その時《2》
「――戻ったぞー」
「戻ったよー!」
魔界王都にて諸々の用事を終え、ここまで送ってくれたエルレーン協商連合の軍人諸君に心からの礼を言って、幾つかの贈り物をしてから別れた後、俺とネルは羊角の一族の里へと戻って来ていた。
皆が宿泊している宿に帰ると、夕方の時間だったからか、我が家の面々はちょうど皆部屋に戻っており、俺達を出迎える。
「あ、おかえりー!」
「オかえりー!」
「……待ってた」
「うむ、おかえり、二人とも」
「おかえりっすー! ちょうど今から晩ごはんに向かうところだったっすから、タイミングが良かったっすね!」
「すぐに連絡して、二人の分も用意してもらいますねー」
「お、悪い、助かる」
「ありがと、レイラ!」
皆が俺達の帰りに声を掛けてくれ、それからすぐに夕飯を食べに行く準備を――というところで、レフィがちょいちょいと俺の服の裾を引っ張り、こそっと俺に耳打ちをする。
「ユキ、少し話がある。ちょっと良いか?」
「? あぁ、勿論良いが。どうした?」
俺の反応を窺って、ちょっとだけ躊躇うような、だが同時に抑え切れない喜びを感じさせるような、両極端な感情を瞳に窺わせるレフィに、俺は不思議に思いながら問い掛ける。
「うむ、まあ……ちょっとな。こちらへ来い」
そうしてレフィに連れられてやって来たのは、周囲に誰もいない、二人きりの場所。
そこで二人向き合い、だが我が嫁さんは、それからもしばし言い淀むように数度口を開けたり閉じたりさせた後、言う。
「……その、そちらの用事はどうなったかの?」
「おう、全部問題なく終わったぜ。世話になった船長さんらにも、しっかり礼を言っておいたし、お礼の品も渡して置いたぞ」
俺が便利使いしている上級ポーションを、二ダース分くらい渡したので、礼としては十分だろう。
あんまりばら撒くのは良くないとは思うものの、彼らには本当に世話になったし、死んでほしくないからな。
軍人ならば、上級ポーションを使う時はいずれ訪れることだろう。
「こっちはどうだった?」
「こちらの研究所等を幾つか見て回ったのじゃが、中々に面白かったぞ。やはりレイラと同じ一族の者じゃな。他では見られんものが数多置いてあって、童女どもも満足してくれたようじゃ」
「へぇ、そりゃ楽しみだな。後でネルと回るか」
「うむ、そうすると良い」
――多分、何事か言いたいことがあるのだろう。
焦らず、その後も彼女の話に幾つか付き合っていると、我が嫁さんは何かを決心したような表情で、口を開いた。
「……その、ユキ。聞いてほしいことがある。出来れば、あまり驚かんでほしいんじゃが……」
いつもはズバッと言いたいことを言うレフィは、珍しく言葉を濁しながら、続きを口にする。
「儂は、妊娠したらしい」
彼女の言葉に、俺は一瞬固まってから、聞き返す。
「にん、しん?」
「うむ……少し前に気付いての。この里の医者に診てもらったが、間違いないそうじゃ」
にんしん。
妊娠。
つまりは、俺が、彼女と、子供を成したということ。
その事実が俺の脳みそに浸透していくと同時、ジワジワと言葉にならない喜びが俺の胸中に湧き上がる。
「はは、そうか……そうか!」
「わっ」
思わず俺は、レフィのことを思い切り抱き締めると、その場でクルクルと回る。
「子供か! 俺らの子供か!」
「こ、こら、苦しいぞ」
「っとと、悪い。これからはお前の体調には気を遣わねーとな。あっ、そ、そうだ、名前を考えなきゃだな! 案としては……いや、待て、えっと、男の子か女の子かは――」
「落ち着かんか、阿呆」
「いてっ」
ペシ、と俺の額に軽くデコピンした後、彼女は微笑みながら言う。
「まだまだ生まれぬから、そう焦るな。龍族は子を宿す期間が長いのじゃ。それに、男女など生まれてからでないとわからんじゃろう」
「むっ……そうか。どれくらい先なんだ?」
「うむ、出産は恐らく、二年程は先になるじゃろう。……いや、今の儂は身体構造的に、ヒト種の雌とあまり変わらん故、もう少し早い可能性もあるがの。どちらにせよ、もうしばし待て。具体的な期間は、もう少し経たんと医者にもわからんとのことじゃ。儂らも、本格的に準備をせねばならんじゃろうが、今しばし先の話じゃ」
……そうか。
最長だと、二年は先のことになるのか。
レフィの話を聞いている内に、だんだんと気分が落ち着いていく。
だが、それでも彼女のことは決して離さず、腰に腕を回して抱き締めたまま、俺は問い掛ける。
「……もしかして、お前が龍の姿に戻れなくなったのって……」
レフィは、『人化龍』という称号を得てから、龍の姿に戻れなくなったと聞いている。
それは、もしかすると、彼女の妊娠が契機となったのではないだろうか。
「うむ……儂が妊娠したのがあるのかもしれん。あれ以来、その、な、何度かそういうことはしておったが、たいみんぐ的に見ると、その可能性は高いじゃろう」
「……そうか。悪いな、お前には大変な思いをさせるだろうが――」
「何を言う。これは、儂自身の望みじゃ。ただただ、嬉しいと思いはせど、面倒だなどと思う訳がなかろう。無論、色々と大変ではあるんじゃろうが……その分お主が、頑張ってくれるのじゃろう?」
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべるレフィ。
男前な、芯の強さを感じさせる笑みで、俺を見る。
「……あぁ、そうだな。死力を尽くして、俺の全てを賭して、お前を守ろう」
「カカ、じゃが、お主には生きてもらわねば困る。その覚悟は嬉しいが、儂はお主と共に、我らの子を育てたいと思っておるぞ?」
「あぁ……あぁ、その通りだ。一緒に育てよう。――よし、帰ったら子供部屋を作って、ダンジョンの防衛体制をさらに強化するぞ!」
「まだ先じゃと言うとろうが……」
彼女は一つ苦笑してから、言葉を続ける。
「……ま、そうじゃな、しばし先の話じゃとは言うたが、早めに準備した方が良いか。儂よりも先に、ネルとリューが子を産む可能性もあるでな。確か、ヒト種の出産は一年程じゃろう」
「ん、あ、あぁ。可能性として考えれば……そうなることも重々考えられるか」
ネルとは、その……勇者の仕事があるので、そういうことをしてはいないが、リューとはもうしている。
レフィの出産が二年近く掛かるのならば、そういうことになる可能性は高いだろう。
「……じゃあ、他はともかくとしても、やっぱり名前だけは今からしっかり考えておかないとな。今の内に、いっぱい悩んでおきてぇ」
「うむ、確かにそうじゃの。……名前か。良い名を考えてやらんとな。子にとって、一生背負うものになる訳じゃから、考えても考えたりんということはないじゃろう」
顎に手をやり、頭を悩ませるレフィ。
そんな彼女の姿がどうしようもなく愛おしくなり、俺はその両頬へと両手を添える。
「レフィ」
「ん……」
俺を見上げるレフィ。
美しい、俺にとって最も大事な存在。
「お前が……どうしようもなく好きだ。言葉じゃ、言い表せないくらいに。本当に……あぁ、もう、自分の言語能力の低さを恨みたいくらいだ」
「カカ、構わん。それだけ言うてもらえれば、十分じゃ。お主の思いは、伝わっとるよ。儂も、同じ思いじゃ。胸中に浮かぶ感情が高まり過ぎて、それを確かな言葉には出来そうもない。お主と共にいて……儂は、本当に幸せじゃ」
彼女もまた俺の胴へと腕を回し、こちらの胸に頭を押し付ける。
二人分の温度――いや、これからは、三人分の温度となるのか。
父と、母と、そして子と。
――俺が父親、か。
無論、不安は多数ある。
俺は自分が優れているなどと、思ったことは一度もない。
テキトーで、自分勝手で、らしくやっているように見えても、自身でそれがまやかしだとわかっている。
ちゃんとした大人に見えるように振舞っていても、それは見せかけだけのものであり、等身大の俺自身は立派とは程遠い男なのだ、と。
だが……それでも、もういいと決めたのだ。
彼女らと共に、支え合って生きようと決めているのだ。
深い、一つの覚悟が、自身の中で固まっていくのを感じる。
――ここからが、男として格好付けなきゃならんところか。
気張って、歯を食いしばって、頑張んねーとな。
この身の、全てを賭して。
もう、永遠にこうして彼女を抱き締めていたい気分だったが……。
「……流石に、そろそろ行かねーとか。すぐ飯だったのに、俺達が来ないからって、きっとぶーぶー言って待ってるぞ」
「カカ、そうじゃな。惜しい気持ちはあるが、皆を餓死させる前に戻るとしよう」
キュッと指を絡め、俺達は皆の下へと戻る――。