死者は沈黙し、されど生者は死者の声を聞く《4》
早朝まで、残りもう少しという時間帯。
「あの街か?」
「そのはず。ですよね、ヴェーダさん」
「はい、我々が襲われ、ユキ殿が捕らわれた街です。我々が取った宿は、レフィ様は見えると思われますが、あの尖塔を二つ持った造りの良い建物です」
ネルの次にそう答えるのは、魔族部隊の隊長ヴェーダ。
まだ毒が完全に癒えていない中、任せるばかりでは不甲斐ないと、彼だけは意地で二人に同行していた。
「レフィ、おにーさんの気配は?」
レフィは、覚えた気配ならば、たとえ数キロ離れていようが、本人が気配を隠していようが、関係なく感じ取ることが出来る。
それを知っているネルが彼女に問い掛けるが――しかし、レフィは険しい表情で首を横に振る。
「……街の中に、彼奴の気配は感じられん」
つまり、すでにここからは連れ去られたか。
もしくは、すでに死んでいるか、である。
「……フゥ」
沸騰しそうな頭を、一度深呼吸することで冷静にさせ、それから周囲を観察する。
――街の外に、人はおらんな。
ならば、多少派手にやっても問題はないだろう。
「お主ら、そこで待っておれ」
「えっ、僕も一緒に――」
「お主はこの国に立場があるじゃろう? ならば、ここは儂に任せよ。安心せい、悪役のやり方は、家で慣れておるからの」
お互いギリギリなのは理解していたが、それでもニヤリと笑ってみせるレフィの心意気に、ネルは内心で感謝しながら頷く。
「ん……わかった。頼んだよ」
「……な、なるべく穏便にお願いしたく」
襲われた側であったが、何だか人間達が不憫に思え、思わずそう口走っていた魔族の部隊長だった。
* * *
その日、『アレイラ』という街の朝は、悲鳴と怒号と共に始まった。
最初に気が付いたのは、早番の衛兵達。
欠伸を殺しながら、夜番の兵士と交代して持ち場に付き――そして、次の瞬間。
ゴォッ、と、街の周囲が一斉に燃え上がる。
周辺の草原全てが燃え上がり、その火が天高く立ち上る。
何かの爆ぜる音。
空気を取り込み、唸る火の音。
まるで真昼間のように一帯が明るくなったことで、異変を感じ取った人々が次々に寝床を飛び起き、そして地獄を思わせる大火に呆然と固まった後、街への被害を食い止めるために、すぐさま対処に動き出す。
「な、何が……」
「いいからさっさと動け!! 街が焼けるぞ!!」
「い、いや……見ろ、何故かあそこを境に、火が動いていない!」
「何を言って――ど、どうなってるんだ!? 魔法なのか、これは!?」
不思議なことにその火は、街を囲うだけでそれ以上侵入して来なかった。
周囲数キロが燃え上がり、延々と炎と煙が立ち上れど、街への延焼は一切なかったのだ。
まるで意思を持つかのように制御された大火に、目敏い者達が疑問を抱き――その声が、聞こえてくる。
「儂は今、余裕がない」
それぞれの脳味噌に直接話し掛けられているかのように、喧騒に全く掻き消されず、その声が街に住む全ての者に浸透していく。
「答えよ。この街でいなくなった儂の旦那は、どこにおる?」
一方的な質問に、大半の者は何のことだと隣の者と話し合い、だが心当たりのある者は、ピクリと身体を反応させる。
「魔族の男じゃ。心当たりがあれば、これだけでわかるじゃろう? 答えよ、余裕のない儂が、この街を丸ごと灰に変える前に」
やがて、街の者は気付く。
――街の上空に浮かぶ、翼を羽ばたかせる少女。
火に照らされ、浮かび上がるその姿。
一人が見上げ、二人が見上げ、そして全員が見上げ、存在に気が付く。
だが、少女に対する攻撃はなかった。
この異変の元凶であることは一目瞭然だったが、神々しさすら感じさせる少女の姿に畏怖し、自分達は裁かれる側なのだと自然と頭が理解し、ただただ固まっていたのだ。
「答えはないのか? 見える範囲で、幾人か儂の言葉に反応しておった者がおるはずじゃが、それは儂の勘違いじゃったか? ならば仕方あるまい。自らの選択を悔やめ、人間ども――」
「ま、待て!」
その時、中央の広場に一人の男が駆け寄り、上空の少女へと声を張り上げる。
少女は――レフィはそちらをチラリと一瞥すると、ゆっくりと近くに舞い降りる。
声を上げたのは、この街『アレイラ』の領主だった。
「ま、まずは落ち着いていただきたい。何やらお怒りのようだが――」
「そこからの言葉は選んで話せ。迂遠なやり取りは結構じゃ。お主の言葉が、この街の未来を決めることになる」
覇龍による威圧。
視線に込められた、明確な意思。
「っ……わ、わかった。お、王都だ! 王都アルシルに連れて行った」
狼狽し、そしてそう答える領主に、近くにいた別の男が声を荒らげる。
「なっ、貴様ッ!!」
「黙れ、こんなことに街を巻き込みやがって……ッ!! そもそも、魔族を誘拐するというところから、私は聞かされていなかったぞッ!!」
「今更何を言う――」
「ちと黙れ」
レフィが冷たい眼差しでそう言うと、二人の男はまるで金縛りに遭ったかのように固まる。
ダラダラと冷や汗を流し、瞬きすら出来ず、指先までの一切が動かせなくなる。
それは、言い争っていた二人だけではなかった。
遠巻きに様子を眺めていた者達全員が覇龍の圧力の余波を受け、その場にへたり込む。
他種族よりも強さに鈍感な人間だが……その時点でもう、皆理解していた。
この場に降り立った少女が、自分達よりも圧倒的に格上の存在なのだということを。
手を出してはいけない領域に、手を出してしまったのだと。
理不尽で、不合理で、何者も抗えない、絶対的な覇者。
「お主らの事情などどうでも良い、儂が、まだこの街を滅ぼさず、この国を滅ぼさんでおるのは、偏に気分の問題じゃ。のう、貴様の方、こちらの男より事情を知っておるようじゃな? 確か、『人間至上主義者』じゃったか? ここで素直に話すか、全てを灰燼に帰するか、お主が選べ」
フッ、とレフィが手を横に払うと同時、金縛りが解ける。
相手を殺さないよう、気絶させないよう気を付け、だが放てる限りの覇龍の圧力を一身に向けられた人間至上主義者の男には、もはや反抗の意思は残っていなかった。
顔面を蒼白にし、涙を流し、答える。
「……お、王都アルシルの地下下水道に連れて行った」
「何のために彼奴を捕らえた?」
「そ、それは……」
「早う喋らんか。儂が、本当にそんなことをするはずがないとでも思ってるのか? 家族よりも、見知らぬ人間どもを優先すると?」
「……きょ、今日市井にて行われる、慰安コンサートを襲撃させるためだ! 戦争が一段落ついた今、魔族に襲わせることで、他種族への悪感情を高めるのが目的だった」
「……なるほどの」
友好ムードをぶち壊しにするには、効果的な一手だろう。
――まさか、入れ違いになっておったとはな。
その事実に苛立ちながらも、焦ってはならないと怒りを抑え、問い掛ける。
「こんさーとはいつからじゃ」
「……さ、三時間後だ。ク、クク、今から行ってももう間に合うまい。せいぜい怒り狂い、憎しみを振りまくがいいさ、魔族!」
「儂を魔族と見ている時点で、実力の底が知れるというものじゃの」
「何……?」
精一杯虚勢を張っていた男が、怪訝な表情を浮かべたところで、レフィは尻尾で殴り飛ばす。
吹き飛び、壁にぶつかって動かなくなったそちらを一瞥すらせず、次にレフィは領主へと顔を向ける。
領主の男は、顔面を盛大に引き攣らせながらも、上手く回らない口を必死に動かし、地面に頭を擦り付けて土下座する。
「つ、罪があるのは私だ、だから殺すのは私達だけにしてくれ。アレイラの街は無関係なのだ! 私が協力する意思を見せたから、この街がエサに選ばれ、そして貴方の旦那らしい魔族達がやって来ることになったのだ! ま、街の皆は許してくれ……!」
「…………」
パン、とレフィが両手を打ち合わせると同時、街を囲んでいた火が一瞬で全て掻き消える。
昼間のようだった周囲が暗くなり、離れていても感じていた凶悪な熱が引いてく。
「……儂は何もせん。お主らの沙汰は、この国の王に任せる。逃げたいのならば逃げると良い。儂の旦那を陥れておきながら、何の罰も受けないつもりならば、な?」
「……ば、ば、罰は、罰は受け、受ける。だ、だから、だから……」
「……フン」
そこでレフィは威圧をやめ、街から飛び立った。
* * *
「ネル、入れ違いになった! ユキは王都じゃ!」
街の外で待っていたネルとリル、そして魔族の部隊長のところへ飛んで戻ったレフィは、だがそこで立ち止まらず、そのまま来た道を飛び続ける。
その様子にただならぬものを感じたネル達は、すぐに彼女の後を追い掛ける。
「悪いが時間がない、儂は先に行く!」
「わかった、リル君、飛ばして!」
「グルゥ!」
「ヴェーダさん、僕達は急ぎますが、無理はしないでください! まだ病み上がりなんですから!」
「それこそ無理というものです! ここで無理をせねば、我が一生に悔いが残りますから!」
彼女らは、来た道を急いで戻る。