閑話:ガムディア=ロストン
寝ていた彼――ガムディア=ロストンを起こしたのは、ピリリ、と肌に刺すような緊張だった。
「…………?」
目を覚まし、上体を起こした彼が次に感じたのは、違和感。
まるで、今寝ていた天幕が完全な異次元と化したかのような違和感と緊張感が、内部全体を覆っている。
何かが、いる……?
「誰だ……?」
知らず知らずの内に枕元の剣へと手を伸ばし、そんな漠然とした思いから誰何を発すと――。
「――へぇ……気付くか」
奴は、唐突に現れた。
まるで闇から滲み出すようにして、ゆらりと出現する人影。
性別は男。髪は漆黒。片目が紅色で、背中からはドラゴンのような翼が生えている。種族は恐らく魔族。
その特徴は、アルフィーロの街を襲ったと事前に伝えられていた存在と同じ――。
「お前はッ――」
「騒ぐな、殺すぞ」
魔族の男がそう言った瞬間、まるで空間そのものが重さを持ったかのような重圧がガムディアの全身に襲い掛かる。
少しでも気を抜けば、一瞬で意識を奪われてしまいそうになる濃密な魔の気配が男の身体から発せられ、ガムディアの精神を蝕む。
ツー、と頬を流れ落ちる冷や汗。
こちらが黙るのを見るや、男はガムディアへと一方的に話し始めた――。
奴はどうやら、警告に来ただけだったようだ。
言いたいことを言うと、再び闇に紛れるようにして消えていった。
魔族の男がいなくなると同時、ガムディアはまるで今呼吸することを思い出したかのように、身体が勝手に大きく深呼吸を繰り返す。
恐ろしい。
素直にそう思った。あれは、自分達ではとても敵う相手ではないと。
恐らくは、ここにいる兵士全員で襲い掛かっても、皆殺しにされるだけだろう。
「…………」
今回の遠征の目的は、表向きは襲って来た魔物と、それを操っていたらしい魔族の討伐。――そして、その本当の目的は、魔境の森に存在する自然資源の確認。
要するに、新たな開拓地を得るために、その下調べをして来いという訳である。表向きに理由が設定されているのは、鬱陶しい横槍を防ぐためだ。
最初、そのための軍に参戦せよと命令が下された時、冗談じゃないと思ったものだ。
魔境の森と言えば、屈強な魔物の棲息する地であり、いくら優れた魔導具があると言っても、何かそれに不都合が生じた瞬間、壊滅的被害が出るのは目に見えている。
しかも、魔境の森の生態系のトップに君臨するのは、語る必要もない程に有名な、彼の覇龍。それを敵に回せば、壊滅的被害どころではない。文字通り国が滅びる。
だと言うのに、話は上層で強引に進められていき、ガムディアの率いる部隊もまた、参戦することが決定されてしまった。
ならばせめて、余計な被害が出ないように自身が指揮を執りたかったのだが、総司令に任命されたのは、莫大な金に目が眩み、わざわざ前線まで出て来たどこかの馬鹿貴族。
本当に馬鹿げているとしか言いようがない。
今になってアルフィーロの街の領主が今回の遠征に強硬に反対し、一切の関与をしないと主張していた理由が、よく理解できる。
……今すぐ、あの馬鹿貴族の下へ行って、軍を撤退させなければ。
そんなことをすれば、自分は軍職を首にされるかもしれない。
だが、それでも構わない。
元々、この遠征には反対だったのだ。こんな、大義もクソもない戦闘で、兵を死なせるのは絶対に間違っている。
利が絡んでいる以上恐らく、撤退を具申しても受け入れられることはないだろうが……どうにか、部下達だけは生き延びさせねば。
そんな、決死の決意を胸にガムディアは、すぐさま身支度を整え始めた――。
み、短いのは閑話だから……。




