感情
「いやぁ、それにしてもレイラん里は面白いな。見たことないモンばっかあって」
「フフ、見たことないもので言えば、我が家にあるものも大概だと思いますけどねー」
自らの主人にそう答えながら、レイラは頭では別のことを考えていた。
――結局、私はこの人のことを、どう思っているのだろうか。
仕える主人。
面白い人。
未知の塊。
研究対象。
それらの言葉は、すぐに浮かんでくる。
どれだけ共にいても、この身を動かす原動力である探求心が疼き続けるような、研究対象としてこれ以上ない程の未知。
長い歴史のある羊角の一族の中でも、きっと誰も解き明かすことが出来なかったであろう知識へと、彼と共にいれば辿り着くことが出来るだろう。
だが――今の自分が、それだけで彼と、そして彼が作る『世界』の中に身を置いているのかというと、そうでもないということは冷静に自身を分析して理解している。
あの場所で、日々、メイドとして家事をやり、彼らと冗談を言い合い、笑い合い、家に帰って来た幼子達の世話をする。
それらが、知識の探求と並び立つ程の幸せであると、今の自分は感じているのだ。
そして、そんな日常を生み出しているのがこの主人であり、故に彼を研究対象以上のものとして見ていることを、今の自分は否定は出来ないのだ。
しかし……そうして一歩深いところへと踏み込み、ならば女としてこの男性を求めているのか、というところまで考えると、途端にわからなくなってしまう。
……つまるところ、初の経験だから、知らないから、わからないということなのだろう。
自身は、恋愛というものを経験したことがない。
元々里が女性ばかりということに加え、そんなものよりも、好奇心の方が圧倒的に重要だったからである。
未知へはいつも、多大なる興味と高揚を以て当たってきたが、しかしこの未知に対しては、ただ戸惑うばかりである。
――思い出すのは、いつか覇龍の少女が言っていたこと。
彼と出会ったことで、今まで感じたことのない感情が数多胸に浮かび、それをどう判断すればいいのかわからない、と。
それは、まだ覇龍の少女とこの主人が夫婦となっていない頃の話だが――きっと今の自分は、彼女と同じものを味わっているのだろう。
この肉体の中に、こんな感情が存在していたとは、我ながら驚きである。
……思えば、迷宮に住まう面々と比べ、自分は可愛げのない女だ。
皆のように大きな喜怒哀楽を示すこともなく、ただ傍観し、見守るだけ。
言い換えてしまえば、それは、一定の距離を置いているだけだろう。
そう、自分のことだからよくわかっているが、自分は今まで、他者に対し一つ壁を作っていた。
いや……正しく言えば、あまり興味がないから、当たり障りのない表情を浮かべ、やり過ごすのがいつもの手段になっていた。
興味が持てないものは、どうでもいいとは言わないが、やはり自身の中で一つ下げて見ている節があったことは否めない。
恐らくだが、彼らと共に過ごすことで、それがだんだんと変わってきているのだ。
壁がなくなり、そこから前へと踏み出すかどうかのところで、足踏みしているのだ。
――そうか。
師匠が突然、彼にそんな話をしたのは、彼女なりの激励なのだろう。
この主人がいない間に、久しぶりに師匠と語らったが、そこで見抜かれてしまったのだ。
どうしようもない弟子が、外に出て暮らすことで多少人らしさを学び始めており、それを為したのがユキという魔王である、と。
だからこそ、このまま彼らと共に生き、しっかりやんなさいよと、そう言いたいのだろう。
「……困ったものですねー」
気付いた時には、口から勝手に言葉が漏れており、それを聞いた主人が不思議そうな顔をこちらに向ける。
「レイラ?」
「いえ……どうも、上手く感情を言語化出来ないと言いますかー……胸の内にあるものが何なのか、よくわからなくて……」
きっと訳が分からないであろう、要領を得ない自身の言葉に、だが彼は笑って言葉を返す。
「ハハ、レイラからそういう話を聞くのは初めてだな。けど、感情なんてモンは普通、言葉にするのは難しいと思うぞ。言葉は理性だが、感情は理性じゃないからな」
……理性ではない、か。
「……ユキさん、少し、いいですかー?」
「ん、あぁ――って、れ、レイラ……?」
トン、と彼の胸に頭を預ける。
およそ自分らしくない行動に、彼は動揺の声をあげ、だが少しして、ポンポンとこの頭を撫でる。
ゴツゴツとした男性の感触。
温かく、落ち着く鼓動。
包み込まれるような、匂い。
――あぁ、これか。
これだ。
きっと、皆はこれを、そして自身もまたこれを本能で求めているのだ。
しばし、無言のまま彼の胸に身体を預け、それから口を開く。
「……ユキさん」
「……あぁ」
「この問題は、恐らく私自身が答えを見つけなければならないことなのでしょうー。だから、その……待っていてくれないでしょうかー……?」
不安に揺れてしまった言葉に、彼は少し考えた様子を見せてから、口を開く。
「レイラ」
「……はい」
「俺は、もうお前のことは身内だと思ってる。俺だけじゃなくて、ウチのみんなも一緒だ。だから、それくらい待つさ。お前の心が、自分でわかるようになるまで」
間近から、彼の顔を見上げる。
慈愛に満ちた、優しい笑顔。
トクンと、胸が温かくなる。
レイラは微笑みを浮かべ、再度彼の胸へと頭を預けた。
クッ……週三は流石に無理だったか……すまねぇ……!
とりあえず、今週もう一本は投稿しよう!