりやすく冷や汗を流し、片手で心臓をギュッと掴み、だがそれでも気圧されることはなく、口を開く。
「……結局私達は、力で蹂躙されるだけですか」
「何を被害者ぶっておる。お主が儂の旦那に手を出しさえせねば、儂がここまで来ることもなく、この国が儂という危険に脅かされることもなかった。全ては、お主が招いたことじゃ」
いつになく辛辣な、一切敵意を隠さないレフィの様子に、老婆は苦笑する。
「いえ、それはわかっていますよ。自業自得であることは。ですが……それなりに策謀を巡らせてみても、ただ力でひっくり返されてしまうと、人間という種の弱さを嘆きたくなるものです。そこの魔族のお方も、捕らえるところまでは上手くいっていたはずですから」
「抜かせ。それは、単にお主が『人間』を諦めてしもうただけじゃ。自らの弱さを理解しながら、それでも力の限りで日々努力しておる人間を、少なくとも一人儂は知っておる。この国の勇者は、そうやって生きておる。お主は悲嘆に暮れるだけで、前進することを忘れたのじゃろう」
「……あなたが幾つなのかは知りませんが、私のような老婆に向かって前に進めとは、言うではありませんか。お嬢さんは、家族の死を何度も看取った経験があるのですか? 精神が裂けそうな悲しみを味わい、それでも前へと進もうとしたところで、その死の全てが無駄であったとわからされた時の憎しみを、感じたことがあるとでも!?」
老婆の声に、憎しみと苛立ちが覗く。
先程まではなかった敵意が、彼女の中に湧き上がっているのがわかる。
「……そうじゃな。儂にはそれらの経験はない。確実にお主より長生きはしておるが、人生経験という意味では、お主より浅いかもしれぬ。――じゃが、大事な男を攫われ、命を奪われそうになる恐怖ならば、今日嫌という程感じたところじゃ」
今度は、レフィの言葉に怒りが乗り、放つ圧力が増大する。
「そもそも、お主の事情など知ったことか。それを聞いて同情しろとでも? 儂は、覇龍レフィシオス。災厄の一つとして数えられる、世界最強の龍。情けを掛けられるなどと思うでないぞ」
そこで俺は、口を挟む。
「レフィ」
「止めるなよ、ユキ。お主の言葉とて、この者を許すつもりは儂にはないぞ」
俺に当たらないように注意している様子ながらも、怒りを隠せていないレフィに、俺は苦笑して言葉を掛ける。
「いや、もう婆さん気絶してるから、聞いてないぞ」
「……む?」
そこでようやく、相手の様子に意識が向いたらしく、レフィはまじまじと老婆を見る。
彼女は、上半身を起こしたまま気絶していた。
気力で耐えていたようだが、レフィの怒りを一身に受けたせいで、流石に限界が来たようだ。
年寄りには、キツい負荷だったのだろう。
……いや、年寄りじゃなくても一緒か。
「帰ろう、レフィ。敵の首魁も、目的も、思想もわかったんだ。なら、後はこの国に任せてしまおう。仕事としては十分やったはずさ」
レフィの横で、俺もまた気絶した老婆に視線を送る。
直接的な問題は、何も解決していない。
彼らが『人間至上主義者』なんて名前を隠れ蓑にし、行動することになった根本的な原因は、未だ残っている。
だが、ここから先は俺の仕事じゃない。ネルの仕事でもないだろう。
アーリシア国王が、国として解決すべき問題だ。
彼とは親しくしているし、助けを求められれば手を貸すが……これはもう、こっちの出る幕はないだろう。
俺の言葉に、レフィはゆっくりと何度か深呼吸し、ため息を溢す。
「……腹立たしいの。これだけ迷惑を掛けておきながら、気絶して終わりとは」
「罰は受けるだろうさ、これからな。多分死ぬまで牢屋の中だろうし、わざわざ俺達がこの婆さんの企みに協力して、惨殺なんぞをする必要はないって」
「フン、仕方あるまい。それで納得しておくかの。……いや、考えてみれば、そもそもお主が油断したのが悪い! お主がしかと気を張っておれば、こんなことにはならなかったんじゃぞ! ネルから連絡が来た時、儂の肝がどれだけ冷えたことか!」
「悪かったよ、流石に料理に毒が仕込まれてるなんて思ってなかったんだ。変な味だなとは、ぶっちゃけ思ってたんだが」
多分、あれが毒の味というものだったのだろう。
出されたものを残すのも悪いし……なんて思いから全部食ったのが、失敗だったな。うむ。
料理に毒が仕込まれている、という発想が皆無だったせいで、それがおかしなことだと気付けなかった。
「き、気付いたのならば、食らわんようにせんか、馬鹿たれ!」
「そう言われるとそうなんだけどな。単純に、料理がマズいだけかと思ったんだ。レイラの美味い料理の味に慣れ過ぎたのかなってさ。本当に、心配掛けて悪かった」
「……フン、全く、後で皆にも謝るんじゃぞ。ネルなぞ、自分のせいでお主が危険に陥ったと、顔を真っ青にさせておったんじゃからな」
本当に心配してくれていたのだろう、かなり本気で怒っているレフィに、内心でちょっと嬉しく思いながら、俺は屋敷を飛び立った。
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